わずか数分の間に世界が一変してしまうとき、リーダーシップとはどのような姿をしているのだろうか。
まず思い出すのは、あの日の空だ。2001年9月11日(火)のワシントンD.C.は、美しく澄み切った朝で始まった。これから起こる惨劇をいささかも予感させない、そんな秋の1日だった。当時、若き弁護士でありロビイストとしてキャピトル・ヒル(連邦議会議事堂)で働いていた私は、ユニオン駅へと急いでいた。当時のファーストレディだったローラ・ブッシュやテッド・ケネディ上院議員(民主党、マサチューセッツ州選出)が出席する教育公聴会のためにワシントンを訪れる、友人のレネー・アムーア(実業家、医療専門家、教育擁護活動家)を迎えに行くためだったが、時間に遅れそうになっていた。
急いでドアを出ようとしたとき、義理の姉から電話があり、テレビをつけるように言われた。いらだちながらテレビをつけ、『Today Show』にチャンネルを合わせた。数分後、私は2機目の飛行機が世界貿易センタービルに激突する瞬間を、リアルタイムで目撃した。膝が崩れ落ちた。何が起きているのかを瞬時に理解した。やがてポケベルが鳴り響き、ワシントン全域で通信障害が発生し始めた。
私はペンタゴン(国防総省)にほど近い場所に住んでいたため、77便が衝突した際の衝撃を肌で感じた。車の盗難防止アラームが一斉に鳴り響き、青空に向かって黒煙が立ち上った。下院政府改革・監視委員会でのかつての上司、バーバラ・オルソンがその飛行機に乗っていた。看護師である私の母は、ワシントン・ホスピタル・センターで働いており、ペンタゴンから搬送されてくる火傷を負った負傷者たちの治療にあたり始めていた。
午後になる頃には、通りから人影が消え、不気味な静寂が首都を包み込んでいた。25年が経った今でも、私はあの静寂を覚えている。しかし同時に、当時は完全には見えていなかった、ある事実も理解している。
9/11後、警告を発し、対応し、人々に寄り添い、再建を担い、そして説明責任を求めるうえで、女性たちは中心的な役割を果たしていたのだ。
彼女たちの物語は、危機に耐えうる組織を構築する責任を負う、すべてのリーダーにとって重要な教訓を与えてくれる。
教訓1:情報が不完全なときこそ、明確に伝える
客室乗務員のベティ・オンとマデリン・エイミー・スウィーニーは、アメリカン航空11便の機内で何が起きているのかを外部に伝えた最初の人物たちだった。9/11委員会報告書によると、彼女たちはハイジャック犯や機内の状況について、極めて重要な情報を伝達したという。
彼女たちは全体の状況を把握していたわけではなく、その把握を待つこともしなかった。想像を絶するプレッシャーの下で、極めて有益な情報を的確に伝え続けたのだ。
最初のリーダーシップの教訓は、危機に直面した際、完全な確証を待つのではなく、何が分かっていて何が分かっていないのかを明確に伝えることだ。通常のシステムが機能しなくなったとき、従業員は誰に連絡すべきかを知っていなければならない。緊急時のプロトコルは日常的に訓練され、単に役職の高い者だけでなく、問題の現場に最も近い人々がすぐにアクセスできるようになっている必要がある。
教訓2:人々に権限を与え、行動を促す
救助活動に対する世間のイメージは圧倒的に男性が多いが、女性たちもまた危険に向かって走り出していた。ニューヨーク市警察(NYPD)のモイラ・スミス巡査は南ビルの避難を支援した。港湾公社警察のキャシー・マッツァ警部と救急救命士のヤメル・メリノは、他者を救おうとして命を落とした。
同じ日の朝、首都空軍州兵で最初の女性戦闘機パイロットとなった当時26歳のヘザー・“ラッキー”・ペニー中尉は、ワシントンを脅かすハイジャック機を阻止する任務を受け、編隊長のマーク・サスヴィルとともに出撃した。搭乗したF-16戦闘機には実弾が装備されていなかったため、93便を阻止するには自機を体当たりさせるしかないことを彼らは理解していた。どちらも生還を予期しない任務だった。
彼らの勇気は、リーダーシップとはその瞬間が求めているときに、自ら進んで責任を引き受ける覚悟であるということを教えてくれる。
組織は「決断力のある人材」を求めると口では言うものの、重層的な承認プロセスを課し、従業員が単独で行動することを恐れさせるケースが少なくない。緊急事態においては、一瞬の躊躇が命取りになる。リーダーは権限を明確にし、状況判断の訓練を施し、意見を述べることをリスクではなく「責任」として位置づけなければならない。
