ひとつの物差しで才能を潰す、日本の教育が抱える病理
谷本:先ほど筧さんの実体験として、発達障害があるために「生きづらさを感じてきた」と話されていましたが、もう少し詳しく伺えますか。
筧:小学校の頃が一番しんどくて、中学校、高校、大学、そして社会人になるにつれて、少しずつ生きやすくなっていきました。
日本の教育は、幼稚園まで比較的好きなことをやらせてくれますが、小学校に入学した途端、決められた枠の中で行動することを求められるようになります。みんなと同じように座り、学ぶ。画一的な環境に上手く適応できるかどうかが、重視されるんです。
それができない子どもたちは十分に評価されず、異端児のように扱われてしまう。親にも、「育てにくい子」「手のかかる子」だと受け止められてしまう。
私自身も、小さい頃から周りと同じことができず、怒られてばかりいました。そうすると自己肯定感がどんどん下がっていくんです。「自分は何もできない人間だ」「ダメな人間だ」と思いながら育ってきましたから、今でも自己肯定感がきわめて低いんです。
もうひとつ、コミュニケーションの問題もありました。小学校、中学校、高校時代って、友人関係が全てだと言ってもいいくらいじゃないですか。そのなかで上手くなじめない、輪の中に入れない。それもしんどかったですね。
谷本:今では周囲の理解にも恵まれ、仕事ができているとのことですが、それはご自身が学習されていったのか、周りが変わっていったからなのか。
筧:自分なりに試行錯誤しながら、何とかやってきた感じですね。
今振り返ってみると、子どもの頃の私は学校や周囲から求められていることに応えるために、正解探しばかりしていた気がします。人間関係を築くのが苦手だったので、周りの目を気にしながら、「どう振る舞えば受け入れてもらえるのか」「この人たちは自分に何を求めているのか」をずっと考えていました。
その最たるものが受験勉強でした。勉強はルールが比較的明確で、結果も点数として返ってくる。学年で上位の成績を取れば評価されるので、「ここなら勝負できる」と思ったんです。だから、一生懸命勉強しました。
谷本:教育現場では、発達障害のある子どもたちへの理解が追いついていない面があるように思います。その結果、子どもが本来持っている力や才能が生かされないままになってしまう。それは、国益を失うことに等しい。学校や企業は、何を変えるべきでしょうか。
筧:先ほどお話ししたように、教育現場に根付く画一主義や、ひとつの物差しで子どもたちを評価する考え方そのものを変えるべきだと思います。
東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授は、著書『教育は何を評価してきたのか』の中で、日本の学校教育は明治維新以降、「富国強兵」や「殖産興業」を支える人材を育成する仕組みとして発展してきたと指摘しています。教育制度は、国家への忠誠を教える戦前教育から、個人の尊重を掲げる戦後の教育基本法へと変わりましたが、効率的に人材を育成し、社会に適応する人を増やしていくという発想は、今も根強く残っています。
もちろん、そうした発想は近代国家を築くうえで大きな役割を果たしました。しかし一方で、多様な特性や才能を持つ子どもたちを十分に生かしきれない構造を生んできたのです。だからこそ、そんな昔ながらの教育の理念や評価軸を根本から問い直していくことが、大きな課題だと思います。
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