プロジェクト参画企業へさまざまな支援をするという前例のないビジネスへ、田村はアンバサダーとして参加することをなぜ決めたのか。そして、日本の中小企業を応援し続ける理由とは。芸人としてキャリアを歩み始め、今では活動の枠を縦横無尽に広げる田村に想いを聞いた。
日本には、ワクワクする仕事をしている中小企業が山ほどある
2021年1月に立ち上がった「中小企業からニッポンを元気にプロジェクト」は、リアステージ(後に中小企業のチカラとして分社化)が立ち上げた、中小企業向けの多面的な経営支援プロジェクトだ。田村は、その初代アンバサダーに就任した。支援内容のひとつには、アンバサダーの肖像を自社広告で活用できるというものがある。
田村がこのプロジェクトへの参加を決断した背景には、とある違和感があった。
「以前から、やみくもに大企業を目指す若者への違和感があったんです。働くことは人生において大切な選択なのに、就職人気ランキングをもとに就職先を選ぶ学生たちを見て、モヤモヤした気持ちがありました」
この時期、田村はテレビ番組を通して、愛知県にある産業材メーカーの存在を知る。元々は産業部材の開発と製造を行なっていたが、時代の変化に応じて生き残るために、自社の技術を活かしてカテーテル治療で使う「ガイドワイヤー」を開発し、今では世界で高いシェアを誇る会社だ。この事業転換のストーリーに田村は惹かれた。
「ワイヤーの技術を医療に転換する話を聞いて、ワクワクしました。医療系の仕事を目指している人にも刺激になる話ですよね。就職先の選択肢がひとつ増えるわけですから。ところが、僕をはじめ、この会社を知らない人が多くいるのが現状なんです」
田村はこの企業との出会いをきっかけに、良いサービスを手がけているのに世に知られていない多くの中小企業を応援したい気持ちが芽生えた。
タイミングを同じくして、ひとつの話が舞い込む。それが、新たに立ち上がった「中小企業からニッポンを元気にプロジェクト」の初代アンバサダーの依頼だった。田村はこのプロジェクトが自身の興味関心と重なっていると感じ、「すごくおもしろそうだと思った」とアンバサダーを迷いなく引き受けた。
アンバサダー活動は、自身が違和感を抱いていた就職人気ランキングをもとに就職していく若者への発信にも繋がると考えたという。若者には「自分の軸」を持ってほしいと思っている。
「自分の軸があれば、ランキングを気にせずに自分がやりたいことを実現できる会社に就職するはずで、それが働きがいや幸せに繋がると思うんです。ランキング上位の会社に入ってゴールテープを切ったように思う人生は、すごく虚しい。人生はまだ続くのに」
若いうちに自分の軸を持つのは難しいが、それでも持とうとしている人と、他人に判断を委ねている人では、その先の人生が変わると田村は言う。それは、自らが歩んできた人生を振り返っての考えだった。
夢を多く抱き、枠を広げる生き方を選ぶ
田村は、高校卒業後に山口から上京し、芸人としてキャリアをスタートさせた。皆が就職していくなか、芸人を志す田村に対し、周囲は「無謀だ」「うまくいくわけがない」との反応だったという。それでも、田村は意思を曲げなかった。
「自分がやりたいことを行動に移したこと自体がすばらしいはずなのに、世の中は成功した人の話だけがクローズアップされるように思うんです。でも本当は、自分らしく生きることこそが幸せと直結するはず」
その後、自身の活動の枠をどんどん広げているのは周知の通りだ。他の人がやらないことをやるというキャリアの歩み方は、高校卒業の頃から思い描いていた。
とはいえ、多くの人が選ばない人生を歩むのは孤独で、理解してくれる人も少ない。そんな田村の背中を押したのもまた、中小企業の経営者だった。北海道の産業機器メーカーでロケットの開発もしている企業の社長との出会いは、「僕の人生の大きな転機だった」と田村は語る。
「その会社の社長に初めて会った時、『淳くん、夢は持てるだけ多く持った方がいいよ。そしてたくさんの人に語りなさい』と言われたんです。それまで、いろいろなことをやっている僕を認めてくれる人なんていなかったのに。涙が出そうになりました」
社長自身がやりたいことにチャレンジし、失敗を重ねて苦しい思いもしているからこそ、こういう言葉を差し出せるのだと感じたという。田村はこの出会いによって、思い立ったらまずやってみる“即動力”を磨いていった。アンバサダーの依頼をすぐ引き受けたのも、即動力の賜物だろう。
