現在世界中でメンズのテーラードスーツ市場が活況を呈している。ようやくコロナ禍に収束の兆しが見え、人々が着飾って外出を楽しみはじめた影響とアナリストは分析するが、やはり久々に袖を通すスーツ。どんな一着を新調し、どう着こなすべきか、迷いどころでもある。そんな現況を予期していたかのように、近年あらためてスーツに注力しているブランドが「ポール・スミス」だ。創業オーナー兼デザイナーのポール・スミスは、現在のスーツの動きをどう捉えているのだろうか。
若者世代が主導するスーツへの回帰
「そもそも男性用のスーツは、かつて欧米では大人から子供まで、誰もが毎日のように着る日常着でした。私も幼い頃からジャケットに半ズボンのスーツを着て学校に通っていましたが、それが変化してきたのは1960年代。ジーンズやTシャツなどのカジュアルウェアが普及しはじめ、スーツは日常着ではなく、企業や銀行などに勤めるビジネスマンの着るビジネスウェア、あるいは冠婚葬祭の際に着るフォーマルウェアとなってきたのです。1980年代になると、政治や経済の世界では、高級なスーツが腕時計や靴と同じように自己を誇示するためのステイタスにもなりましたが、そういったスーツの変遷に大きな影響を与えたのがCOVID19によるパンデミックです。世界中の人々が自宅で過ごすようになっただけでなく、テクノロジーの進化によって仕事すら自宅で行うようになり、スーツが着られなくなってしまったのです。
そういった状況は2年以上も続き、現在では少しずつビジネスマンがオフィスに戻ってきていますが、多くの国で以前よりもオフィスに行かなくなったように感じます。そんな自宅で仕事をするようになった人々はほとんどスーツを着なくなったわけですが、その一方で感じるのが、パンデミック後にスーツへの関心が高まっていることです。その中心となっているのは、20代の男性です。彼らはこれまでスーツを着た経験がなく、彼らにはとても新鮮で魅力的な服に映っているのです」
人は歴史を学ぶことで、現在を正しく捉え、未来に備えることができる。スーツを生んだイギリスで半世紀以上もスーツを見つめてきたポール・スミス。表面的な事象しか捉えないアナリストとは一線を画す、実証的で深みのある分析だ。そんなポール・スミスが現在ラインナップしているスーツは、以前のものとはやはり変わってきているという。
「伝統的な製法と素材を用いたクラシックなスーツもつくり続けていますが、現在はこれまでにない様々な素材のスーツを揃えています。その多くが、肩パッドや芯地、ライニングさえも用いず、まるでカーディガンのようなリラックスした着心地です。それはこれまで、カジュアルウェアしか着てこなかった世代が袖を通しやすいため。シャツも以前より柔らかい生地を使うようにしています。
またそうした傾向とはある意味逆に、若い世代はスーツを着る際、きちんとネクタイを締めることが多いように見受けられます。ドレスコードの変化により、ノーネクタイのビジネスマンが増えているにも関わらずです。これはスーツ同様に、彼らがネクタイを締めたことがなく、自己主張のひとつとして楽しんでいるのでしょう。いま私はこのように観察と分析を重ね、一度離れてしまった人々を再びスーツへと引き戻す作業をしているのですが、それがとても面白いのです」
“着なければならない”から“自由に楽しむ服”へ
どうしてもスーツには、仕事や冠婚葬祭に臨むため、“着なければならない服”というイメージがある。だが、そうしたイメージは、パンデミックと若い世代によって、図らずもリセットされたといえるだろう。色柄のバリエーションが増え、堅苦しかった着心地もスポーツウェアのように動きやすく、快適に向上。着こなしについても、タイドアップに限らず、ニットやカットソー、スニーカーさえもビジネスシーンで許容されつつある。つまりスーツは、従来のビジネスウェアや礼服としての存在意義は残しつつも、もっと“自由に楽しむ服”として捉えられるようになったのだ。そんなスーツの捉え方は、“classic with a twist(ひねりのあるクラシック)”というブランドフィロソフィーを掲げ、約半世紀前からテーラードスーツをファッションとして昇華してきたポール・スミスの捉え方そのものといえる。「私はいつも先に行ってしまうので、世の中が追い付くのに時間がかかるのです」と冗談めかしたポール・スミスは、さらにスーツについて言葉を続ける。
「私が初めて自分でスーツをビスポークオーダーしたのは1967年ですが、最初の1着はピンクでした。2着目はミントグリーンだったのですが、当時はネクタイを締めず、シャツすら合わせませんでした。なぜなら私にとってスーツは、自分の個性を表現するための服だったからです。その考えは現在も変わっておらず、ネクタイは滅多に締めません。私自身はリラックスした性格であり、スーツにネクタイを締めることが自分の性格を反映しているとは思えないからです。
いずれにしろ現在は、スーツで自己表現がしやすくなったといえるでしょう。ただし、現在主流となりつつあるスマートなスーツは、自分に自信がないと着こなすのは難しいと思います。なぜなら、ひと昔前の鎧のようなスーツとは違い、現在のスーツは肩パッドや芯地がなく、着用者を護ってくれないからです。それは身体をカバーして肉体的に力強く見せてくれなくなったというだけでなく、堂々としたフォルムで精神的な強さも与えてくれなくなったという意味も含まれるのです」
いまスーツを正しく、美しく着こなすために
そう、自分らしさが表現しやすくなったということは、裏を返せば否が応でも自分自身がさらけ出てしまうということ。すなわち現代のスーツは、誰もが着るだけである程度のビジネスマンに見えた、かつての“着なければならない服”とは、似て非なるものなのだ。だがその分、選ぶ楽しみや着る喜びがあり、誇張されていない本当の自分らしさで勝負できる。そして自信に満ちた自己を投影できる、最高のビジネスウェアであり、ファッションアイテムなのである。「現代のスーツを着こなすためには、自分に対する自信の他にも、必要なことがいくつかあります。そのひとつが良い姿勢です。肩パッドや芯地は体型を力強く、姿勢を良く見せる役割を果たしますが、それらが使われていない現代のスーツは、姿勢が悪く猫背でも補正してくれません。ゆえに凛々しいスーツ姿にとって、姿勢はとても重要なのです。
そして威張り散らしたりしないグッドマン(善き人)であり、プロフェッショナルであることです。私の会社には“憶測で仕事をするな”というモットーがあるのですが、常に先のことを考え、何事も準備を万端に整えて臨もうと、スタッフには諭しています。そういった人間としての、プロフェッショナルとしての正しき姿勢が、スーツ姿にも表れると思うのです」
毎朝5時に起床し、水泳をしてから6時に出社するという生活を30年以上続けているというポール・スミスは、英国紳士らしい背筋が伸びた姿勢とスマートな体型を維持し、身のこなしも軽やかで若々しい。そして誰もが認めるファッション業界随一のグッドマンであり、世界中を飛び回る自信溢れるクリエイターにして経営者であり、誰よりもスーツがよく似合う。本人がなによりの手本となっているように、そのアドバイスはこれからのスーツスタイルの指針となるに違いない。
ポール・スミス
https://www.paulsmith.co.jp/paul-smith-mens
ポール・スミス◎1946年イギリス・ノッティンガム生まれ。1970年に地元ノッティンガムに初のショップをオープン。1976年にはパリにて自身のメンズコレクションを初披露し、デザイナーとしてデビューを飾る。現在では60以上の国や地域でおよそ130店舗を展開する、グローバルファッションブランドに成長。2000年には故エリザベス女王より、“サー”の敬称で呼ばれるナイトの称号を授与された。