「日本では、サラダ=副菜のイメージが強い。しかし当社が提供するのは、主食としてのサラダボウルなのです」
WithGreenのサラダボウルについて、武文はそう説明する。アメリカでは食事をサラダボウルだけで済ませるなど主食とする文化が根づいており、武文も前職でニューヨークに赴任していた際に好んで食べていたという。ただ、同社のサラダボウルには日本生まれのこだわりと情熱が詰まっている。
「当社が大切にしているのは、日本ならではの魅力に溢れているサラダボウルです。日本全国の農家から仕入れた旬の野菜を使うことにこだわりを持っています。野菜のほかに肉や玄米なども入った、主食として満足できる一杯です。日本の四季を体感できる『シーズナルサラダ』もあり、旬の野菜や果物を使ったメニューを毎回考えて提供しています」
むろん、おいしさにも並々ならぬこだわりがある。
「『おいしさ』は、食べ手が自然と感じるものではなく、緻密な設計の上で実現するもの。WithGreenでは、素材本来の味わいや食感を引き立たせるべく、素材ごとにカットするサイズや工程を変えています。例えば、水分の多い野菜は必ず店舗でカットして、口に含んだ時にみずみずしさを感じるようにする。また、ドレッシングは食材と一体となるようにとろみをつけ、食べ終えたときに器に残らない量にしています」
「器やカトラリーも、試行錯誤を何十回も重ねて選びました。お客さまがボウルを手に取ってフォークを握る際に、温もりを感じ、手になじむようにと考え抜いたんです。サラダボウルをいかにおいしく、いかに食べやすく、いかに気持ちよく召し上がっていただくか、そこにかける想いと戦略に一切の妥協はありません」
サラダボウルのおいしさに魅了された消費者は、WithGreenの店舗に頻繁に通うようになる。特にサラダはコーヒーのように習慣化しやすく、実際、WithGreenの利用者の約7割以上はリピーターであると武文は話す。店舗でのイートイン、テイクアウトで利用する一般客のほかには、企業向けのサービスとして、社員にサラダボウルをお得に食べてもらう仕組みもつくった。福利厚生の一環として会社全体で日常的に利用されているケースが多いという。
「サラダボウルに人生をかける」
世界中をまわって見つけた、人生をかけて登るべき山
大学院時代から将来は起業したいと考えていた武文だったが、真剣にどのように進むべきかを考えるようになったのは30歳のころ。「2年後に起業する」という期限だけを決め、それまで勤めていた大手証券会社をきっぱり辞めたのだ。その時、何の事業をするかはまったく決めていなかったが、不安よりも「これから新しい世界を切り開いていくんだ」という希望の方が強かった。「当時、一番響いていたのは孫正義さんの『登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる』という言葉です。何をするかで人生の半分が決まるなら、そう簡単には決めないぞ。この2年間で、徹底的に考えるんだ、そう思っていました」
「自分が人生をかけて登るべき山は何か。やるなら、日本の強みを活かして勝負したい」考えを巡らせる中で、「食」のビジネスに行き着く。
「証券会社のトレーダーとして日本のマーケットを見てきて可能性を感じたのは、『食』や『観光』でした。特に『食』は昔から日本にある素晴らしい文化で、最も誇るべきもの。共同創業を考えていた弟の謙太は、食品業界・飲食店の経験があり、味に対する感受性も高い。それも大きな後押しとなりました」
その後、武文は「食」で具体的に何をするかを決めるため、世界30か国をまわる200日の旅へ出た。各国ではレストランから屋台、市場までくまなく食べ歩き、ちょうど100日を過ぎたころ、サラダボウルに照準を絞ったという。
「世界の食を体感したことで、日本の食の優れているところと足りないところが見えてきました。日本は食材が豊富で、料理のアレンジ力が高く、コスパも良い。その一方で、生産者から直接買うファーマーズマーケット(直売所)のような場所は少ない。飲食業態で生産者と消費者を繋げられたら、大きな意味があるのではないかと考えました」
「加えて、日本の外食はハンバーガー、ラーメンや丼ものなど、がっつりしたメニューが中心ですが、そこに健康的な選択肢を増やせたら、と。そんな視点から浮かび上がったのが、サラダ専門店の業態。私がニューヨークで出会ったような、生産者の顔が見えて、新鮮でおいしく、一杯で満足できるサラダボウルなら、きっと日本の生産者も消費者も元気にできるに違いないと確信が持てたのです」
年間200万食のサラダボウル。サステナブル経営で、食材ロス率1%以下
