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2024.11.20 16:00

時計師と漆屋をつないだ「修復と継承の美学」。ラグジュアリーとは、共に時を刻むこと。

控えめでうつくしい時計を世に放ち、ここ数年で一気に頭角を現した「パルミジャーニ・フルリエ」。彼らが称する「プライベート・ラグジュアリー」とはなんなのか。同社が協賛したForbesJAPANカルチャープレナーアワードの開催地・京都市で、1世紀以上続く漆精製の「堤淺吉漆店」の4代目・堤卓也と共に考えると、ある共通点が見えた。

パルミジャーニ・フルリエは1996年、スイスで誕生した高級時計メゾンだ。数々の傑作タイムピースやオートマタの修復を手がけ「神の手を持つ時計師」と賞賛されたミシェル・パルミジャーニの名を冠する。彼にコレクションの管理・修復を任せていたサンド・ファミリー財団の支援を受けて生まれた。グループ内に5つ、それぞれが卓越した技術力を有するサプライヤーを傘下に持つのが特長だ。

ブランドによると、ミシェルはもともと時計師でありながら、より高度な技術が要求される修復師でもあった。「修復」とは、壊れた部分の機能を復活させるだけの修繕や修理とは異なり、制作された当時のままに復元する作業を指す。これもまた、ブランドの特長を表すひとつの側面だ。

修復師は、時計や機械仕掛けのからくり装置など、目の前にある手がける対象を分解する前の仕事が重要なのだという。その物の制作者、制作された時代などを精緻に調べ上げ膨大な制作資料を整える。
創業者のミシェル・パルミジャーニ(左)と彼が修復を手がけたオートマタ(パルミジャー二・フルリエ提供)

創業者のミシェル・パルミジャーニ(左)と彼が修復を手がけたオートマタ(パルミジャー二・フルリエ提供)

下準備に時間をかけるのは、作品の全貌がわからないまま分解してしまうと、取り返しのつかないことになる可能性があるから。修復をする対象物は100年、200年以上前に造られたものも少なくない。修復師は手がける機械仕掛けのその作品の設計や装飾に、その作品の命の歴史、制作者の知識と技術を見るのだという。

半ば当然、修復師本人の作風を付与したり、新たな機構をアップデートしたりすることは許されない。作者に敬意を払い、自分の仕事を前に出さないというミシェル・パルミジャーニの奥ゆかしさをブランドの価値として表現に落とし込んだのが、2021年にCEOに就任したグイド・テレーニだ。彼の就任以降、パルミジャーニ・フルリエは、修復の美学を自らのプロダクトに宿すようになった。

世界最古の天然塗料は存続の危機にある

一般には輪島塗りなどの漆器として親しまれ、工芸品のみならず、家具や壁材、楽器の塗装、神社仏閣の修繕などに用いられてきた漆。古くは縄文時代に用いられていたことがわかっており、日本人には馴染み深い素材だ。現代では、金粉などで仕上げる「金継ぎ」が、サステイナビリティやアップサイクルといった価値観が市井に広がるにつれ、世界から注目を集めるまでになっている。

そんな漆を用途に合わせて精製するメーカーとして、明治42年(1909年)に京都で創業したのが、堤淺吉漆店だ。堤卓也はその4代目。大学卒業後に会社員として働いていたが、約20年前、父から突然の電話を受けたことを機に家業に入り、今に至っている。


幼い頃、工房は遊び場だったという堤。いたるところに長年受け継いできた道具が並ぶ。

精製は、まずウルシの樹木の表面を掻いて傷をつけ、滲み出てくる樹液を集めるところから始まる。この状態「荒味漆(あらみうるし)」を濾過すると「生漆(きうるし)」ができる。生漆を漆の粒子を均一にしたり(ナヤシ)、熱を加えながら水分量を調節したり(クロメ)することで、精製漆が出来上がる。堤淺吉漆店では、用途、湿度や使われる場所の環境などを考慮して、オーダーメイドの漆を精製している。

天然の素材とあって、漆は採取した場所や時季によって、そもそも粘度や色味が異なり「性格が出る」。さらには湿度や天候、季節によっても扱い方が変わるデリケートな素材なのだそうだ。このため、一連の工程には職人的な肌感覚が要求されるという。


