すべての空白の瞬間がすぐに新しい情報で満たされてしまうと、脳がすでに持っている情報の中をさまよう機会は減少する。
忙しさは思考のように見える
これは職場で特に問題となる。なぜなら、思考は観察しにくいからだ。
タイピングは仕事に見える。会議での発言もメールへの返信も、仕事に見える。
だが、窓の外をぼんやり眺めている姿は、とても仕事をしているようには見えない。
静かに遠くを見つめている部下のそばを通りかかったマネージャーが、彼らは何をしているのだろうと疑問に思うのは無理もない。しかし、その従業員は、その日の朝に50通目のメールを送信している誰よりも、会社の最大の課題について深く考えている可能性があるのだ。
知識労働は、目に見える活動が生産性の証拠であるという考え方を含め、肉体労働から多くの前提を引き継いでいる。
その結果、私たちは人々が常に何かをしている環境を作り出すのが非常に得意になった。
カレンダーは会議で埋まり、コミュニケーションツールは果てしないメッセージの流れを生み出す。従業員は1日中、様々なアプリケーションの間を行き来する。10分間の余裕ができれば、そこに入り込むだけの十分に小さな仕事が常に存在する。
これらの活動がいずれも必ずしも無意味というわけではない。問題はそれが積み重なることだ。
1日のスケジュールが完全に埋まっている一方で、考える時間はほとんど含まれていない、ということが起こり得る。
創造性には素材と空間が必要だ
重要な前提条件がある。それは、単に何もしないだけで創造性が高まるわけではない、ということだ。
優れたアイデアには素材が必要だ。
科学者にはその分野の知識が必要であり、戦略家にはビジネスへの理解が、作家には経験と観察、そして言語が必要だ。創造性とは多くの場合、既存の情報をこれまでにない明らかな方法で組み合わせる作業を伴う。
つまり、より良いアイデアを生み出すには、少なくともインプットとプロセシング(処理)という2つの要素がある。
現代の職場は、前者が極めて得意である。
従業員は、歴史上のどの時点よりも多くの情報にアクセスできる。レポート、ダッシュボード、記事、メッセージ、プレゼンテーション、AIが生成した要約、専門家の解説などがほぼ瞬時に届く。
不足しているのは、情報を消化・整理する「処理(プロセシング)」の時間なのかもしれない。
私たちは、その情報を使って何か興味深いことを行うための思考の余白を十分に作ることなく、情報を追加し続けている。


