“空”と“陸”の技術交流が描く未来について、室屋とLPARの技術リーダーを務める中江雄亮に聞いた。
トヨタがグローバルに展開するプレミアムブランド「LEXUS」は、1989年のブランド創業以来、高級車の概念を超え、常に革新に挑戦し続ける「Pushing boundaries(限界を押し上げる)」というマインドセットを掲げ続けている。その一環として象徴的なのが、最高時速400km、最大重力加速度12Gという極限の世界で繰り広げられる小型飛行機によるモータースポーツ「エアレース」での取り組みだ。
ブランドホルダーである豊田章男が目指す「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」の体現ともいえる本取り組みは、21年にアジア人ではじめて世界最高峰のエアレース「Red Bull Air Race World Championship」で年間総合優勝に輝いたパイロット室屋義秀と共に、『LEXUS PATHFINDER AIR RACING』(以下、LPAR)を発足したことで本格化した。現在LEXUSは、「空力」「冷却性能」「人間工学」「軽量化」「計測 」など多岐にわたる側面からエアレースで勝つための技術開発を追求しつつ、航空機と自動車の知見や技術の交流を行うことで自動車への技術採用に挑戦し、革新を続けている。
室屋とLEXUSの出会いは、16年に室屋がLEXUSのレセプションパーティを訪れたところにまでさかのぼる。
レセプションパーティで、当時レクサスのチーフエンジニアと意気投合した室屋は、自動車の技術にヒントを求めて相談。結果、両社はパーソナルスポンサー契約を締結することとなる。
その頃から室屋は自動車の技術にヒントを求めてトヨタの本社や工場を訪れるようになっており、17年からは本格的な技術交流会がスタート。LEXUSのステアリング構造を援用した操縦桿グリップや、空気力学に基づいたそれまでのエアレースの常識を覆す旋回法「バーティカル・ターン」を開発し、その年、室屋は「Red Bull Air Race World Championship」で念願の年間総合優勝を果たした。
「LEXUSチームとの出会いをきっかけに、最初は課外活動のようなところから交流が始まりました。彼らと話をしていると、本当に技術に対する情熱の深さを強く感じます。僕は“境界線を超える”ために必要なのは、やはり究極へのチャレンジだと考えています。エアレースはそれ自体が究極へのチャレンジ。僕のエアレースへの情熱にLEXUSチームは技術への情熱で応えてくれました。情熱同士がぶつかったときにこそ新しいモノが生まれます。そして、その情熱の輪がだんだんと大きく広がっていった結果が、現在のLPARなのです」(室屋)
バーティカル・ターンの提唱者であり、LEXUSのテクニカル・コーディネーター(空力)でLPARの技術リーダーを務める中江雄亮も、両者の共創がスタートした当時を振り返る。
「車の技術開発が高度化するなかで、今までとは違う視点で革新的な技術を生み出すとともに、その技術を生み出せる人材を育てたい、という当時のチーフエンジニアの思いから、室屋選手との取り組みはスタートしました。私の専門分野は空力で、大学では飛行機の勉強をしていたので、迷わず参加したいと手を挙げたんです。エアレースという新しいフィールドで、トップ選手と一緒にチームを築きながら技術開発を加速させることに非常にワクワクしたことを覚えています」(中江)
“空”の新技術を“陸”のLEXUSへ
LEXUSの技術は、操縦桿や旋回法だけでなく、人間工学に基づいたシート技術といった形でも飛行機に取り入れられている。LPAR発足後も、空気抵抗の削減やエンジン冷却効率の向上、12Gというすさまじい負荷がかかる状況でパイロットに飛行情報を瞬時に認知させる表示技術「ヘッド・アップ・ディスプレイ(HUD)」、エンジン最適セッティングのための計測の技術改善などに取り組んでいる。一方で、エアレースを通じて育まれた“空”の新技術は、“陸”のLEXUSの車種にも受け継がれている。LPARの開発技術をLEXUSに採用したモデルとして、21年にLC500特別仕様車の“AVIATION”、23年にLC500特別仕様車"EDGE"、24年にRZ450e特別仕様車である”F SPORT Performance"が発売された。“AVIATION”と“EDGE”には、航空機の翼から着想を得たCFRPリヤウィングが特別装備されている。
「車の周りに空気の縦渦を効果的に発生させると操縦安定性向上に寄与できるという仮説が社内でもち上がったのですが、それがちょうど飛行機の翼端(ウィングレット)の制作に着手するタイミングでした。そのため、本プロジェクトで翼によって発生する空気の渦を徹底的に研究したところ、車のリアウィングで縦渦を発生させると操縦安定性や走行安定性が向上することが証明されました。それまで空気の縦渦は抵抗にしかならないと考えられていたので、これはまったく新しい発想となりました。あまりにも革新的だったため、当初リヤウィングへの技術採用はデザイナーや製造者から猛反対を受けたほどです。しかし、実際の試乗やデータを積み重ねることで全員が納得したうえで製品化を実現することができました」(中江)
LPARで培った空力技術はRZ450e “F SPORT Performance"のカーボンウィングにも応用されている。
これらの特別仕様車はいずれも台数限定で販売されると即完売となり、今なお再販を望む声も大きい。また、今年7月に発表されたばかりのLBXのハイパフォーマンスモデル“LBX MORIZO RR”では、LPARで培ったエンジン冷却の考え方を採用している。このほか、製品面だけでなく開発のための新たな非接触計測技術なども、LPARを経て進化を続けている。
