また、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドは1801年、後ろ足で立ち上がる雄の白馬に乗り、マントを風になびかせる軍司令官のナポレオンを描いた。実際にナポレオンがアルプスを越えたときの天候は、『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』に描かれているような不穏な様相ではなく、穏やかで、司令官がまたがっていたのは地元の案内人が引くラバだった。
絵画は「勝利を収めた」といえる。王が領内のすべての臣民の前に姿を現すことは不可能だった当時も、肖像画とそれらの複製は、何百もある地方自治体の庁舎に掲げることができた。
現在の世界が記憶しているのは、まさに「アルプス越え」に描かれたナポレオンの姿だ。現代の広告主たちがそう考えるのと同じように、ダヴィッドは当時、「十分な確信をもって作り上げた話は事実に粘り勝つ」ことを見抜いていた。
ポートレートの意味合いとその変化
ロシアの画家カール・ブリューロフはナポリで活動していた1831年ごろ、当時のロシアで最も裕福だった産業資本家の一族、デミドフ伯爵家のアナトール・ニコライエヴィチの騎馬肖像画に着手した。そのポートレートは、とりわけ多くの人たちの心を引きつけた。
それは、単にモデルが貴族だったからではない。鉱山の運営や鋳鉄工場を通じてロシアの経済力を押し上げたデミドフ家の莫大な資産の若き相続人であり、パリで育ち、主に西欧で暮らすコスモポリタンであると同時に、芸術家のパトロンや美術品の収集家として知られていたアナトールを描いたからだ。
つまり、ブリューロフのモデルは世襲の地位を持つだけでなく、産業によって貯えた富、国際的な人脈、そして文化的な志向によって影響力を持つようになった新たなタイプのエリートだった。アナトールは18歳という年齢で、世間が捉える自らの姿を入念に演出していく人生の幕を開けることになったのだ。
この肖像画は、彼に軍や貴族の伝統が持つイメージを根付かせると同時に、「パトロンとしての活動や旅、美術品の収集を通じて自ら名声を築くことができる裕福な実業家」という現代的なアイデンティティを表現していた。古い世界の貴族と目に見え始めた資本の影響力の緊張関係を捉えたという点でも、特別な作品だ。
現在では、写真を撮るのにかかる時間は8万分の1秒に満たない。だが、ブリューロフは大パトロンからの依頼に応じて以降、20年以上にわたってそのプロジェクトに取り組み続けた。当初は肖像画1枚を描くはずだったが、実際には2作品を制作。芸術家がモデルと作品にどれほど長期にわたって関わり続けたかということを物語っている。
さらに、その2つの肖像画の物語は、ブリューロフの死で終わるものではなかった。それらは彼の遺志に基づき、親しい友人でもあったイタリアの画家で版画家のフランチェスコ・コルニエンティによって、完成に至ることとなった。
こうした歴史は間違いなく、肖像画の来歴において欠かすことのできない重要な要素だ。作品の希少性と重要性を高めるものとなっている。その後、騎馬肖像画はイタリア・フィレンツェにあるピッティ宮殿、もう一方は個人が所蔵している。


