花井:面白いですね。私たちの生活の中で、使われ続けるものはとてつもない価値を持ちます。杉本さんからの評価もここに結びついているように思えて、使われていた茶筒を作り直したことで、染み付いていている使用感という再現性のない美が作品に組み込まれたんですよね。だから美しかった。飾られるだけではなく、使われることに意味があるのではないか、とも聞こえました。
八木:そうですね。僕はハレの日ではなく、ケの日の最上級が作りたい。毎日使えるものの中で一番いいものを作る。それが祖父や父からずっと教わってきたことなのかなと思っています。だから今、工芸作家の皆さんがもてはやされている時代に抵抗感があります。
花井:飾られるアートではないということですよね。
八木:先日、米スタンフォード大学で講演した際に、「WとEの間にiがある」という言葉を、どう伝えるかと悩んだ結果、自分で英語でプレゼンテーションしました。その過程で「らしさ」ということをどうとらえるか、と考えていました。その過程で、「らしさ」は言語化できず、一定方向だけでは伝わらないもので、さまざまな角度から伝えることによって出てくるもの。だから、さまざまな角度からコミュニケーションを何度も取れる相手とだけつながっていくことが、らしさにつながって続いていく秘訣になるのではないか、とも思うようになりました。
大森:シンプルにどういう反応がありましたか。
八木:目が点になっていました(笑)。米国では、工芸やものづくりは「I」。私が何を作るか、私が何を使うか、しか、ありません。その中で「お互いさま」と言った瞬間に「ああ、なるほど。それが日本なのか」という感覚をスタンフォードの聴講生たちが持ってたのは面白かったです。
花井:「バーテンダーにおすすめを頼む」という例え話とも似ていますよね。日本のバーテンダーは「何を食べてきましたか」とか「2軒目ですか?何を飲まれてきました?」と聞くのに対し、海外のバーテンダーは「俺のスペシャル」を出す。日本は「おすすめ」に対して提供するものは「お好み」になり、海外は「おすすめ」は「おすすめ」。
八木:「これうまいだろ」と出されても、「うまい」と言うしかない(笑)。この「I」と「We」の感覚の違いは、もしかしたらAIが出てくるなかで、変化するかもしれないとも思っています。自分がやらなければいけないことをAIがやるなかで、自分が本来どこに向き合うべきかを考えなければならなくなるわけですから。
少し話がズレるかもしれませんが、先日出会った、エベレストなどをよく登る登山家の方が「頭を心で騙せ」とずっと言っています。「頭なんて心で騙せる。人間の考えていることはしれている。それよりも、心でどう感じられるかが大事なんだ」と。「俺は絶対天気予報は信じない。当たる確率は30%とかだろ。30%に俺の命はかけられない。最後、ベースキャンプからアタックする時、行けるかどうかを決めるのは俺の心だ。だから心が大事だ」と言っているんです。
その登山家の人が開化堂の茶筒をエベレストや南極大陸に持っていったんです。「何を入れて持っていったのか」と聞いたら、「からっぽ」だと。頂上で蓋の開け閉めをしたかったと言うわけです。自分の命をかけるため、グラム単位で自分の持ち物を減らす人が「心で気持ちいいと自分の託せるものを頂上でやってみたかった」と言った時に、これからはそういうものを作らないといけないなと思ったんです。
ではどうしていくのか、というときに、「自分がどうしたいかだけではないよな」と思うんです。世の中があって自分があるから、そのお互いのことを考えて、どうしたいか、どうすべきかを決めていかなければいけない。心と言った時に、相手の心も知らなければいけないのではないか、と言うのが、これから世の中で問われる可能性もあるなと思っています。


