MUFGは23年度より、「伝統と革新」をコンセプトに工芸の文化・技術の承継と発展を支援する社会貢献活動「MUFG工芸プロジェクト」を推進中。「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」の特別賞創設など、工芸の次世代育成支援にも力を入れている。
今回特別賞に選ばれたのは、刺繍・染色などを手がける家長百加(写真中央。以下、家長)、染織した布同士を再構築しオブジェとして昇華する石渡 結(写真左。以下、石渡)、すでに漆芸作家として業界で注目を集める野田怜眞(写真右。以下、野田)。異なる素材と技法を扱う3人の視点から伝統工芸の魅力を再発見し、現代日本における工芸の未来を探る。
伝統的な素材や技術から新しい表現を模索する
刺繍作家の家長は、日本刺繍とスタンプワークの技法を融合させ、裏表どちらから見ても同様の絵柄になる刺繍作品を制作。刺繍という手仕事にかける時間や愛着を、緻密な色合いと造形で表現する。石渡が取り組むのは、染織による作品作り。布を立体として捉えた大型作品で注目を集めている。歴史を通して人類とともにあった「織物」によって、現代社会のさまざまなボーダーを取り払う作品を模索している。
漆芸作家の野田は、脱活乾漆という伝統的な技法を用いて、「昆虫」や「バナナ」などをモチーフにした作品を制作。古典的技法を使いながらも、工芸の新たな道を追究している。
──作品に用いている素材と出合ったきっかけや技法の魅力を教えてください。
家長:大学で加賀縫の先生に出会ったことがきっかけで日本刺繍に興味を持ちました。先生の作品は、本来見られることのない裏面も美しく仕上げられていました。人目の当たらない部分にも意識を配るのが日本刺繍だという教えに感動し、ならば裏面まで見てもらえる立体作品をつくったらおもしろいのではと思い立ちました。17世紀頃のイギリスで広まった立体刺繍の技法に「スタンプワーク」というものがあります。これならワイヤーなどを使って作品の裏側も見せることができる。初めは研究として2つの技法を組み合わせ、その表現にどんどん夢中になっていきました。
石渡:私はもともと服が好きで、次第に素材である布に関心が移っていきました。大きな布の工芸作品を見たとき、布の厚みの中には繊維の凹凸があること、つまり平面ではなく立体であることに気づきました。染織の作品をつくっていると、繊維と繊維の間に空間が広がり、その中を自分が泳いているようなおもしろさを感じます。この感覚を伝えるため、太い糸を使用して組織をわかりやすく表現し、布に厚みをもたせることで立体であることを強調しています。
野田:僕が漆芸に出会ったのは大学入学後でした。もともと立体造形をつくりたかったので陶芸や板金を学ぶつもりでしたが、漆を塗り重ねて厚みを表現する「脱活乾漆技法」に出合い強い衝撃を受けました。漆はお茶碗や箱の表面に塗る塗料としてのイメージが強いですが、麻布に漆を染み込ませて蓄積することで均一な厚みの造形物を作ることができる。興福寺の阿修羅像などの仏像に使われている技法でもあります。麻布も漆ももとは植物。麻の繊維と漆の樹液を人間の手によって再構築していくところに神秘を感じました。
──工芸作家として大切にしていることを教えてください。
家長:刺繍という技法を研究していくと、糸そのものにも魅了されます。私が使用している糸は12本の繭糸をよらずに合わせた絹糸で、糸に摩擦がかかるミシンでは決して縫うことができません。絹糸はそのままでも独特の輝きがありますが、バラして本数を調節することでさらに細かい色合いや質感を表現できます。そうして何百回何千回と糸を通していると、手に伝わる抵抗や触り心地の違いに愛着が生まれてくる。この技法は制作にかけた時間と素材への愛情を伝えることができると実感しています。
石渡:私も技術や素材に向き合うことが工芸の良さだと思います。「織り」という技法は、昔からどこの土地にもあり、人々が継承してきたもの。人類全体の生活に密着した技術であるところに魅力を感じます。今の世界には人種やジェンダーなどさまざまな境界線がありますが、もっと奥深くの原始的なところに、人類がつながれる何かがあるのではないか。それが何なのかはまだ研究中ですが、織物の作品で表現したいと思っています。