上:カフェオレ色の生漆は、空気に触れると即座に色が濃く変色し始める。下左:国産の生漆の貯蔵庫。一定温度に保たれている。下右上:ウルシ掻きは樹を痛めないように、数日置きながら進められる。下右下:代々受け継がれるクロメ用の機械。艶やかな色味を放っている。

漆のおもしろさにのめり込むうち、堤は漆の存続の危機を意識するようになる。

「国内で漆は今、消費量が激減しているんですね。僕が生まれたころには日本での消費量は500トン近くあったのに、店に帰ってきた時は100トンに、今は23トンにまで減りました。この中でも国産漆は全体の5%ほどで、残りは中国からの輸入に頼っています。しかし、中国の職人も高齢化している。このままでは、10年持たないかもしれない。この危機感から、2016年に活動を始めました」。

その活動は、題して「うるしのいっぽ」。漆の魅力や現状を伝えるため、冊子や映像などを制作したほか、中でもユニークな漆の使い道として耳目を集めたのが「漆を塗ったサーフボード」だ。自身がサーファーである堤が企画したもので、その制作過程を追ったドキュメンタリーフィルムも制作、国外でも高い評価を得て存在感を高めた。

サーフボードだけでなく、自転車やスケートボードといった意外な物たちにも漆を施し、その用途の意外さと多様さを表現するだけでなく、錆止めなど機能性をもカバーしたものづくりを展開する。堤の活動は、危機にある漆の現在地と可能性を伝えるものとなっているのだ。



上:工房の隣に新設した活動拠点「Und.」。拭き漆や金継ぎの体験プログラムなども実施している。下:漆を塗ったサーフボードと、フレームに漆を塗った自転車。暮らしや遊びに漆を拡張させたものづくりだ。

両者に流れる「修復と継承」

古来から日本人の生活に馴染み深い漆が、衰退の危機に直面しているーー。その価値を次世代へと継承しようとする堤の姿は、1970年代のミシェル・パルミジャーニに重なる。スイスの時計業界が「クォーツショック」に直面したころだ。今でこそ一般的なクォーツ時計は、戦後から1980年代にかけて、一気に世界を席巻した。この旗振り役となったのがSEIKOだ。クオーツ電池が腕時計に取り入れられ、世界中で一気に広まりを見せたのだ。

これにより、伝統あるスイスの時計産業は大打撃を受け、業界は衰退。機械式時計が存続の危機に立たされた。一方で、ミシェル・パルミジャーニが自身の工房、ムジュール・エ・アール・デュ・タン社を立ち上げたのはこのショックの最中、1976年のことだった。

工房を立ち上げるまで、ミシェル・パルミジャーニ本人は時計師になるか、建築家になるかで将来を決めかねていたのだという。しかし、この危機によって時計師になると決めたそうだ。あえて伝統を守る側についたのは、自身が手掛けてきた歴史ある機械仕掛けの伝統産業を消すわけにはいかないとの使命感によるものだったという。修復する価値のある、永続させる価値のある時計をつくるとは、今やブランドの重要なミッションになっている。

未来に修復する価値を見出せるものづくりには、堤も深く共感を示す。
若い頃のミシェル・パルミジャーニ。工房を立ち上げた後も貴重なアンティーク時計を修復し続け、実績を積み上げて行った。(パルミジャー二・フルリエ提供)

若い頃のミシェル・パルミジャーニ。工房を立ち上げた後も貴重なアンティーク時計を修復し続け、実績を積み上げて行った。(パルミジャー二・フルリエ提供)

「歴史を伝えられるものを修復する際、職人は燃えると思うんです。この後で修復される時にも、恥ずかしくない仕事をしようと。それで、僕らは材料屋です。修復の現場にいる職人を支える立場にいます。だからこそ、潰れちゃいけない。漆がつないできた文化にとって、自分たちに何ができるかを考えています」。

