PwCアドバイザリー合同会社 パートナーでM&A戦略や企業再生、都市インフラ開発におけるデジタルプラクティスをリードする加藤靖之氏と、PwCコンサルティング合同会社 パートナーで、コグニティブ、AI、機械学習に精通する中山裕之氏が、最近のM&AのトレンドやAI活用の潮流などについて議論した。
M&Aのトレンドの変化
中山:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、企業を取り巻く不確実性が高まりつつあります。経験と勘と度胸に頼る経営スタイルでは、変化の察知、変化への対応に遅れを来すことも考えられ、AI(人工知能)やアナリティクス(分析)を経営の中枢に置いて考える「AI経営」の必要性がでてきていると感じます。
その中でも、AIを使ったM&Aは大きなテーマのひとつになるのではないでしょうか。加藤さんから見て、昨今のCOVID-19の影響はM&A市場にどのような変化をもたらしていると思いますか。
加藤:大きな視点で言えば、M&Aの目的が「量」から「質」にシフトしていると思います。COVID-19以前の数年間、日本企業は海外市場でマーケットシェアを獲得するための買収を多く実施していました。これらは戦略軸や事業モデルを大きく変えるものではなく、企業規模を拡大させるという「量」を目指したM&Aでした。
当時、日本企業の多くは、2020年の東京オリンピック以降は日本市場の成長余地は限定的だろうと目論んでいたため、海外に事業を拡大するということに主眼を置いていたと思います。
一方で2020年後半あたりからは、戦略視点や事業構造を変化させることを目的としたM&A戦略が増えてきています。このきっかけになっているのが、言わずもがなですが「COVID-19による社会・人の行動変化」と本格的に官民が動き出した「SDGsへの取り組み」、そして「デジタル・AI技術の進化」の3つです。
PwCアドバイザリー 合同会社パートナー Deals Digital リーダー 加藤 靖之
中山:3つのファクターを起点として、M&A領域でどのような動きが出てきていますか。
加藤:COVID-19によって人の行動や意識が変わり、アパレルやレストランチェーン、ホテルなどのリアル資産をベースとしたビジネスは、抜本的な事業構造改革を求められています。そして、これらを支えるサプライチェーンの再編が急ピッチで進められています。日本が誇る自動車サプライチェーンもしかりです。
これほどの急激な変化が起きたことで、企業は先延ばしになっていた事業や資産のポートフォリオの入れ替えを決断し、今後の成長領域にリソースを重点配分する動きが加速しています。2021年3月期の決算を何とか乗り切るために、含み益のある資産や事業を売却することで利益を出し、事業損失を埋め合わせするといった動きもあります。
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に関しては、特に脱炭素を実現するためのエネルギー調達の見直しや、サーキュラーエコノミーを成立させる事業モデルの実現に関連したM&Aが検討され始めています。今後は、グローバルレベルで、政府等による規制や機関投資家のSDGsに関連する投資基準が設定されるでしょう。
それに従い、企業にもSDGsに関する具体的達成目標が求められるようになります。これまでのように、M&A戦略の一部にSDGsの要素が組み込まれるといった思考から、SDGs目標の達成のためにM&Aを実施するという主従関係が逆転した思考で考えていくことが求められ、戦略を組み立て直す必要が出てくるでしょう。
3つ目のデジタル・AIは、今回の対談の本題ですね。メディアでDX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードを見ない日がないほど浸透してきました。そのような中で、DXの本質を理解している企業は、今後の競争優位性のカギとなる「AI経営」のデータ、アルゴリズム、コンピューティングという3要素をどのように獲得・開発するかという視点でM&A戦略を組み立て始めています。中でもオペレーションや投資判断の重要ファクターや予測に重要な影響を及ぼす先行指標データの価値が急激に高まっています。
これらの戦略実現に向けて、すでに世界のテック企業が動きだしていることからも分かるように、「データ獲得型のM&A」が今後増えるでしょう。これは単にクレジットカードの購買データを獲得するというようなものではありません。例えば、表向きはただの事業買収に見えても、本質的にはその事業が保持している唯一無二のトランザクションデータや顧客行動データの獲得を目的としていたというケースです。
加えて、「デジタル人材獲得型のM&A」のニーズも増すでしょう。どの企業もAIやデータアナリティクス人材の獲得は急務にもかかわらず、圧倒的に不足しているからです。なかなかそういった人材のいる企業が売却される機会は少ないですし、人材獲得型のM&Aというのは非常に難易度が高いので、実際に成立する案件数は多くないかもしれません。そういった観点から考えると、ひとつの事業モデルを構成するために、企業や産業の垣根を超えたアライアンスの形成が増えていくと思います。例えば、リアル資産の提供と事業を運営する会社、データを提供する会社、コンピューティングのインフラを提供する会社、AIやアナリティクスのアルゴリズムを開発する人材を提供する会社といった座組が増えるのではないでしょうか。
