前澤さん、面白いところを突いてきましたね。ケーキという題材もさることながら、「口実」に踏み込んでいるのは興味深いです。
「今日は頑張ったから」「今日は、ちょっと良いことがあったから」と話しながら、普段より高いお酒を飲むことや食事をすることがあります。SNSでよく見かける台詞なら「自分へのご褒美」です。もちろん、自分へのご褒美としてケーキが使われることもあるでしょうが、どちらかといえばベクトルは外に向かっている、というのがケーキに対する印象です。
前澤さんの「『誰かと食べるのもの』というイメージが与える幸福感かもしれません」というフレーズには、多くの人が同意すると思います。「訪問の口実、集まりの口実、実家に帰る口実、仲直りの口実、何でもない平日を少しだけ特別にする口実」のメディアとしてケーキが大活躍してきた。しかし、街のケーキ屋さんの減少でそこの駒が少なくなっている──前澤さんの妹さんの嘆きは、この点ですよね。
ただし、妹さんは、そこに肯定的なぬくもりを思い出し、前澤さん自身はケーキを「絆創膏」的なニュアンスで捉え、妹さんとは若干異なったアングルから見ています。いずれせよ、人間関係の微調整役であったのは確かで、コンビニスイーツには荷が重いと理解しました。
ここで、ひとつのことを想起しました。日本のテレビドラマを見ていて気になるのが、自動販売機の缶コーヒーです。他人、特に会社の同僚や部下に渡し、心をひらいて相談してもらえれば受け止めるよ、というシグナルとして缶コーヒーが頻繁に使われます。場所は休憩室、屋上、近くの公園ベンチが多いです。場合によっては居酒屋での生ビールにもなりますが、その手前の段階で缶コーヒーなのです。ペットボトルの水でもお茶でもない。
いつからこの手が多用されているのか記憶にないですが、このシーンにぼくが気づき始めた頃、「缶コーヒーでいいのか……」と感じました。でも、その手ごろさが、受け取る側にとっては「奢られる」とのプレッシャーにならず、理想的な潤滑剤のように描かれています。
一方的に、「ほい」と渡す。あの振る舞いが、社内でほんとうにあるのか知りませんが、神経細かいフリして、結構、雑ですよね。「ミルク入りしか、ふつう、飲まないのだけど……」ともらった人は思っているかもしれないのですから。それで、これが同居人との関係になると、夕方以降であれば缶ビールになる。あくまでも缶、です。
一方、昔のテレビドラマを思い出しても、「絆創膏」的役割としての和菓子もあまり記憶にないです。1950〜60年代の映画ならいざしらず、羹や大福が、あるいは煎餅がそのようには使われず、日常生活の雑談のおともであったように思います。


