何もできずに手を拱いている人々をよそに、海でタコを捕まえ、下処理をし火を熾し調理するアビゲイルが、ご馳走の半分を自分のものにするのは公平だと言わねばならないだろう。ディミトリはマルクスの言葉を引いて「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」と言ったが、実際は「労働に応じて受け取る」である。アビゲイルのシンプルなルールは、まさにレーニンが聖書の言葉を引いて掲げた「働かざる者食うべからず」という、労働者を働かせて生まれた富を搾取する資本家や特権階級への批判そのものだ。
パート2ではチラリとしか映っていないトイレ掃除係に過ぎなかった地味なアジア系中年女性が、「金」など何の役にも立たない状況下、生活能力の高さで小さな共同体の頂点に立つ。快挙である。
それぞれの素顔も見えてくる。不承不承アビゲイルに従い不公平がないか目を光らすポーラ、ディミトリはそれまで階層差ゆえに交わることのなかったネルソンと親しくなり、大人しいヤルモは蛮勇を奮ってロバの殺戮を敢行する。
優柔不断さが顕になってくるのはカールだ。食欲に負けてネルソンと共にお菓子を盗んだだけでなく、火の番を忘れて寝てしまい食事をお預けになった後、アビゲイルに秋波を送り、彼女からボートに誘われたことでヤヤと喧嘩になる。
ヤヤの「彼女をおだてて」という言葉はひとえに食べ物を手に入れたいからだし、「裏切るな」としつこく釘を刺すのはカールを独占していたいからだ。しかしカールを自分専用の性的サービス係として誘ったアビゲイルの中にも、この男を自分のものにしたいという独占欲は生まれてくる。ここに、さまざまな面で対照的な二人の女が一人の男を取り合うというトライアングルが成立する。
カールが女性であれば、彼の位相はわりとすんなり腑に落ちる。有名人のアクセサリー的な恋人になったり、生きるために体を売ったりするのは、若さと美しさしか武器のない女性たちだった。それを男がしているという点で、このドラマではジェンダーの逆転も起きている。カールは何を考えていたのだろうか? 二つの推測が成り立つ。
一つは、アビゲイルの歓心を得ることで生存により有利な立場を獲得し、同時にヤヤを嫉妬させてこれまでの劣位性を覆そうとした。言わば二人の女からいいとこ取りをしようとするいささか卑劣なやり方だが、ルックスとセックスしか取り柄のないカールにとってはそんな綱渡りも仕方ないだろうと思える。


