もう一つの例は、シリコンバレーから見てとることができる。スティーブ・ジョブズがいつも着用していたイッセイミヤケの黒のタートルネックのトップスは、極めて意図的に選んだ制服のようなものだった。ジョブズの要望を受け、イッセイミヤケは常に何十着かを用意していたとされる。それは、基調講演のステージに立つAppleの創業者が、人々の目に映る「スティーブ・ジョブズ」について、二度と考えずに済むようにするためだった。
SNSとAIが引き起こした「逆行」
ソーシャルメディアが変えたのは、人間の心理ではなく経済的な側面だ。
その登場によって突然、誰もが宮廷画家のように、肖像画のフレームや光の当たり方、トリミングの仕方などを意図的に変えられるようになった。そして、生成AIはポートレートに、根本的な「逆転」をもたらした。
およそ2000年の間、理想的な肖像画を制作できるのは極めてまれなことだった。画家の熟練の技と、数カ月から数年に及ぶ制作期間、そして莫大な資金が必要だったためだ。だが、いまやAIツールによって、人の肖像はあらゆる設定、照明、装いで、無数に描き出すことができる。しかも、かかる時間はわずか数秒、コストはほぼゼロに等しい。
こうした状況はひそかに、古くから存在した「サイン」の効力を失わせた。すべての人が同様に、洗練された自らの肖像を共有できる。つまり、「肖像画」はもはや、描かれた人物の重要性や富を示す証拠にはなり得えない。
肖像について問うべき重要な点は、「美しく仕上げられるか」ではなく、「何らかの意味があるものと捉えるべきか」に変化した。そしてそれは、「未完の肖像画」の価値を再び高めている。(ジョージ・ワシントンの肖像画の)目に見える隔たり、塗り終わっていない背景、ギルバート・スチュアートが結局は手を加えることができなかった構図の一部は、「人はためらい、修正し、やがて時間切れにもなり得る」ことを証明している。
かつては欠点とみなされたであろう作品の不完全さは、人間の手とAIが生み出すアート作品の区別がつかなくなりつつある今、作品がリアルな、失敗することもあり得るプロセスによって制作されたことを示す「証拠」と考えられるだろう。


