いま、企業がDEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)を推進するのは当たり前となりつつある。電通デジタルも、設立当初から「一人ひとりが輝ける会社」を目指してきた。社員の男女比率はほぼ半々で、女性活躍推進企業を認定する『えるぼし認定』の最高位基準もクリアしている。
「でも、本当の意味でのDEIが実現できているのだろうかという思いがありました」
そう話すのは、DEI推進を担当する副社長執行役員の中津久美子。思いの底にはどんな経験があったのか。そして、「真のDEI」を実現するためどんな施策を展開したのだろうか。
「社会に居場所がない」という不安が常にあった
中津は、ビジネスパーソンとしてのキャリアを重ねる中で、ずっと「小さな違和感」を抱えてきたという。「働き方にバラエティがないのもそうですが、求められているキャラクターが決まっているような感覚がありました。性別の問題が大きいと感じていますが、やはりマイノリティはマジョリティほど個別のキャラクターが与えられない。女性は女性というキャラクター、外国人は外国人というキャラクターで括られてしまいます」
中津自身、言うべきことを言っただけなのに「女性はきついことを言う」「強い女性だからね」といった反応をされてきた。そうした圧力が、ある種のイップスを招く。
「会議に出ていても、『これだから女性は......』と言われるんじゃないかと思い、出すべき言葉が出なかったことが何度もあります」
特に発言が制限されているわけではないが、見えない壁のようなものがある感覚。中津はそれを「プロトコル」と表現する。暗黙の了解としての約束事のようなものだろうか。
「マジョリティの持つプロトコルになじみがないマイノリティには、社会や会社の中で居場所が与えられないのでは、という不安が常にありました。あえて口にするほどでもない小さな、違和感にも似た思いでしたが、どうしても神経を使って仕事をすることになります。そうした中で全ての能力を発揮できるかといえば、やはり難しいと思うんです」
電通デジタル 副社長執行役員 中津久美子
切実な課題感を持つ有志がムーブメントの核となった
中津が着目したのは、「えるぼし認定」の基準や従業員比率といった数値に表れない一人ひとりの意識や行動。その変容を促さなくては、DEIのプロトコルは変わらないからだ。注目したいのは、まず経営層へアプローチしたこと。執行役員とのディスカッションを何回も積み重ね、DEIの「認識合わせ」をしていった。「そもそも、『一人ひとりが輝ける会社』を目指している時点で、ダイバーシティが担保されているという意見もあったんです。たしかに、制度面などの公正性も高いと思いますので、会社としては十分な取り組みをしていると結論づけても不思議ではありませんでした。そこで、いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み、偏見)はないのだろうかという視点で、ひとつずつ見ていきました」
アンコンシャスバイアスでよくあるのが、「良かれと思ってやっていることが、当事者の望むものではない」ということだ。
たとえば、ジェンダーギャップの解消策として一般的なのは管理職の女性比率引き上げだが、女性が望んでいるのは「バイアスのない評価と処遇の均等性」なのではないか。障がい者に対しては「どう負担を減らすか」とつい考えがちだが、障がい者自身は公平な機会が与えられることを求めている可能性もある。
こうした丁寧な「認識合わせ」を半年間じっくりと実施。「いま思えば非常に苦しい時期だった」と中津は振り返るが、着実に経営層の意識は変わっていった。同時に、ボトムアップのアプローチも展開。その中心を担ったのが、執行役員とのディスカッションにも参加した「DEI Initiative」という有志のチームだ。
「有志のチームにしたのは、DEIの問題を切実に考えている当事者が集まるほうが、スピーディに社内の意識変容を促せると思ったからです。実際、メンバーそれぞれが『困っていることがあったら話してほしい、私から会社に伝えるよ』と積極的に周囲から情報を収集してくれました。それによって、『どうも会社は本気でDEIを実現しようとしていて、働き方に反映したいと思っているようだ』というのが社内に伝わっていったんです。少なくとも、会社が耳を傾けようとしている姿勢は社員に浸透してきた手応えがあります」
だれにでも「働きづらさ」を感じるタイミングはある