そう語る堤は代々受け継ぐ工房に、自分の祖父の姿を見ている。幼い頃、堤はこの工房にいる祖父の元へ遊びに出かけていた。

「祖父は、竹とんぼを作って一緒に遊んでくれたんです。落ちたりして壊れると、祖父が漆で直してくれていた。その姿がかっこよかったんですよね」。

堤はそこで自然から授かる恩恵についても教えられたという。「漆を1滴も無駄にしてはいけない」とは祖父の口癖だった。ウルシの樹は成長に15年、樹液は1本の樹からわずか200gしか取れない。漆は、自然からの授かり物だとの意識が育った。「当たり前の感覚としてものを大事にしていたんですね。生活のなかに漆があることが、僕を育ててくれた感覚があるんです」。

自然を愛する姿勢も、ミシェル・パルミジャーニに共通していた。自然との調和を重んじる彼は、とりわけ、自然界や建築物に見出せる黄金比に魅了されていた。この比率は時針と秒針の長さの比率などいたるところに用いられており、プロダクトが放つ独自の造形美に結実している。


サンドゴールドダイヤルにローズゴールドのケースを用いた「トリック プティ・セコンド」(¥7,095,000)。ダイヤルの加工「グレナージュ」は伝統的な技法を復活させて作り上げたというから驚きだ。

自分だけのものになっていく贅沢

クォーツショックの後、高級市場へと乗り出し、ドレスウォッチなど男性的なステータスシンボルとして再興を見たスイスの機械時計。

しかし、パルミジャーニ・フルリエが届けたい価値は、旧来的なラグジュアリーでも、表現が控えめなクワイエット・ラグジュアリーでもない。それは、「プライベート・ラグジュアリー」なのであるという。ブランドによると、これは次のように言い換えられる。

本当にいいものを、自分自身のための楽しみとして大切にするという価値観。他人と比べる必要もなく、トレンドだから身につけたりということでもない。例えば、トリックのピンバックル。ミシェル・パルミジャーニの意思を受け継いでピンバックルにしているが、ケースバックからムーブメントの動きがよく見える。ムーブメントの動きは自分だけが楽しめるーー。

実際にトリック プティ・セコンドを手に取った堤は、自身が制作した漆のスケートボードのことを引き合いに、プライベート・ラグジュアリーは「自分のものになっていく感覚に近いものだと思いました」と語る。

「スケートボードってどうしても傷が入るんですが、持ち主の技術や扱いによって傷の入り方が異なるんですね。どんどん傷が入っても、その上から漆を塗って、直して、使う。持ち主の歴史が刻まれて、その人だけのデザインになっていく。使い込む楽しみがありますよね。買った時より10年、20年後の方がいいものっていうのが、僕は自分にとって本物だと思うんです」。

修復の捉え方を思い起こすなら、西欧と日本とでは差異があるようにもみえる。ミシェル・パルミジャーニが機械仕掛けの完全な復元を目指したとすれば、堤が提案する価値観は復元を目指さず、経年変化を味と捉える考え方だからだ。

ただ、持ち主とその物が共に時間を経ていくことに豊かさを見出す姿勢は両者に共通している。裏蓋からのぞくムーブメントの精緻な機構を眺めながら、堤は思いを馳せる。

「それって、今の時代に必要な価値観な気がしています。そうやってものを大事にしようとすると、持ち主の所作だったり暮らしを豊かに変えてくれるんですね。それが心地よかったりする。時計を外して裏蓋の機構が見えるたび、うつくしさに微笑んでしまうような、心がじんわりあたたかくなるような、そういう時間が積み重なるんだと思います」。

持ち主がプロダクトと共に日常を過ごす。そのプライベートな時間の積み重ねのなかにこそ、ラグジュアリーを見出せるのではないかーー。向き合う物や素材、場所、時代のそれぞれが異なる者たちのなかに、プライベート・ラグジュアリーはその片鱗を見せた。

パルミジャーニ・フルリエ
https://www.parmigiani.com/ja/

堤卓也(つつみたくや)◎1978年生まれ。98年北海道大学農学部入学。大学卒業後、アマタケ(岩手の養鶏会社)入社、札幌支社勤務2004年頃父親からの連絡で家業である堤淺吉漆店へ。現在、堤淺吉漆店専務取締役。工場にて漆の精製・新製品開発を行っている。漆の持つ可能性や魅力を伝える取り組み「うるしのいっぽ」にも取り組む。

Promoted by パルミジャーニ・フルリエ/ text by Asahi Ezure/ photographs by Yuta Fukitsuka