また、共創活動を続けるなかでは、プロフェッショナル同士のシナジーが生み出されるほか、人材育成やチームビルディングの点で得られるものも大きいという。
「陸と空では技術者の考え方や言語が違うので、それぞれの分野で最善のことを主張していても噛み合わない場面は多々あります。それでも技術者は実物を見ながら話していくと、言語が違えど同じ目標を見据えられるようになるんです。そのためにも、『レースに勝つ』という全員が目指す目標を定めて、妥協を許さず、議論を尽くす。そのうえで合意形成をすることを重視する室屋選手の姿にはリーダーとして学ぶところがとても多いです。ストイックであると同時に、人間味あふれる人柄で雰囲気づくりにも長けていて、組織運営のあり方も学んでいます」(中江)
「エアレースの世界はそもそも多国籍で、本当にさまざまな個性をもったメンバーが集まっています。リーダーはチームを空からの俯瞰の目線で見なければなりません。自分一人の視野にとらわれず、全体の有機的なつながりやバランスを考えて、メンバーそれぞれの能力を引き出すことが重要です。メンバーが自分の殻を破ってブレークスルーするために、チャレンジの到達点であるゴールの旗を少しジャンプして届くところに設定する。それこそが、リーダーの果たすべき役割だと考えています」(室屋)
極限への挑戦が技術や人間を磨き、情熱を起こす
23年、室屋は海外のトップ選手らと共に新たなエアレース「AIR RACE X」を立ち上げた。室屋は見事に初年度の総合優勝を果たし、今期は、全3戦の第1戦目を終えた時点で2位につけている。「AIR RACE X」ではオンライン配信やXRでの観戦も取り入れられ、来たる9月15日に第2戦、10月19日に第3戦が開催予定だ。中江と室屋はレースに懸ける想いとLPARの今後の展望について、次のように話す。「エアレースをはじめとするモータースポーツには、極限に立ち向かうことで技術や人間が磨かれていく過程があります。そのなかで生まれたさまざまな革新的な技術を一般車や社会に還元していく。それが私たちのひとつの目標でもあります。こうした背景にも思いを馳せると、また違った見方でモータースポーツを楽しんでいただけるのではないでしょうか。
そしてLEXUSでは、LPARの活動だけではなく、他社との空力技術の共同開発も始まっています。1人ではできないこともチームであれば可能になるし、仲間が集まれば実現できるスケールも広がります。『We Race to Awaken a Passion(情熱を呼び覚ませ)』。それが私たちがレースをするモチベーションです。LPARのチャレンジから、みなさんにもぜひワクワクを感じていただきたいです」(中江)
「エアレースはグローバルで人気のあるモータースポーツであり、私たちは『AIR RACE X』を盛り上げることで、エアレースを目指す子どもたちがどんどん出てくる体制をつくりたいと考えています。そういったサスティナブルな環境を構築するためにはデジタル技術の活用が非常に有用ですし、その裾野を広げることは操縦士やエンジニアの育成につながっていくはずです。
トヨタが提唱する『モビリティ3.0』が描く社会のように、近い未来には空飛ぶクルマやドローンといった新たなモビリティの世界が広がっています。LPARで育んだ空力研究が電気自動車の技術開発に寄与したり、“空”の知見が新たな未来づくりに役立ったりすることがきっとあるはずです。LEXUSのもつ思想や付加価値が人間のウェルビーイングや日本の成長を飛躍させる一翼を担えることを願っています」(室屋)
LPARという共創は、未来のモビリティ社会にまでつながる取り組みのひとつになる可能性を期待させる。「AIR RACE X」はまさにそんなLPARの現在を目の当たりにできる貴重な機会だ。これからもLPARは、LEXUSのマインドセットを体現し、“空と陸の境界線”を超えて広がり続けるだろう。
■LPAR関連情報
LEXUS ‐ YOSHIHIDE MUROYA | SPORT | LEXUS NEWS
■LEXUS PATHFINDER AIR RACING公式SNS
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■AIR RACE X
https://www.airracex.com
むろや・よしひで◎エアレース・パイロット、エアロバティック・パイロット。09年に「Red Bull Air Race World Championship」にアジア人初のパイロットとして参戦。16年に千葉大会で優勝した後、17年にはアジア人で初めて年間総合優勝を果たす。23年に、新生エアレース「AIR RACE X」を発足し、初代チャンピオンに輝く。地元福島県で復興支援や子どもプロジェクトにも参画し、福島県県民栄誉賞、ふくしまスポーツアンバサダー、福島市民栄誉賞などを受賞している。
なかえ・ゆうすけ◎Lexus International Co. LIZ 主幹 兼 LEXUS PATHFINDER AIR RACING 技術コーディネーター。空力を専門として、LEXUSで数多くの自動車開発に従事。LAPRでは開発領域全般の指揮を担当している。バーティカルターンなど、エアレースにおける常識を覆すようなアイデアを証明し、チームの「Red Bull Air Race World Championship」年間総合優勝などに寄与した。