食&酒

2026.09.03 16:15

飲食永遠のテーマ東京 vs 大阪と東京食「コスパ悪」構造、食のカリスマはこう斬る

(写真はイメージ画像)Adobe Stock

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東京の「コスパの悪さ」を生む構造

まず、「東京は高くて不味い店が存在し得る」という指摘について、その構造的な背景から考えてみましょう。

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東京、とりわけ都心部の飲食市場は、いわば立地資本主義とでも呼ぶべき強烈な構造的制約を帯びています。飲食店経営の根幹をなすFLRコスト、すなわち食材費(Food)、人件費(Labor)、家賃(Rent)の観点から見れば、都心一等地への出店は高額な家賃(R)という固定費を負うと同時に、苛烈な採用競争に伴う高水準な人件費(L)を受け入れることを意味します。

もちろん圧倒的なブランド力で高単価化を実現する高級店や、デジタル化で徹底的な省人化を図ることができる店舗、あるいは出店自体を広告宣伝と割り切る大手チェーンの旗艦店であれば、この構造を攻略することは可能でしょう。

しかし、十分な値上げや大幅な省人化投資が難しい一般的な店舗においては、高止まりするR(家賃)とL(人件費)の二重の圧力を回避する逃げ場が失われます。結果として、圧倒的な集客数による規模の経済で相殺できない限り、残るF(食材費)へ振り向けられる原資が構造的に圧迫されざるを得ない、という厳しい現実に直面することになります。

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「一度きりの利用客」という広大な市場

都心の一等地に、一斉スタートで2回転、客単価5万円という給食のような高級店が成立してしまうのも、この同じ構造の延長線上にあります。もっとも、この手の店があまりに多く存在するがゆえに、客側も「まあ、こういうものか」とある種の不感症になっている面も否めません。

話をややこしくしているのが、都心部には絶えず新しい客が流入し続けるという点です。観光客やビジネス客が一度きりの利用として広大な市場を形成しているため、たとえリピーターを一切獲得できない店であっても、立地の良さと途切れない新規客(酔客?)の存在によって、事業がなんとなく継続できてしまう。この構造的な寛容さこそが、質の低い料理を高い価格で提供する店を都市の中で生き延びさせる要因にもなっています。東京に「高いのに不味い店」「不味いのに行列ができる店」が一定数存在し得るのは、こうした背景があるからだと私は考えています。

誤解のないように付け加えておくと、これは「不味くても許されるほど東京人の味覚が音痴である」という話では決してありません。リピーターを一切当てにしなくても、一見客だけで何となくビジネスとして成立してしまう、そういう魔力が東京という都市そのものに備わっている、ということです。

こうした構造の帰結として、客が支払う総額のうち純粋な食材そのものへの対価に充てられるコストの割合、すなわち直接材料費率はどうしても低く抑え込まれがちになります。

ただし、これは何も東京全体に当てはまる話ではありません。千代田・中央・港のような都心部と、それ以外の23区・多摩地域とでは事情はまったく異なりますし、都心部の中でさえ価値観が統一されているわけではなく、まさに「店による」としか言いようのない状態です。一概に「東京の食は〜」と決めつけるのではなく、まだら模様の生態系として理解しておく必要があります。

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文=タケマシュラン 編集=石井節子

連載

グルメインフルエンサー「タケマシュラン」の食哲学

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