アーティスト、デザイナー、キュレーター、パフォーマー、ゲームエンジニア。国内外から訪れる多くの人々で賑わう京都。その中には、観光ではなく京都ならではの文化や風景に魅せられて、創作や研究を目的とした多様なクリエイターたちの姿がある。
彼らを一定期間受け入れる拠点を設け、創作や研究活動を支援する取り組みは、一般にアーティスト・イン・レジデンスと呼ばれ、行政、民間が主体となりそれぞれ特色を出して運営している。京都市近郊では、京都芸術センターが中心となって展開してきた例があるが、受け入れ対象が美術や演劇といった芸術分野に留まっており、幅広い分野を受け入れるノウハウを持った受け皿(レジデンス)やその担い手が不足している。それゆえに、京都に来ても地域住民や京都在住のクリエイターらとの交流が十分とは言い切れず、地域活性化や成長に繋がりにくいなどの課題が残されていた。
そこで京都市は、これらの課題解消につなげようと「*** in Residence(アスタリスク・イン・レジデンス)」プロジェクトを2024年度の新規事業として始動させた。レジデンスや媒介となるコーディネーターらをつなぐネットワークをつくり、ノウハウなども含めて共有し、受け皿を増やす仕組みをつくる。それにより、国内外のクリエイティブな関係人口を増やして相互に刺激を与え合う環境をつくり、大切に培ってきた文化の維持継承、新たな価値の創出につなげるのが狙いだ。京都のまち全体の創造性を高めたいという。
多様な交流が行き交う様を、同年2月に京都市長に就任した松井孝治氏は「京都は、多種多様な人材や技術、産業などを千年の歴史の中で交じり合わせてきたことにより、豊穣な文化を創り出してきた『ぬか床』のような醸成力が強み」と例えた。「クリエイティブ人材の才能を京都のコミュニティに混ぜ合わせ、京都の文化をアップデートしていきたい。そのぬか床のお世話をするのが自分の仕事だ」(松井市長)と、力を込める。ぬか床としての京都に入り、創作や交流を通じて“発酵”し、新たな文化的成熟をもたらすのがクリエイティブ領域に身を置く人たちというわけだ。
「*** in Residence」のモデル事業に参画する、一般社団法人パースペクティブ共同代表・高室幸子氏(以下、高室)は京都市から北西部ですでにレジデンス事業を営んでいる。では、京都はどんな受け皿で、彼らをどう迎え入れるのか――。実践者である高室に話を聞いた。
平安京をつくった材料の源、京北エリアで
京都市街地から車を走らせること1時間。中山間地域・京北に、パースペクティブの拠点はある。京都を流れる一級水系・桂川の源流域にある京北エリアには、田畑が広がる中に家屋が点在し、周囲には天童山などの山々が見渡せる自然豊かな場所だ。このエリアに、パースペクティブは3つの拠点を設けて活動している。
「クリエイターやリサーチャーの滞在先として築110年の古民家を改装したレジデンス、伝統工芸の職人(指物師と木地師)が常駐するシェア工房、市有林の一部にある工藝の森の3つです。レジデンス事業の活動内容としては、滞在者のニーズに合わせたコンサルテーション、必要なサポートもしています。京北や京都市街地でフィールドワークをしたり、京北で暮らす人々、職人などをご紹介したり……これまで、フランス人の工芸アーティストやオーストラリア人の美術研究者、国内の染色アーティストやパフォーマーなど計6組を受け入れました」
もともと京都市内で工芸コーディネーターとして活動していたという代表の高室。工芸は、地域の風土と切っても切り離せないものと考え、自然関係と人の関わりや営みに着目していた。
「工芸と聞くと、工芸品=モノを想像すると思いますが、そのモノの背景には、素材(材料)があり、それを育む自然環境があり、そこから材料を得る人がいて、加工する職人、運ぶ人、修理する人がいて……こうして、自然と人が織りなす一連のつながりを見出すことができるのです。私はこの複雑で相互に依存する関係性を、生物学的な意味での生態系になぞらえて、工芸そのものが多くの人や自然の関与によって成り立つ一種の『生態系』だと捉えています。」
市街地から京北へ移り住んだのは2019年。京都市の老舗漆メーカー「堤浅吉漆店」の4代目・堤卓也と共にパースペクティブを共同設立したのも同年だ。高室は「強い思いがあったのではなくて、当初は軽い気持ちで移り住んだんですけれど」と笑うが、工芸から見出した「自然との相互関係」の考えのもとで京北で暮らすなかで、京北という地域の持つアイデンティティを強く実感していったという。
