25歳以下の創業者3人を結んだスタンフォードとOpenAIでの経験
パティルは、インド系移民の両親のもと、テキサス州オースティンで育った。両親は小児科医とハードウェア技術者で、父はパティルが子どものころ、QualcommとArmで回路設計や電力設計に携わっていた。テクノロジー分野へ進んだのは、現在バイオ技術新興企業Chai Discoveryで技術者を務める兄ニールのようになりたかったためだ。
新型コロナウイルスの感染が拡大した時期、高校生だったパティルは兄とHelping Handsというプログラムを開発した。買い物や薬の受け取りなどで支援を必要とする人と、それを代行できる健康な人を結び付ける仕組みだった。
ダラスで育ったガルグは高校時代のハッカソンを通じて技術に関心を持った。ノースカロライナ州出身のリーは中学・高校時代を上海で過ごし、自動運転車の実演を見たことをきっかけに技術分野へ進んだ。
パティルが20歳でOpenAIに入り、ガルグとリーも後に続いた
3人はスタンフォード大学で友人になった。コンピューター科学を学んでいたパティルは、後に上司となるOpenAIのサム・アルトマンCEOと、アルトマンが自宅で開いたスタンフォード工学部生向けの夕食会で出会った。
「とても緊張して、話せなかった。最後に『ハイ、ハロー』と言ったくらいだったかもしれない」とパティルは振り返る。
数カ月後にOpenAIがChatGPTを公開すると、パティルも世界中の多くの人と同様にChatGPTの技術に魅了された。誕生間もないチャットボットの開発に携わりたいとアルトマンへメールを送り、OpenAIの研修プログラムへの応募を勧められた。
20歳でOpenAIに入社したパティルはガルグを紹介し、ガルグがリーを紹介した。パティルは追加訓練の基盤と、後にCodexとなる取り組みを担当した。ガルグは推論モデル、リーは機械学習システムに携わった。
年齢の近さと共同生活が3人の結束をさらに強めた
3人はOpenAIの他の研究者よりかなり若かったこともあり、さらに親しくなった。パティルとガルグはサンフランシスコのOpenAI本社近くのアパートで同居し、近所に住んでいたリーも仕事後に訪れて一緒に過ごした。
スキー旅行中に登場したDeepSeek R1が3人の起業を後押しした
R1が公開されたとき、パティル、ガルグ、リーは偶然、タホ湖へ一緒にスキー旅行へ出ていた。3人はR1に夢中になり、滑走の合間もほぼ一日中R1について話した。R1の登場によって、オープンウェイトモデルはそれまで以上に大きな注目を集めた。
企業は最先端AIを捨てず、用途に応じて安価なモデルと使い分ける
パティルは、企業がOpenAIやアンソロピックの最先端モデルを捨て、全面的にオープンウェイトモデルへ移るとは考えていない。用途に応じて、高性能なモデルと安価なモデルを組み合わせて使うとみている。
費用効率を重視する企業が増え、オープンウェイトモデルが代替手段として実用的になりつつあることから、Applied Computeは自社に好機が訪れていると考えている。
午後10時でポーカー会を切り上げたApplied Computeの仕事優先ぶり
Kleiner PerkinsでApplied Computeへの投資を主導したパートナー、リー・マリー・ブラスウェルは2026年初め、同社が仕事へ集中する様子を目の当たりにした。
ポーカー愛好家のブラスウェルは、投資先企業とポーカー会を開くことでシリコンバレーではよく知られている。しかし、サンフランシスコのApplied Compute本社で開いた会は午後10時ごろに打ち切られた。
「会社側からオフィスを追い出されたのは、ここだけだ」とブラスウェルは笑う。「『仕事に戻らないといけない』と言われた」。


