しかし、その答えにはメンターになる教授が含まれるかもしれない。授業が終わった後も続く議論、自分とは全く異なる背景を持つルームメイト、思いがけず自分が率いることになった学生団体、何千人もの人々が同じ場所で共に学び、暮らすからこそ生まれる友情や人脈かもしれない。
その意味で、教育を取り巻くコミュニティは大学生活に付随するおまけのようなものではない。それは大学生活がもたらす最も長く残る価値の1つかもしれない。こうした経験はエリート大学に限ったものではなく、ツタに覆われた建物がなければ実現できないものでもない。公立大学や地方の教育機関でも極めて豊かなコミュニティを築くことができる。
この区別は重要だ。伝統的な大学生活の文化的イメージはプレッピー風に見えるかもしれない。だがその根底にある人間のニーズははるかに広がりがあるものだ。
「資格」以上のものとしての大学
大学選びに直面する学生にとっては慎重にバランスをとらなければならない状況が生まれる。
家族は学費を負担できるかどうかや卒業率、教育内容、就職先を慎重に検討すべきだ。大学教育によって得られる経済的リターンは極めて重要だ。特に、その費用によって家計が何年にもわたって大きく変わり得る場合は尚更だ。
しかし大学選びが経済的な計算だけで決まることは決してない。
学生は同時に、人生において極めて重要な形成期を過ごす場所やコミュニティも選んでいる。学生たちはキャンパスを訪れ、「ここで過ごす自分の姿を想像できるか」と自問する。
そこにはもう1つの問いが暗に含まれていることが多い。「ここにいる人たちが、自分の仲間になるところを想像できるだろうか」という問いだ。
その感覚はフットボールのスタジアムや研究室、社会運動の団体、オーケストラ、宗教団体、ロボット工学のチームなどから生まれるかもしれない。ブレザーやレンガ造りの建物とは全く関係がない可能性もある。重要なのは、その体験が米国の大学生活に対するある種のノスタルジックなイメージに合致しているかどうかではない。その教育機関が学生たちが参加し、つながり、成長するための有意義な機会を創出しているかどうかだ。