野田:おふたりの言うとおり、人の手だからこそ生まれるおもしろさ、豊かさ、時間の感覚を伝えることは工芸作品の重要な役割だと思います。金沢卯辰山工芸工房で活動していた3年間でも、さまざまな作家の方とお話し、強く認識しました。だからこそ、僕は新しい素材や技術に対して慎重であることを大切にしています。便利さや効率性には線を引いて、あえて人の手や伝統的な技法や自然を用いた素材を選ぶことで、工芸の独自性を高めていきたい。
「工芸」という領域の曖昧さがつなぐ伝統と革新
──工芸における「伝統と革新」をどのように捉えていますか。石渡:工芸は明確な定義がなく、境界線が曖昧なものだと思います。だからこそ、現代美術的になったり彫刻的になったり、行き来しながらその領域を広げていけるのではないでしょうか。伝統を守る正統派の流れもありつつ、そこからさまざまな分岐があって良いと思います。それぞれの分岐のなかで何を目指すのかを見失わずにいれば、その道には発展性があるはずです。例えその道が工芸と呼ばれなくなったとしても、バックグラウンドに伝統的な要素があることはわかってもらえるのではと思います。
家長:私はできる限り自分の作品づくりを記録として残そうと、工程を写真におさめています。私は日本刺繍の技法を大学に所蔵されていた本で学びました。これさえ読めば誰でも日本刺繍が始められるように著した本で、出合えたことに心から感謝しています。
伝統技術を直接学ぶことは時間的・地理的な問題で難しいこともあります。記録が残っていれば、その技術を学びたい人はもちろん、デザインやファインアートなど他の分野の方の目に止まるかもしれない。そうして生まれる作品は、もしかすると伝統から少し外れたものかもしれませんが、ルーツを辿るかたちで正統派にもスポットライトが当たるはず。工芸の未来のためには、時間や場所を超えるさまざまな形での技術継承があると良いと思います。
野田:工芸にはさまざまな捉え方があると思いますが、伝統工芸に関しては市場価値が低いなと感じています。伝統工芸に憧れがあっても、作家として踏み出すのは難しいと感じる人もいるのが現状です。ですが、東京藝術大学名誉教授の秋元先生が総合監修されている「GO FOR KOGEI」のような、工芸を広く捉えたプロジェクトにはかなりの勢いがあり、可能性を感じます。
伝統的な技術を用いつつも、表現するモチーフやソフトが新しければ、そこに革新性が表れると思います。今回MUFG主催の作品展に収蔵していただいた茶碗は、製作過程で使用した麻布や曲げ輪の弦の痕跡など、工程の蓄積を視覚的に見えるようにしました。漆芸技法は手仕事に見えないほどに表面の精度を高めることが特徴のひとつでもありますが、素地から積み重ねた痕跡をすべて無くしてしまうのはなんだかもったいないなという気持ちになったんですよね。今回あえて痕跡を残したことで、観ていただく方に少しでも作品づくりの過程を感じていただけたらと思います。
──最後に、今後の活動と展望を聞かせてください。
野田:今年の10月に大和百貨店 香林坊店で「cutting edge 2024」というグループ展を行い、来年の3月にはアートフェア東京で二人展を行います。今年から日本現代工芸展の会員になれたので、来年からは日展にも作品を出そうと考えています。また、取り扱いギャラリーさんのつながりで、海外展開も模索しています。現在も台湾のアートフェアに出展をしていて、最終的には海外で個展を開くのが目標です。
石渡:今年の9月に「GO FOR KOGEI」、11月には金沢工芸アートフェアに出展させていただきます。ずっと吊りの作品をやっていたので、今後は自立する布の作品にも挑戦したい。また、人類の根底に流れる原始的な何かを見極める研究も続けていきます。具体的には、海外を含めた各地を巡ってその土地の土や歴史に触れて学びたいと思っています。
家長:今年は10月19日〜29日に銀座で展示があります。来年の3月に刺繍作家の展示に参加する予定です。目標としてはこれからも作品を増やし、まずは日本で、ゆくゆくは世界に知ってもらえるよう頑張ります。これは展望というより夢ですが、日本の伝統工芸作家と世界的なハイブランドのコラボを見て、強く憧れました。フランスやインドなど刺繍が盛んな国のメゾンでは、商品に伝統的な刺繍が施されたり、刺繍そのものが展示されることがあります。自分の作品がメゾンに置かれたら、とてもうれしいと思います。
