CEOになったとき、私は「忙しい」という言葉を定義し直さなければならなかった。
CEOになるとそれほど忙しくなくなる、という誤解がある。確かに意思決定の影響は大きくなるが、多少はのんびりする権利を得たはずだと思われがちだ。
それを信じてはいけない。
CEOであるということは、1日15時間、週80時間働くということだ。会議から会議へと頭を切り替え、取締役会に対応し、投資家からの質問に答え、戦略を立て、事業に関わるすべての人に影響を及ぼす難しい決断を下す。そのすべてが詰め込まれている。
だから、肩書や経験が何であれ、常に心に留めておくべきことがある。
忙しいことが良いのではない。成果(アウトプット)を出すことこそが良いのだ。
成果は相対的ではない
問題は、「忙しい」が相対的な言葉だということだ。人はそれぞれの経験に基づいて「忙しい」の定義を持っている。あるいは、勤勉な人物と見られたいために忙しさを装う人もいる。
そして人は仕事を失いたくないため、「忙しい」は職場における名誉の勲章になってしまう。
しかし、忙しさは成果と同義ではない。ティム・フェリスは著書『週4時間だけ働く』の中で、「忙しくしているのは怠惰の一形態だ」と述べている。
「忙しい」を語るときには、文脈が重要になる。生産ラインで800本の注射器の品質管理をしなければならない従業員は、確かに忙しい。CSLの血漿採取センターの中には、1日に1000人のドナーを受け入れていたところもあった。プレッシャー下の多忙さの極みだ。しかしどちらの例でも、成果は測定可能であり、その仕事の忙しさを正当化できる。
自分の1日をどれだけ忙しかったかで測るのはやめるべきだ。実際にどれだけ成し遂げたかで測り始めるのだ。現実の成果を生み、本当の問題を解決し、価値を加えた行動によって測るべきである。
ゼロベースのアプローチ
忙しさは、会社経営のあり方そのものに忍び込んでくる性質がある。注意しないと、リソースを食い尽くされてしまう。
たとえば、毎年予算編成の時期になると、働き蜂たちのおなじみの羽音が聞こえ始める。
「とても忙しい。もっと人を採用する必要がある」
この考え方の問題点は、人にやらせる仕事はいくらでも見つけられるということだ。特に常に価値を加えようとしているなら、自分を忙しくすることはできる。しかし本当にすべきことは、その忙しさの性質を再評価し、それが「生産的な忙しさ」なのか「気を散らす忙しさ」なのかを見極めることだ。
ゼロベース予算とゼロベースの業務計画を作る必要がある。この言葉が初耳なら、要するに毎年ゼロから予算を組み立てるという意味である。ゼロベースのアプローチは、必要なものが毎年同じだと仮定するのをやめるため、より戦略的だ。「目標を達成するために本当に必要なものは何か」と問い始めるのだ。
実践においては、ゼロベースの業務計画は、忙しいからといって増員が必要だとは仮定しない。代わりにこう問いかける。「既存のメンバーで何を成し遂げられるか? 実際には価値を生んでいない作業をしていないか? もしそうなら、よりスリムになるために何を削減できるか?」
価値観で「忙しさ」を再定義する
最後に、長期的な文脈で「忙しい」を再定義してほしい。多くの人は「忙しい」を短期的に定義するため、何も進まない言い訳になってしまう。
そうではなく、企業の価値観というレンズを通して目標を評価するのだ。ミッションの観点から仕事を評価する。達成事項を企業の価値観と整合させれば、焦点を絞り、生産的な忙しさと気を散らす忙しさを切り分けられる。
ある活動が価値観やミッションに貢献していないと分かれば、それは単なる気を散らすものにすぎないと分かる。業務計画から外してしまえばいい。
忙しさへの答えは、チームに人を増やしたり労働時間を延ばしたりすることではない。むしろ気を散らすものを排除し、時間を最大限に活用することだ。価値観が羅針盤になる。
忙しさという誤謬に陥る必要はない。私のウェブサイトから連絡を取ってほしい。あなたの仕事を本当の価値を生み出すものへと再調整する方法を一緒に話し合おう。あるいは、拙著The Detour CEOでこれらのアイデアをさらに読むこともできる。



