誰もが自分の居場所を見つけられる時代に
映画や音楽、アニメやマンガといったエンタメの世界を見渡しても、もはや誰もが認める絶対王者が君臨する時代ではなくなりました。趣味や嗜好はとことん細分化され、それぞれのジャンルの中で、それぞれの支持者が、それぞれに満足する。そんな誰もが活躍できる余地のある社会へと確実に変わりつつあります。
これは飲食業にとって、実はものすごく恵まれた時代なのではないかと私は考えています。どれほどニッチな業態であっても、そのコンセプトに強く共鳴してくれる誰かが世界のどこかに必ず存在する。そしてその評判はSNSを通じて瞬く間に拡散され、立地を問わず求める客がわざわざ足を運んでくれる。そんな時代が、すでに到来しているのです。
パリの大箱で三ツ星を獲得することだけが料理人としての成功の形ではありません。自分の好きな料理を、自分と波長の合う客にだけ提供し、慎ましやかでも生活に困らないだけの対価を受け取れればそれで充分という生き方もあります。どちらの生き方がより幸福なのか、それは誰にも決められるものではありません。他人からの評価や物差しを過度に気にすることなく、自分自身が心から納得できるスタイルで静かに勝負すればいいのです。そして、客である私たちもまた、その店の哲学に共鳴できるのであれば、迷わずその扉を叩けばいい。違和感を覚えたのであれば、自分に合う別の店を探せばいいだけの話です。
せっかくこれだけ多様な居場所が許される時代になったのですから、その恩恵はもっと前向きなことに使うべきでしょう。冒頭で紹介した食中毒の一件を巡っては、本来、提供側の弁解の余地のない衛生管理の不備という一点だけが厳しく追及されるべき事案でした。にもかかわらず、外野の論調はいつの間にか「ほら見ろ、修業をサボるからだ」と、無関係な発言者を叩いたりするための格好のダシへとすり替わっていきました。目の前の事象の本質を見極めようとせず、他人の重大な過失を自らのポジショントークや鬱憤晴らしの道具として安易に消費してしまうSNS社会。そうした不毛な論点ずらしに付き合うくらいなら、私たちはもっと自分自身の強みを磨き、自分にとって心地の良い居場所を探すことにエネルギーを使うべきではないでしょうか。
どんな武器を選んでも、どんな速さで歩いても構いません。10年かけてじっくり技を磨くのも、自分だけの得意分野を武器に海外に飛び出していくのも、どちらも等しく正解です。この時代は、そのどちらをも受け止めてくれるだけの懐の深さを持っています。貴方が心から打ち込めるものを、どうか臆せず磨き続けてください。
そして、それはゲストである私たちも同じです。ネット上の星の数や肩書きではなく、自分の心がときめく一軒を自分の足で見つけに行く。カウンターの向こうに立つ料理人が何年かけてその場所にたどり着いたのかは、ゲストには関係の無いことです。大切なのは、扉を開けてから帰路につくまでのひとときを、自分が心地よく過ごせたかどうか。大切なのは、それだけです。
飲食店もゲストも、それぞれの歩幅で、それぞれの幸せを探し続け、互いの価値観が自然とマッチングする。そんな幸せな巡り合わせが、これからも世界中のあちこちで生まれ続けますように。