「京北は、1000年以上前から良質な木材の生産地。かつて平安京が創設された際も、京北の木々が建築材として使われました。そして、その膨大な量の木々を運ぶのに使ったのが、桂川。筏(いかだ)流しで都まで運ばれたのです。このように、工芸だけでなく、街の暮らし、産業、文化などの歴史、発展に自然環境は大きく寄与してきました。滞在者は、この京北に身を置くことで、暮らしや文化を支えてきたものへの深い思索、探求に繋げるインスピレーションを得られるはずです」
「流域視点」で京都を歩き、ひらめきを得る
高室のコーディネートにはユニークな視点がある。川や水路、地下水といった水の流れから、京都の自然・文化・都市を捉え直すという「流域視点」がそれだ。「建築木材の運搬に桂川(水流)が寄与したことをお話しましたが、『水・流域』は、自然・文化・都市の成り立ちに大きく関わるキーワードだと考えているんですね。『流域視点』をテーマにしたこのプログラムは、人類学的な視点を取り入れたフィールドワークをメインに行います。レジデンシーも教育プログラムも、桂川流域の全体、つまり京北から京都市街地までを広範囲に、フィールドと捉えているんです」
流域で地域を捉える視点を、高室は独自の教育プログラムを展開している。その学びの中身もまたダイナミックだ。
「工芸だけでなく、造園、茶道、仏教、神道など、伝統的な異なるジャンルの実践者との交流を通じて、それぞれの領域で培われた知恵を理解していきます。さらに、水を手掛かりにした街のガイドウォークを掛け合わせることによって、産業の栄枯盛衰や、水がもたらした社会格差も見えてきます。伝統文化が培った思想や抽象的な概念と、詳しい人と巡れば見えてくるような街の具体的な事象を行ったり来たりすることで、街や文化の見え方が変わっていきます。既存のフレームワークや視点を取り払い、従来とは異なる視座に立つことが目的です」
教育プログラムでもレジデンス事業でも、肝となるフィールドワークを通じて得られる視座やインスピレーションを糧に、レジデンスに中長期で滞在することでアウトプットにつなげることができる。こうした展開を狙っていると高室は語る。独自の視点や技能、表現方法をもったクリエイターが京北地域へ何らかの価値を還元し、地域に混ざり込むことで新たな価値を生む。このようにして“生態系”が豊かになることに、高室は期待を寄せているのだ。
「地域の人々が受け入れたクリエイターたちと心の関わりを持てるように、引き続きしっかりとコミュニケーションを取りながら、ナビゲートしていきたいです。経営面もちゃんと考えつつも、地域が受け継いできた財産を、外から来られるクリエイターの力を借りて次の世代に受け継ぐことができるように考えていきたい。クリエイターを受け入れるという緊張感と責任は持ちながら、積極的に関わっていきたいですね」
深い相互理解の伴ったネットワークづくりを
京都市が進める「*** in Residence」には、高室のほかにも、建築、スタートアップ、文学などそれぞれ出自の異なるレジデンス事業者や経営者などがモデル事業に参画する。こうしたレジデンス同士のネットワーク化が前進すれば、クリエイターたちの多様なニーズを拾い上げながら、それぞれにふさわしい創作環境へとつなげることが可能になる。「京都には、それぞれ個性や専門分野の異なるコンセプトレベルで個性が異なるレジデンスが多くあります。お互いに理解し合って、繋がることがカギになるでしょうね。そうでないと、求められることに対して、それぞれの価値や個性を生かしにくいですよね。小さいレジデンスは個性があるから面白い。適材適所で迎え入れる場づくりが大切なように思うんです」と、高室は先を見通す。
京都市の担当者も「クリエイターや起業家など、世界中の多様な人たちに京都が選ばれ、集まり、地域の方々や歴史ある文化、美しい自然などに触れることにより、新しい感覚で何かを生み出すきっかけを作りたい。その新しい価値が、経済、福祉・子育てやまちづくりなど、様々な分野に良い影響を与え、京都の魅力が高まっていく未来を目指したい」と意欲的だ。
伝統文化が根付くぬか床としての京都に、クリエイターが根付き、地域と反応して“発酵”すれば、どんな旨みが引き出されるのだろうか。新しい美味との出会いを期待したい。
*** in Residence
https://nine-raven-7f3.notion.site/in-Residence-Kyoto-12d244a9faec802aafa7ffd4fce6e152
たかむろ・さちこ◎一般社団法人パースペクティブ共同代表。工芸は日本の社会、価値観、意識を映し出す「鏡」であると位置づけ、教育プログラムやツアーを企画。複数の大学と協働し、モノづくりと生態系、暮らしのつながりを紐解く研究調査に携わる。