教訓3:ケアを「不可欠なインフラ」として扱う
テロから10年後、私はフェリシア・トレイラー・バスについての記事を書いた。彼女はアフリカ系アメリカ人の女性で、妻であり、出産したばかりの母親でもあった。育児休暇から復帰したばかりの彼女は、体調不良で休んだ同僚の代理を務めるため、あの日の朝早くに出勤していた。北ビルで人事のプロフェッショナルとして働いていたフェリシアは、建物が衝突された後、夫のアンドリューに電話をかけた。それが最後の会話となった。
その後の数年間、アンドリューの長年の友人であったカレン・テイラーは、彼が深い悲しみを乗り越え、再び人生に心を開く手助けをした。カレンは、彼が失った母親の存在を消し去ることなく、フェリシアの幼い息子の母親となった。この家族は、組織がしばしば忘れてしまいがちなことを理解していた。回復(レジリエンス)とは、悲しみを消し去ることではない。記憶をとどめるための場所を確保しながら、人々が前を向いて進めるよう寄り添うことなのだ。
企業はシステムを復旧し、オフィスを再開することができる。しかし、真の業務継続計画(BCP)は、トラウマや病気、喪失感を抱える人々の存在を考慮しなければならない。それは、メンタルヘルスのサポート、思いやりのある忌引き制度、ケアギバー(介護・育児を担う人々)への柔軟な対応、そして危険にさらされた従業員に対する長期的な健康状態のモニタリングなどを意味する。
単なるオフィスの再開にとどまらない配慮を怠ったことの代償は、今もなお尾を引いている。「世界貿易センター健康プログラム」は現在、テロの有害な事後影響にさらされた15万4000人以上の救助要員や生存者を対象に支援を行っている。プログラムの登録メンバーのうち、9200人以上が亡くなっているが、プログラムへの登録自体が、すべての死亡原因が9/11関連の病状によるものであると証明するものではない。
ビジネスの再開は、真の意味での回復と同じではない。リーダーは、単にどれほど早くオフィスの扉を再び開けたかではなく、人々の長期的なウェルビーイング(心身の健康と幸福)によって回復の度合いを測るべきなのだ。
教訓4:説明責任を求め、組織の記憶を継承する
「ジャージー・ガールズ」として知られる4人の未亡人、クリステン・ブライトワイザー、パティ・カサッツァ、ミンディ・クラインバーグ、そしてロリー・ヴァン・オーケンは、独立調査委員会の設立を後押しした。彼女たちは9/11以前に生じた組織的失敗を検証し、厳しい質問を投げかけ、組織的な抵抗によって調査が打ち切られることを決して許さなかった。
彼女たちが残した教訓もまた極めて重要である。すなわち、説明責任を求めることは、組織への不忠を意味しない。それこそが、組織が学ぶ唯一の方法なのだ。
直接の記憶が薄れつつある今、このことはさらに重要性を増している。ピュー・リサーチ・センターの新しいデータによると、2001年以前に生まれた成人の83%が、ニュースを聞いたときに自分がどこにいて、何をしていたかを正確に記憶している。しかし、成人の10%は2001年以降に生まれており、彼らにとって9/11は他者から教わった知識でしかない。
あらゆる組織が、いずれはこの課題に直面することになる。決定的な危機を経験した人々は退職し、組織を去り、あるいは世を去っていく。その知見が文書化され、教育され、検証されない限り、苦労して得た教訓は消えてしまう。サクセッションプラン(後継者育成計画)とは、単にリーダーの後任を決めるだけのものではない。記憶と経験を継承することなのだ。
結論
9/11を経験した女性たちの全員が制服を着ていたわけではない。全員が肩書を持つ指導者だったわけでもない。ある者は上空から情報を発信し、ある者は燃え盛るビルへと駆け込み、ある者は負傷者や遺族に寄り添った。そしてまたある者は、国内で最も強大な権力を持つ組織に対して真実を要求した。
彼女たちは、高い能力、勇気、思いやり、そして説明責任を通じて人々を導いたのだ。
25年が経過した今、彼女たちを称えるということは、単にその名前を記憶にとどめること以上の意味を持つ。それは、彼女たちのリーダーシップを反映した職場や組織を築くことだ。危機の前に人々を備えさせ、いざ危機が訪れたときには彼らを信頼し、ニュースの熱が冷めた後も長く寄り添い続ける。そして、二度と繰り返してはならない教訓を学ぶ勇気を持つこと。それこそが、彼女たちを真に称える道なのだ。



