教育

2026.09.23 22:16

学校での「AI禁止」が招く悲劇、貧富の差による「二重のデジタルデバイド」とは

Adobe Stock

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学校でのAI禁止は、子どもを守る賢明な策に見えるかもしれない。しかし実際には、自宅のネット環境に恵まれない生徒から学習機会を奪い、将来の格差を固定化する「二重のデジタルデバイド」を生み出す恐れがある。リスクの回避ではなく、教育こそが解決策だ。

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新学期が始まり、全米の学校理事会ではおなじみの論争が繰り広げられている。しかし今回、議論の的となっているのは、近年の議会セッションや学校方針を席巻してきたスマートフォン禁止の広範な動きではない。人工知能(AI)であり、根本的には「誰が」それにアクセスできるか、という点だ。

一部の擁護団体は、K-12(幼稚園から高校まで)の教室におけるAI利用の即時かつ全面的な一時停止(モラトリアム)を求める保護者向けのテンプレートを提供し始めている。学齢期の子どもを持つ母親として、急速に変化するデジタル環境の未知のリスクから子どもたちを守りたいという本能は、痛いほどよくわかる。データプライバシー、アルゴリズムのバイアス、そして生徒の学び方の根本的な変化をめぐる不安は正当なものであり、真剣かつ思慮深い対応を要する。

しかし、こうした恐れに対して全面禁止で応じても、AIの時計の針を戻すことはできない。むしろ、アクセスと機会における壊滅的な失敗を制度的につくり出すことになると私は考えている。学校でAIを禁止しても、生徒がAIを使うことは止められない。ただ、どの生徒がAIを安全に、効果的に、倫理的に使う方法を学べるのかを決めてしまうだけである。教育者という信頼できる文脈のなかでデジタルリテラシーとAIリテラシーを育む能力と機会を制限することによって、私たちは二重のデジタルデバイドを生み出す瀬戸際に立っている。

これがなぜ危険なのかを理解するには、今日の米国における接続環境の現実を見る必要がある。Southern Education FoundationのEquity Assistance Center-Southが発表した最近の報告書は、InnovateEDUによるデータ分析を踏まえ、デジタルデバイドは消えたのではなく、単に姿を変えただけだと明らかにしている。私たちは教室を接続することには概ね成功したが、家庭の接続環境には依然として深刻な不平等が残っている。同報告書は、光ファイバー回線が農村部に延伸され、連邦政府と州政府の資金が数十億ドル規模で投入されているにもかかわらず、多くの家庭にとって費用負担とアクセスが克服困難な障壁であり続けていると強調する。全米では多くの家庭が根本的に接続されていないままであり、高速ブロードバンドにアクセスできない驚くほど多くの生徒が暮らしている。

こうした生徒たちにとって、インターネットは広く開かれた入り口ではなく、従量制の脆弱な接続である。通信速度の不安定さやデータ通信量の制限により、リソースのダウンロード、複雑なアプリケーションの実行、あるいはデジタル創作への参加はほぼ不可能だ。データプランが残り少ないスマートフォンでは、AIリテラシーを有意義に構築することも、アルゴリズムの出力を批判的に評価する方法を学ぶこともできない。

この排除の影響は、宿題を1つ提出できないという次元をはるかに超える。私たちは今日の生徒を不利にしているだけではない。明日の労働市場においても不利にしている。PwCの「Global AI Jobs Barometer」によると、高度なAIスキルを備えた労働者は現在、最大62%の賃金プレミアム(上乗せ)を得ている。労働市場に参入する若いプロフェッショナルにとって、これは極めて大きな経済的優位性を意味する。AIを禁止するとき、私たちは実質的に、十分な資源を持つ家庭の生徒だけがこの大きな賃金上昇を手にし、接続環境に恵まれない生徒を最も高給な職から恒久的に締め出すと決めているのである。

もし学区が一時停止の圧力に屈し、教室からAIを排除すれば、その影響は即座に、かつ不平等に現れる。自宅に信頼できる高速ブロードバンドと専用の個人用デバイスがある生徒は、これらのツールを探索し続けるだろう。彼らはAIを活用してアイデアを練り、コードを書き、経済が求めるAIリテラシーを静かに身につけていく。一方で、モバイル接続に依存している生徒は取り残される。彼らは、自宅に不可欠なブロードバンドインフラがなく、学校でもこれらの重要なスキルを学ぶための指導付きの学習体験を得られないという、「二重のデジタルデバイド」に苦しむことになる。

人工知能のリスクに対する解決策は、回避ではなく教育だ。正直に言えば、私自身も自分の子どもたちに対してこのテクノロジーをどのように適切に使わせるべきか、日々悩んでいる。それは気が遠くなるような作業だ。しかし同時に、親として、また教育者として私がすべきことは、子どもたちがこのテクノロジーを批判的に使いこなせるように育てることだと確信している。彼らは、インプットとアウトプットを問い直し、その限界を理解し、アルゴリズムが単にユーザーに迎合しているだけの状態を見抜く方法を学ぶ必要がある。そうすれば、私が彼らのすべてのデジタル利用に付き添えないときでも、彼らが自分自身を守れるようになるはずだ。

もし私たちが教室からAIリテラシーを排除すれば、かつて教育者がソーシャルメディアに対して犯したのと同じ過ちを繰り返すことになる。ソーシャルメディアを禁止し、学校の校門の外に追いやることで、私たちは生徒たちに、関与するための体系的な経験やデジタルリテラシー、スキル構築の機会を与えることなく、自力で対処することを強いてしまった。その放棄がもたらした悲惨な結果を私たちは見てきた。AIを禁止すれば、同様に破壊的な結果を招くことが予想される。

生徒がAIに触れ、それを理解するための最も安全で効果的な方法は、家庭で関与する保護者や教室で訓練を受けた専門家といった、信頼できる大人の導きの下に置くことである。しかし、家庭の接続環境はいまだ分断されており、すべての家庭にこれらのツールを一緒に探究するための通信容量やリソースがあるわけではない。そのため、学校環境は不可欠な平準化装置となる。保護者の関与の代替ではなく、リテラシーを育む機会を増やすものなのである。人工知能ツールは非常に強力だが、人間中心の学習経験と組み合わせて導入されたときに最も効果を発揮する。

私たちは、生徒の安全と技術革新のどちらかを選ばなければならないという誤った二分法を、根本から退けなければならない。テクノロジー政策とシステム変革の交差領域で20年以上働いてきたなかで、私は何度も、堅牢な安全の枠組みは進歩の敵ではなく、むしろ進歩を可能にするものだと見てきた。教育におけるAIについて、教育法を第一に置き、安全を設計段階から組み込む(セーフ・バイ・デザイン)アプローチを求めることは、十分に可能であり、必要でもある。明確な方針を定め、テクノロジーを選ぶ際にはエビデンスに基づく成果に注目し、あらゆる教育テクノロジーに対して実証可能な「指導へのリターン」を求めることで、AIを含むテクノロジーが学習プロセスに資するよう、より確実にすることができる。

AIの一時停止を求める声は、誤った安心感を与える一方で、それを最も必要としている生徒から機会を積極的に奪っている。引き算による安全を約束しているが、現実には、既存の不平等をさらに深めるだけに終わる可能性がある。

forbes.com 原文

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