パウエル・ジョブズ:生い立ちや、あなたの成長に影響を与えたスワート渓谷の当時の状況について少し話していただけますか?
ユスフザイ:スワート渓谷は非常に美しい場所です。高い山々、美しい川、そして青々とした緑の丘や木々があります。以前は世界中から観光客が訪れていました。
私は毎日学校へ通っていました。父と母、そして私たちはみな、とても小さな家に住んでいました。経済的には裕福ではありませんでしたが、価値観や倫理観という点では豊かでした。
やがてタリバンという過激派が渓谷に現れ、私たちの生活を一変させました。女子への教育は禁止されました。400校以上の学校が破壊されました。女性が市場へ行くことは禁じられました。美容室も爆破されました。彼らは、何人にも自由になる権利はないと主張したのです。
しかし、教育は私にとって極めて大切でした。私は何者かになりたかったのです。自分自身のアイデンティティをもちたかったのです。
私には2つの選択肢がありました。1つは沈黙を守り、決して発言せず、その上でテロリストに殺される道です。もう1つの選択肢は、自分の権利のために声を上げ、その結果として死ぬ道でした。そして私は2つ目の道を選びました。
2012年10月9日、私は撃たれました。テロリストたちは非常に大きな過ちを犯しました。私は、彼らに止められてしまうかもしれないと恐れていたのです。しかし彼らは、私を止められる者などいないという事実を証明してくれました。あの日、私の弱さは死に、強さが生まれました。ですから、私は彼らに大いに感謝すべきだとさえ思っています。
パウエル・ジョブズ:銃撃された後、何が起きたのでしょうか。現在、あなたとご家族はどこで暮らしているのですか?
ユスフザイ:銃撃を受けた後、私は英バーミンガムにあるクイーン・エリザベス病院へ運ばれました。素晴らしい医師や看護師のいる、とても良い病院です。彼らは私の手当てをしてくれ、手術はすべて成功しました。現在、私はとても素晴らしい学校に通っています。その学校の女子生徒たちはみな優秀です。私はかなり多忙で、多くの授業を欠席してしまうこともあります。一生懸命、勉強できるよう最善を尽くしています。
パウエル・ジョブズ:パキスタンへ戻ることはできないのですか?
ユスフザイ:帰国はかなり難しいように思われます。帰りたいと願っています。政府とも話し合いました。でも、安全とは思えません。
パウエル・ジョブズ:各国の首脳と対談する一方で、学校の女友達とおしゃべりを楽しむこともある。そんな日常のギャップを、どう乗りこなしているのでしょうか。としての素顔と、世界中の女子教育を背負うスポークスパーソンという大役。その間で、どのようにバランスを取っているのですか?
ユスフザイ:教育のための活動やキャンペーンの大半を、週末や休暇中におこなっています。それ以外の平日は、今日のような重要な催しを除いて学校を休むことはありません。


