アート

2026.09.23 14:15

堤清二が残した「渋谷西武」というカルチャー 街をつくり、アートに情熱を注いだ男の美学

ジョージ・シーガル作「通勤者」(stock-enjoy/Shutterstock.com)

ジョージ・シーガル作「通勤者」(stock-enjoy/Shutterstock.com)

ビジネスとアートが交わるとき、そこには経済や社会を変える原動力が生まれる──。政財界の要人に関する重厚なノンフィクション作品を世に送り出してきた作家、児玉博による新連載「児玉博のINSIDE ART」。数々の取材を通して得たアートにまつわる秘話や、ビジネスのヒントになるエピソードなど、アートとそれに関わる人々の内側に隠れた真実のドラマを描き出す。

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初回は、セゾングループ創始者の堤清二。彼が赤字を出してまで貫いたアートへの情熱と、渋谷に残した文化の真価とは。

渋谷西武閉店、蘇る「堤清二の洗礼」

時代の象徴だったデパートが幕を閉じる。9月30日で閉店する「渋谷西武」だ。時代の終焉を思うとき、私の脳裏に浮かぶのは、やはり堤清二その人だった。堤清二はその本名以外に、小説家、詩人としての辻井喬という顔をもち合わせていた。とらえどころが難しい人物だと思われていたが、経済人としても、文人としても名を残す稀有な人生を歩んだ人だった。

彼は西武鉄道を軸に、一代にして西武グループを築いた堤康次郎の長男として生まれたが、康次郎の遺言により、グループの中核である西武鉄道、プリンスホテル、国土計画の事業を継承したのは、異母弟の堤義明だった。長男に残されたのは当時、木造二階建ての百貨店「池袋西武」だけ。場末の街と言われていた池袋にある、普通の百貨店だった。清二が事業を継ぐと、池袋西武の経営は安定した。

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しかし、その未来にさして光はなかった。ロサンゼルス店の赤字、池袋西武の火災による巨額な欠損を埋めるために、堤清二が乾坤一擲、自らの経済人人生をかけて進出したのが渋谷だった。渋谷に進出した堤は、渋谷西武に隣接する、「区役所通り」と呼ばれ、不便とされていた坂道に、あえて「パルコ」「ロフト」を出店させた。店舗を“点”ではなく“面”としてとらえ、街そのものを変えた。この坂道はやがて「公園通り」と名を変え、若者たちの聖地となっていった。

渋谷西武、パルコ、ロフトを中心として堤清二が一代で築き上げた「セゾングループ」が時代を席巻したのが、1980年代だった。その真っ只中に高校、大学時代を過ごした私は、その文化的な洗礼を全身に浴びて育った。言うなれば、堤清二の洗礼だった。

なかでも、池袋西武にあった「西武美術館(後のセゾン美術館)」の存在は、圧倒的だった。後に私は生前の堤清二に10数時間に及ぶインタビューを行い、その結実として『堤清二 罪と業』(文藝春秋)という単行本を出版する。その際に面会した堤の側近だったある幹部は、西武美術館についてこんなことを教えてくれた。当時の池袋西武は、どのフロアも年間120億円以上を売り上げていた。それをまるまる1階分潰して、年間10億円以上の赤字を出しながら続けたのが西武美術館だった、と。

そこには毎回、煌めくような作品が並んでいた。西武美術館に行くというだけで、私の心臓は高鳴った。カンディンスキー、ジャスパー・ジョーンズ、エゴン・シーレ。ヨーゼフ・ボイス、ジョージ・シーガル……。永遠に語り継がれる作品が、数多く展示されていた。

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文=児玉 博

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