しかしアップルとの特許紛争も抱えて業績が傾くと、HTCは2012年に保有株式の半分を、そして2013年には残りも手放した。Beatsは投資ファンドのカーライル・グループから5億ドルの出資を受けてHTCの持ち分を買い戻し、その翌年、2014年にアップルがBeatsを約30億ドルで買収することになる。この金額は、いまもアップルの買収案件としては最高額である。
10年たらずの間に、Beatsは紆余曲折を経て、そのつど「Beatsとは何なのか」を定義し直してきた。それでも、ブランドだけは残り続けた。
足かけ16年をBeatsとともに過ごしてきた男
さて、インタビューしたマシュー・コステロの経歴を振り返っておきたい。ものづくりの現場を一貫して歩んできた彼がBeatsと関わりはじめたのは、HTCの副社長兼COO(最高執行責任者)としてだった。HTCがBeatsに出資した2011年のことだ。2013年にはBeatsのCOOに就任し、翌2014年にアップルがBeatsを取得すると、アップルのハードウェアエンジニアリングおよびオペレーション担当バイスプレジデントとして、社内でBeatsブランドを率いてきた。
音楽カルチャーから生まれたBeatsにあって、彼はむしろ異色の経歴の持ち主と言える。
「この20年の歩みのほとんどに、このブランドの一員として関わってこられたのは幸運だった」
創業から数えて厳密に20年というわけではないにせよ、Beatsが最も不安定だった時期——親会社が二度替わり、製造の体制ごと組み替わっていった数年——を、経営とものづくりの両面でブランドとともに通過してきたことは間違いない。その激動期を支えた当人が、いまもアップルに残っている。
買収されたブランドの幹部が12年後もそのブランドを率いている例は、アップルに限らず多くない。たいていは統合の過程で、その役割・価値を買収した側が見失うか、あるいは自分自身の判断で去っていく。
アップルの資源を100%使い、別の製品を作る
アップルという会社は、事業部という組織を持っていない。1997年に復帰したスティーブ・ジョブズが最初に手をつけた仕事の1つが事業部制の解体で、以来この会社はデザイン、シリコン、オペレーションといった“機能”ごとに横串を通し、共通の基盤の上でものづくりを続けている。製品ごとの損益を担う事業部長がいないため、ハードウェアの会社を買収しても、そのままアップルのなかに溶けてしまう。
つまり、買収した技術やノウハウはアップルに残るが、ブランドとしての名前は消える運命ということだ。通常は……である。
ところがBeatsは、別のブランドとして12年の間、残り続けている。アップルのなかでBeatsがどう位置づけられているのか、コステロの説明は明快だった。
「Beatsという組織はシステム組織だ。プロダクトデザイン、メカニカルエンジニアリング、ハードウェアエンジニアリング。それ自体で独立した組織として立っている。そのうえで、アップルの中のあらゆるケイパビリティに完全にアクセスできる」
具体的には音響、無線、信頼性試験、環境試験、人間工学、材料科学などだ。


