健康寿命を延ばしていけば未来が見えてくる
2021年に経済産業省が発表した「ヘルスケア産業政策について」というレポートで、深刻な課題が指摘された。それは日本社会の高齢化率が進むことで「社会保障費の拡大が財政を圧迫する要因」となり、「労働力の減少に伴う経済活動の停滞が懸念される」という内容だった。そのレポートで同省が解決策としてあげたのは、「生涯現役」を前提とした社会経済システムの再構築と、健康寿命を長く維持すること。つまりビジネスパーソンの健康増進、活力向上が鍵となるということだ。
「SDGsの目標の3番目にある『すべての人に健康と福祉を』。ORKA(オルカ)はこの観点から、健康についての研究を、脳科学分野から進めています」
そう語るのは、ORKAホールディングス(以下、ORKA)代表取締役の神谷卓宏だ。彼は生理学/脳神経科学のバックグラウンドをもち、16年には医科学研究所併設パーソナルトレーニングジム「ORKA」を設立した。同ジムはクライアントの身体状態をデータで把握し、最適なトレーニング方法を提供するデータドリブンな仕組みを先取りしていた。研究の主眼は、「脳と運動」の関係性である。
「脳活動を高め健康を増進するためにはどのような運動がよいのか。当時は世界的にも運動の定量的な研究が行われていなかった背景もあり、私は研究を加速することにしました」
最初に神谷が着目したのは、筋力トレーニングだった。筋トレは、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンやドーパミンなどの分泌を活発にするといわれている。それらの物質を活性化することで、健康寿命を延ばせないかと考えたのだ。
「トレーニングに伴走することで、多くの方々が、生き生きとした表情を取り戻し、気持ちが晴れやかになりビジネスに打ち込めるようになったと、感謝されることもしばしばでした」
データを精査することで見えてきた筋力トレーニングの限界
しかし、その方法は大きな壁に突き当たる。ORKAでは、クライアント本人の許可を得て、採血、ホルモン値計測、便採取などさまざまな検査データを蓄積している。短期ではなく、年単位でクライアントの体調を追跡することで、さらなるソリューションを提供しようとしていた神谷だったが、データを精査することで、あることに気づいたという。「筋トレをしても効果が出ないクライアントが一定数存在したのです。それは研究から予測した状態ではありませんでした。クライアント本人に聞くと、『運動後の気持ちよさがなくなった』とも言います。確かにホルモンにより脳を興奮させないと、筋肉も付きにくくなります。しかしなぜホルモンが分泌されないのか、その原因はわかりませんでした」
研究は壁に突き当たったかのように思えた。しかし、神谷は徹底的にデータを洗い直すことで、ひとつの傾向を見いだした。
「その全員の腸内で、いわゆる悪玉菌の比率が平均値よりも高かったのです。つまり腸内細菌の状態が、筋トレの成果に影響しているという仮説を立てたのです」
それまで築き上げてきた運動→ホルモン上昇→健康・脳活動活性化という神谷が描いた公式に、刷新の必要が生じてきたのだ。
脳と腸が連携する「脳腸相関」 研究に着手
「筋トレの結果を左右していたのは、腸内環境ではないか。そうひらめいたのはよいのですが、自社だけで研究を進めるのは、知識面でいささか心もとない。そこで京都大学に共同研究を打診したのです。快諾いただいたところでORKAは、腸内細菌研究へと大きくかじを切りました」そして脳と腸がたんぱく質を介してお互いに影響を与え合うという歴史ある研究分野「脳腸相関」の研究にたどり着いた。近年は腸内細菌が橋渡しに関与しているということが明らかとなり、さらにセロトニンおよびドーパミンの産生にも寄与していることがわかっている (※)。
「脳腸相関を突き詰め、クライアントの腸内細菌のバランスを取ることで、ビジネスパーソンの健康増進、活力向上につなげる。それは人々の健康寿命の延伸につながるかもしれないという発想に帰結したのです。脳の活性化を図るための運動を追究することを前提として、ホルモン、腸内細菌という手段に着目し、「脳腸相関」の研究を行う。こうした取り組みは、いまだ参入企業が多くいない領域です。そこをひたすらに究めていくのが、ORKAの新たな価値となりました」
近年は、国としても新規のヘルスケアテクノロジーの創出は、力を入れているジャンルだ。その流れを受け、富士経済が「ヘルステック&健康ソリューション関連市場」の市場規模を19年の時点で22年には3,083億円(17年比50%増)にまで拡大すると予測したほど、シーンの過熱は顕著だった。
ORKAはヘルスケアへの新しい挑戦を実現するため、経済産業省が交付する補助金を受け、AIを駆使して人々の健康を実現するヘルスケアアプリとヘルスケアドリンクの開発に着手したという。
誰もが「生涯現役」で生き生きと働けるために
ではその脳腸相関研究への大転換により、神谷はどのような未来を目指すのか。「例えば、脳波と腸内細菌をベースに、パーソナライズされたアプローチが可能になるヘルスケアアプリのほかにも、飲料や食品の開発をするなど、ORKAが腸内細菌/脳腸相関研究で、人々の健康にアプローチできる方法は山ほどあると思っています。こうしたアクションが、ビジネスパーソンの健康、ひいては、誰もが『生涯現役』で生き生きと活躍できる社会の実現につながり、社会課題解決の一助になる。それまでは、研究をストップするつもりはありません」
そうした人々の健康寿命の延伸にアプローチする研究は、結果的に国家レベルの医療費削減にも結びついていくはずだと、神谷は胸を張る。
腸にすむ小さな細菌が脳と腸をつなげることで、日本経済の停滞を打破する鍵となる。そんな大胆にも思えるイノベーティブな視点こそが、人々が健やかで豊かに暮らす社会が実現した未来をかたちづくるのかもしれない。
ORKAホールディングス
https://orka-inc.com
かみや・たかひろ◎ 早稲田大学大学院修了後、京都大学大学院細胞生物学研究室共同研究者として生理学研究に従事。2014年に起業し、ORKAホールディングスを設立。
(※)参考文献(年; 巻: ページ. で記載)
Yano JM et al「腸内細菌の常在菌はセロトニン生合成を調整する」Cell. 2015; 161: 264‒276.
Reigstad CS et al「腸内細菌叢は、EC細胞における短鎖脂肪酸の作用により結腸のセロトニン産生を促進する」FASEB J. 2015; 29:1395‒1403.
Maini Rekdal et al「L-ドパ代謝による種間腸内細菌経路の発見と抑制」Science, 364: 6323, 2019.