これと関連して、ひげが「十分に信頼性の高いシグナル」に値するか、という議論がある。「信頼性が高い」とはつまり、偽装するにはコスト(代償)が高すぎるため、偽装ができないシグナルのことだ。確かに、すべてのひげを生やすには、何年にもわたってアンドロゲンへの曝露(ばくろ)が必要であり、10代の少年がこれを偽るのは不可能だ。しかし、ひげを維持することにはほとんどコストはかからず、ひげを剃るのも数分で済んでしまう。そのため、ひげは自らの弱点をあえて晒すことで強さを示すハンディキャップシグナルとしては奇妙なものとなっている。
そしてもう一つ触れておくべきは、ひげの伸び方は、一般的な枠組みで思われているよりもはるかに「人によって違う」ことだ。ひげの密度は遺伝性が強く、異なる人口集団の間で違いが認められる。例えば、東アジアやアメリカ先住民の男性では、顔に生える毛は一般的にまばらだ。この特徴の一部は、「EDAR」と呼ばれる遺伝子の、アジア系の人々に共通するタイプに起源がある。
2016年に『Nature Communications』に掲載された研究では、延べ6000人以上を対象に、毛髪および「顔に生える毛」に関するゲノムをスキャンした。その結果、これまで特定されたなかで最も強い、ひげの濃さに関する遺伝シグナルが発見された。しかも同じ遺伝子は、頭髪や汗腺、歯の形を決めていた。つまり顔のひげは、他の目的のために進化してきた発生メカニズムに乗っているということになる。
そして最後にもう一つ、頻繁に話題になるテーマを取り上げよう。実は、ひげを剃ったからといって、そのあと生えてくるひげがさらに濃くなる、ということはない。ひげの毛の幅が広いところにカミソリが入ると、毛先がプツンと切られた状態になり、先が細くなった断面よりも太い印象になるが、皮膚のなかで実際に毛を生み出している毛包には、何の影響も及ぼさない。
興味深いのは、ひげという形質と、それがもつ意味との間にあるギャップだ。物理的にだけ見れば、ひげは人類の進化の歴史のなかでほとんど変わっていない。しかし、ひげが語るメッセージは、時代を通じて繰り返し変わってきた。
きれいにひげを剃っていた古代ローマの兵士から、「ウィスカー」と呼ばれる頬ひげの出来栄えを競ったヴィクトリア時代の紳士まで、実に多岐にわたる。さらに20世紀に入っても、ホワイトカラーのオフィスでは、ひげのないツルンとしたあごが、採用の条件になっていた。
生物学の研究は「シグナル」を提供してきた。だが、それがどういう意味を持つのかについては、常にわれわれに委ねられてきたのだ。