工芸の伝統と革新をサポートするMUFG工芸プロジェクト
──現在までの取り組み実績についてお聞かせくださいMUFGはパーパスに「世界が進むチカラになる。」を掲げ、社会貢献活動の優先領域のひとつとして「文化の保全と伝承」を打ち出しています。我々の金融機関としての「つなぐチカラ」を生かして、伝統工芸が衰退する現在の状況に対し思いを同じくする「仲間」を拡げ、伝統の継承・発展のための新しい社会のプラットフォームをつくっていきたいという思いで、2023年に本プロジェクトを立ち上げました。取り組みから1年が経過しましたが、我々の考える「工芸の伝統と革新」を展示や講演などさまざまな形で視える化し、対話を続けることで、同じ思いをもつ企業や団体とのつながりができ始めています。作品の展示会は国内のほか、ニューヨーク・パリも巡り、一般の方々だけでなく、ビジネスパーソンや経営者まで共感と応援をいただきました。
──本プロジェクトを通じて、改めて気づいたことがございましたらお聞かせください。
伝統技術と培った文化を生かしつつ現代にアップデートしようとする工芸の努力が、作品そのものだけでなく、素材づくりや素材の融合、新たな製作手法、用途や売り方の新展開、そして人材育成までさまざまな形で表れていることに感銘を受け続けています。
作家のみなさまの姿は、日本のものづくりの根幹となる精神と技術、そして日本の文化や価値観に深く根ざしていることを改めて思い起こさせてくれます。そこには、長年の経験と技術、高い品質へのこだわりと厳格さ、細部にわたる精緻な美意識がある。日本のものづくり産業と伝統工芸が共に高い評価を受ける背景には、シンプルで機能的なデザインにより長く大切に使えること、顧客の要望に応じたカスタマイズやアフターサービスを重視した商品づくりなどが挙げられます。改めて伝統工芸の価値を高め、日本の競争力の象徴として世界に広めていく意義を感じています。
──最後に今後の取り組みについてお聞かせください。
今後は共感を具体的なアクションにつなげたいと思っています。まずは関連団体、企業などによる伝統工芸振興への取り組みが、有機的につながるような仕組みづくりを目指します。特に次世代のつくり手支援・育成にも力を入れていきたい。革新・挑戦の意識をもつつくり手を継続的に発掘し、先駆者や異業種とつながることによる、つくり手の意識改革のサポートやネットワークづくり、挑戦姿勢(=作品)の視える化や称える場と販売につながる場の提供などができればと考えています。と同時に、消費者側の意識改革や啓発、各地各団体のさまざまな活動の情報発信にも注力してまいります。
家長百加(いえなが・ももか)◎1998年生まれ。京都府出身。2022年、金沢美術工芸大学工芸科 卒業。24年、金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科染織コースを修了。工芸2022 オーディエンス賞 受賞。日本刺繍とスタンプワークを融合させた立体刺繍を制作。主に自然をモチーフにした作品で、刺繍にかける時間や愛着を表現する。
石渡 結(いしわた・ゆい)◎2000年生まれ。静岡県出身。金沢美術工芸大学 美術工芸研究科 工芸専攻 染織コース在籍。布を立体ととらえ、繊維の間にある空間に焦点を当てた作品を制作している。あらゆる時代・場所で人類の生活に密着していた「織り」の中に、人類共通の原始的な生の形を模索する。
野田怜眞(のだ・りょうま)◎1995年生まれ。愛知県出身。2019年、東京藝術大学美術学部工芸科漆芸専攻を卒業。21年、同大学修士課程漆芸専攻を修了。21〜24年は金沢卯辰山工芸工房に在籍。現在は東京藝術大学 教育研究助手。22年に第60回記念 日本現代工芸展にて現代工芸大賞を受賞したほか、23年には第79回 金沢市工芸展「金沢市工芸協会会長賞」受賞。伝統的な漆芸の技法である「脱活乾漆技法」を用い、バナナや昆虫などをモチーフとした作品を手がける。