2016年、東京・神楽坂にWithGreen 1号店をオープンさせた。順調に出店を続けるも、2020年には新型コロナという大きな逆風が来る。コロナ禍には毎月1,000万円近い赤字が出ていたが、「ここが勝負どきだ」と捉えて攻めの姿勢で出店を続け、7店舗から21店舗まで増やした。好立地のテナント物件がどんどん空き、交渉すればよい条件の賃料で借りられる状況だったとはいえ、思い切って舵を切れたのには、自身の過去の苦い経験から得た信条がある。
「学生時代、リーマン・ブラザーズに内定が決まった7か月後に、あの歴史的な経営破綻が起きました。受け止めきれないほどの大きなショックを受けましたが、諦めずに前進する限り、たどり着けないことや、成し得ないことは何もないともわかったんです。ピンチの中にはそれ以上のチャンスがあると実感させてくれた出来事でしたし、今でもそう信じています」
その後、東京以外の大阪、京都、愛知、福岡といった地方の都市部にまで手を伸ばし、業界最多の30店舗を展開。現在は、年間200万食近いサラダボウルを提供している。
そのなかで、サステナビリティにも目を向ける。武文は「企業にとってのサステナビリティは事業自体もそうあるべきで、本業と切り離して行うことではないはず」と語る。
「当社でいえば、ひとつは人々の健康づくり。サラダボウルは習慣化することで体のメンテナンスになるだけでなく、自分を大切にしているという心の満足にも繋がります。そしてもうひとつは、日本の農業の活性化。今後も国産野菜を使い続け、店舗でそのおいしさを発信することで生産者の方々を盛り上げると同時に、地方創生のお手伝いをしていきたい」
店舗でのフードロス削減にも取り組んでいる。WithGreenの店舗では⽇々、廃棄⾷材量を記録し、発注や仕込みを調整することで、⾷材ロス率を1%以内に抑えているという。これは飲⾷店のロス率の平均値5%を大きく下回る。生産現場で余ってしまう規格外野菜も買い付けて、トッピングとして活用することもある。
「サラダボウルが、お客さまと生産者に寄り添う存在になる」
店舗数が増えてブランド認知も広まると同時に、参画するメンバーも増えていく。WithGreenをもう一段高いステージへと引き上げるため、現在はコーポレートスローガン「with your life」を新たに掲げて走り出したところだ。「当社が大切にするのは、お客さまの健康的な生活と人生の充実。主役は『サラダボウルを食べるお客さま』で、『サラダボウル』ではありません。サラダボウルは『健康を気遣いたい』『食事の栄養バランスを考えたい』『旬の野菜や果物をしっかり食べたい』といったお客さまのポジティブな気持ちに応えられる料理です。それはお肉でもラーメンでもない、サラダボウルだからこそできること。お客さまの生活や人生に寄り添う立場として存在する。『with your life』には、そんな想いを込めています」
このスローガンを浸透させるべく、目下、インナーブランディングにも注力する。なかでも「パートナー」と呼ぶ、お客さまと現場でコミュニケーションをとる従業員の教育を丁寧に行っている。2024年8月には、会社の目指す像、こだわりや情熱、店舗での振る舞い方はもちろん、スローガンに基づいたモットーなどを小冊子にまとめたブランドブックを作成し、アルバイトも含めた全パートナーに配布した。
また、従業員を連れての農家訪問も積極的に行う。皆で生産現場を肌で感じることで、サラダボウルを届けていく意義を再確認する機会になっている。生産者からは、「私たちのことをしっかりと理解して、野菜や果物の魅力を深く知ってもらえる。WithGreenの従業員の話を聞くことで、お客さまが喜んで食べてくれていると知ることができて嬉しい」と、訪問を歓迎する声も多いという。
日本一のサラダ専門店をつくり、50、100店舗とさらなる展開を進める。創業時から変わらないという目標を見据え、武文は今後の見通しをこう話した。
「日本の『食』は世界に誇るべき産業で、関わる人も多く、大きな可能性がある。日本の消費者・生産者・地球環境の三方に対して、小さくても良いうねりを生み出すことはできるはずだと信じています。単にサラダボウルの専門店というだけでなく、WithGreenを日本生まれの、日本が誇るべきブランドへと成長させていきたいです」
WithGreen
https://withgreen.club/
武文 智洋(たけふみ・ともひろ)◎1983年岡山県生まれ。慶應義塾大学卒業。大学院を卒業後、野村証券入社。日本株トレーダーとして東京で勤務したのち、ニューヨーク支社で勤務。30歳で退職し、「食」をテーマとした世界一周の旅をしながら、サラダボウル事業の計画を立てる。帰国後、2016年に株式会社WithGreenを創業。