ウォーキングは間接的にこの問題を回避する。学術誌『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』に2015年に掲載された研究では、緑豊かなところを歩いた人は、その後に反すう思考が減ったと報告し、一方、交通量の多い道路沿いを同じ時間だけ歩いた人にはその変化は見られなかった。
しかし、緑豊かな環境である必要はない。通常の都市部でのウォーキングと比較したとき、自然環境によって追加でもたらされる効果は、気分やウェルビーイング(持続的な幸福感)というよりは、反すう思考、不安、ストレスに現れる。あらゆる種類の運動は気分を向上させる傾向にある。ごく普通の住宅街を歩くだけでもやはり効果はあるのだ。
さらに、より重要な役割を果たす可能性のあるもう1つのメカニズムがある。それは、やる気が出てから行動するのではなく、やる気が出る前に行動することだ。学術誌『コクラン・データベース・オブ・システマティック・レビュー』に2020年に掲載されたレビューによると、この行動活性化は、成人のうつに対して他の心理療法とほぼ同程度の効果があるとされる。外出する気になるまで待つことが、人を屋内にとどめてしまう原因といえる。なぜなら「外出したい」という気分は、実際に外へ出ることで生まれるからだ。
3. 誰かの隣にいる喜び
私たちは、人との本当のつながりは向かい合って目を合わせ、相手に全神経を向けることで生まれると思いがちだ。しかし意外なことに、お互いが相手以外の何かに目を向けている時でも、隣り合っていても率直な会話は生まれる。
その理由の1つは、長く目を合わせ続けると気後れを招き、目を合わせることを減らすことで言葉を見つけやすくなるからだ。10代の若者が車の助手席ではよく本音を打ち明けるのに、食卓を挟んで向かい合うと黙り込んでしまうことが多い理由は、こうしたところにもあるのかもしれない。
もう1つの理由は身体的なものだ。学術誌『パーソナリティ・アンド・ソーシャル・サイコロジー・レビュー』に2025年に掲載されたレビューでは、他の人と歩調を合わせることの主な機能として、社会的なつながりの強化が挙げられている。しかし同時に、その効果がどの程度、人々の期待によって引き起こされているかについても現在まで議論が続いている。
また、散歩は気楽に会話する場でもある。散歩はいずれ自然に終わるため、別れる前に何かを解決する必要はない。そして、誰かを散歩に誘うことには「話をしよう」と持ちかけるときのような重々しさがない。
沈黙の意味も違う。テーブルを挟んで長い沈黙が続けば、何か問題が生じたように感じるが、散歩中の沈黙は単に誰も話していない時間にすぎず、多くの場合、会話は自然に再開するのだ。