社員の意識変容は、全社員対象のアンコンシャスバイアス研修を展開していく中でも進んでいった。「DEI Initiative」のメンバーがどんどん増え、変革のムーブメントが自然発生的に起こっていく。「会議や打ち合わせの中で、貶める意図はなくてもマイノリティにとっては気になるような発言はどうしても出てしまうものです。それに対し、『あの発言は不愉快でした』『言ってはならないことだと思います』と指摘する声が明確に増えました。象徴的だったのが、1on1ミーティング推進の資料で、上司に男性のアイコンを、部下に女性のアイコンが使われていたときです。オンラインで数秒しか映し出されなかった資料ですが、役職と性別を結び付けるステレオタイプな表現だと指摘する社員が、男女、階層を問わず、現れました 」
これが、たった1年間の取り組みの成果だというから驚く。重要なのは、違和感に気づくだけでなく、即座に声をあげて指摘できる心理的安全性の高い企業文化が醸成されていることだ。それによって、DEIへの理解もより深まっていったと中津は話す。
「マイノリティが抱える課題や悩みは全員に共通することがわかってきたんです。たとえば出産や育児は、女性のキャリア断絶の側面ばかりが語られますが、パートナーである男性も同じ課題を抱えているわけです。むしろ男性のほうが、『プロトコル』に縛られて育児による仕事への影響を口にしづらい悩みを持っているんですね。お子さんが生まれることを会社に伝えそびれ、育休の取得が希望より短期間にとどまったという人がいることもわかりました」
これは中津も意外だったと明かすが、「DEI Initiative」を立ち上げてから、女性よりも男性からの相談のほうが多いという。「事情を抱えていない人はいない」という気づきを得られたことは、経営トップの中津にとっても大きかった。
「自分のことであれ、周辺の家族のことであれ、人はみな何らかの事情を抱えて働いている。つまり、一定のタイミングでだれにでも『働きづらさ』を感じる事由が発生するということなんです。そこにどこまで寄り添っていけるかが、これからの企業に問われると強く思いました」
リーダーがDEIにコミットする仕組みで心理的安全性を創出
中津の強い思いは、2023年度からの新施策にも反映されている。「事業領域ごとにDEIの目標を設定し、役員・部門長全員の評価に組み込みました。つまり、上位リーダーシップ層のKPIとしてDEIを設定したのです。売上や営業利益にコミットするように、社員の働きやすさに直結するDEIにもコミットするべきですから」
リーダーがDEIにコミットする仕組みがあるとないとでは、社員の安心感が格段に違う。中津を動かしたひとつのきっかけは、ある社員の痛切な声だった。
「『中津さんががんばっているのはうれしいし、ありがたいです。でも、中津さんの担当していない部門ではそこまでの心理的安全性がありません』と言われたんです。アンコンシャスバイアス研修の成果もあって、だれもが事情を抱えて働いているという認識は広まりましたし、多様性を受容できるようにもなりました。しかし、実際の行動が問われるDEIのEとI、エクイティとインクルージョンをいかに実践するかはやはり難しい。全ての役員と部門長にKPIを設定することで、それぞれの業務や部門内で落とし込めるようにしていきたいと思っています」
もはやだれもが画一的な働き方をする時代ではないと断言する中津。いち早く真のDEIを実現し、自らをトランスフォームする体験を社会に提供するサイクルを確立していきたいと力を込める。
「一人ひとりの声が、DEIの実現には不可欠です。電通デジタルをより良い会社にしていくためにも、さまざまな方にジョインしていただきたいと思っています。より良い会社になることで、『人の心を動かし、価値を創造し、世界のあり方を変える。』というパーパスの実現にも近づくと確信しています」
DEIへの取り組みで会社を変え、社会を変えていく──。中津の覚悟は、旧来の「プロトコル」から解放し、閉じていた人の可能性を開いていこうとする使命に宿っている。そこにあるのは小手先のビジネス手法ではなく、人と社会に真正面から向き合う実直な姿勢だ。
中津久美子◎政府系金融機関、ネットベンチャーを経て、2005年電通イーマーケティングワン(現・電通デジタル)入社。各種サイト制作、CRMコンサルティングからマーケティング系クラウド基盤の導入・利活用支援と、主にCX/DX領域にて、デジタルマーケティング業務を担当。2020年電通ジャパンネットワーク出向。2023年現在、dentsu Japan執行役員と電通デジタル副社長執行役員を兼務。