アンバサダー就任後、すぐに立ち上げたテレビ番組
アンバサダー活動を始めるにあたり、田村は「名ばかりのアンバサダーにはなりたくない」と思った。プロジェクト参画企業への肖像の提供や、「日本中小企業大賞」の授賞式出席などの活動に加え、中小企業を集めて番組が作れないか、自身が信頼するテレビプロデューサーへ相談する。
このアイデアから生まれたのが、「田村淳のニッポン!アップデート!」(テレビ東京)という番組だ。中小企業が抱える問題をテーマに取り上げ、コメンテーターと一緒に解決の方向性を探る。田村が中小企業の課題だと感じている後継者問題をテーマとした回もある。後継者候補がいない、あるいは先代がなかなか引退しないなど、後継者問題といっても企業ごとにさまざまな事情がある。
コメンテーターには、「中小企業からニッポンを元気にプロジェクト」を立ち上げた山下佳介(中小企業のチカラ 代表取締役)や、太刀川英輔(NOSIGNE CEO)、澤円(圓窓 代表取締役)など錚々たる顔ぶれが並ぶ。コメンテーターの力添えで、問題が解決に導かれることもあるという。
テレビ番組は、プロジェクトに参画する中小企業にとっても、課題が解決できるばかりでなく、知名度の向上にも繋がる貴重な機会になっている。
中小企業の魅力を知ってもらう架け橋になる
田村は、中小企業を応援する自身の役割を「マッチング」「解説」「敷居を下げる」の3つだと捉えている。今後の展望についても語った。
直近では、プロジェクトで今夏に本格始動するコミュニティ活動へ参加する予定だ。参画企業どうしが各企業の課題を話し合って解決に導く。同じ課題を抱える複数の企業が、一緒に解決策に取り組んでもいいだろう。これがマッチングのひとつだ。
まずは対面で集まるが、田村はオンラインで交流することへの可能性も感じている。オンラインの方が多くの人と交流でき、初対面での打ち解け方も進むというのだ。これは自身が運営するオンラインサロンでの経験に由来する。
「コロナ禍で、サロン参加者はオンラインでしか交流をしていませんでした。ようやく直接会えた時、初めて会った感覚がまったくないし、会話がめちゃくちゃ弾んだんです。これが新しい交流の仕方なんだなと思いました」
プロジェクトのコミュニティ活動でも、オンラインで人間関係の土台を作ることで、参画企業同士の事業提携といったマッチングが促進されるだろうと考える。また、中小企業と学生とのマッチングも構想中だ。「中小企業の未来展望は、未来ある学生たちと繋がることで開けるのではないか」と考える。
テレビ番組などを通して中小企業のサービスを分かりやすく、噛み砕いて解説することも自らのミッションと捉えている。中小企業のおもしろさを感じる人をひとりでも多く増やしたいと願い、自身も新たな中小企業との出会いを楽しみにしている。
さらに、中小企業を応援する人を増やすためには、自分の存在によって敷居を下げることも必要だと考えている。田村は「注目されない限りは、どんな良いサービスも花開かない。すばらしい中小企業を知った人は嬉しいし、その企業で働く社員も知名度向上を喜ぶ。僕は、その両方が喜べる場所にいたい」と語る。
そのカギとなるのはコミュニティだ。中小企業の経営者も、就職したい人も、応援したい人も、そしてアンバサダーも交流できる場のチカラによって、ニッポンが元気になっていく。田村は、これからも自分の幸せの軸に従って活動の枠を広げ、中小企業を応援し続ける。
中小企業からニッポンを元気にプロジェクト
https://nippon-smes-project.com
たむら・あつし◎1973年12月4日生まれ、山口県出身。1993年、ロンドンブーツ1号2号結成。コンビとして活躍する一方、個人でもバラエティー番組に加え、経済・情報番組など多ジャンルの番組に出演。300万人超のフォロワーがいるTwitter、YouTube「田村淳のアーシーch」の開設、オンラインコミュニティ「田村淳の大人の小学校」を立ち上げるなど、デジタルでの活動も積極的に展開。2019年4月に慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科に入学。2021年3月修了。タレントの枠を超えて活躍の場を広げている。