これら3つのファクターを起点に、2025年や2030年には社会や産業、企業がどのような姿になっているか、そのために自社は戦略軸や事業モデルをどう変えなければならないか、規模の大きさよりもその中身の変化に議論の力点が移りました。
M&A戦略上のAI・データ活用が新たな潮流に
中山:AI経営の視点がM&A戦略の重要な軸のひとつになってきていることは興味深いですね。M&Aを成功に導くためには、戦略策定後の具体的な落し込みやM&Aのトランザクション、その後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション:買収後の統合作業)も重要になってきます。これらの領域において、AIやデジタル・データアナリティクスはどのように組み込まれてきていますか。
加藤:PwCアドバイザリ―が開発したもののひとつに、AIを用いた「Potential Buyer Search(PBS)」や「Potential Target Search(PTS)」があります。グローバルベースの数十万件ものM&Aのトランザクションデータ、買収企業や被買収企業の事業内容や買収に関連するテキストデータなどを機械学習させたAIプラットフォームです。例えば、PBSでは、売却する事業の情報を入力すれば、AIが自動的に買収してくれそうな企業を導き出します。こちらは既に実用化を見据えて試行しており、私たちアドバイザーが従来の方法でリストアップする作業と並行して使用しています。
中山:デューデリジェンス業務でもAIやデータアナリティクスの活用は増えていますか。
加藤:はい。バイヤーサイドのデューデリジェンスでは、限られた時間の中で、買収企業と被買収企業の情報の非対称性をどれほど解消できるかが勝負です。これに対して、この数年で、デューデリジェンスで活用できるデータの種類、量が飛躍的に増加しました。中でも地理に関連した統計データやスマートフォンから得られる人流データ(人の行動軌跡データ)を用いることが増えました。この人流データの活用で、消費者がいつ、どこからどこに移動し、どれくらい滞在したか、といったことが5分、10分刻みで把握できます。大きく変容した人の行動動態が具体的に定量的に見えるようになりました。これらに非構造化データといわれる画像や言語・テキストデータを加えることで、根幹にある課題や解決のためのヒントが導き出せるようになります。
例えば、ある大型商業施設の買収案件のデューデリジェンスで人流データを用いた「地理空間分析」を行いました。当案件では、ディールの特性上、クライアントである買収企業は、被買収企業から詳細な情報を入手できない状況で意思決定をする必要がありました。そこで人流データを用いて、対象商業施設にどのような属性の人が来場し、滞在率・回遊率がどの程度なのか、近隣住民の利用率はどの程度か、などを高い精度で分析しました。この結果から、対象施設の実態と買収後の価値向上に向けた重要な示唆を得ることができました。
人流データを用いた地理空間分析 (サンプルイメージ)
中山:見えないものが見えるようになることで、価値やそのアップサイドポテンシャルを正しく判断できるようになるわけですね。COVID-19によって人の行動様式が大きく変わり、ますます地理空間分析は重要になるでしょう。
加藤:冒頭に述べたように、レストランやアパレルなどのマルチサイトビジネスは、この1年、目まぐるしく環境が変わり、資金体力的に事業構造を抜本的に見直すしかない状況に追い込まれています。新しいスポンサーや銀行から資金支援を受けるためには、リアルタイムで状況を把握し、どの店舗を閉鎖し、どの店舗を業態変革するかを組み込んだ具体的な再建計画が求められます。
このような再建計画では、人流データを用いたデータアナリティクスは必要不可欠なものとなっています。昨今の非連続的な変化においては、経験や勘は頼りにならず、唯一データだけが事実を知っているということですね。
デューデリジェンスとPMIの連携の課題を解決
中山:M&Aの中でも総合格闘技的な経営力が求められるのがPMIだと思います。ここでもAIやアナリティクスは、最大の武器になっていくと思いますが、PwCアドバイザリーではどのような取り組みが行われていますか。
加藤:私自身がM&Aの世界に20年以上いて、常にいたたまれない想いをしていたことがひとつあります。それがデューデリジェンス レポートなんです。短期間に徹底的に分析し、内容がぎっしりと詰まった数百枚のレポートが、時と状況の経過によってすぐに過去のものとなり、使われなくなっているケースが多いのです。評価基準日を設定し、それに合わせた評価を行うことが主目的なっていることもあり、仕方がない部分はあるのですが、「もったいない」の一言です。
私はデューデリジェンスのアウトプットが、もっと買収後の経営に有効活用されるべきだと考えています。例えば、PwCアドバイザリーでは、買収先の経営状況や重要なKPIをモニタリングする初期モデルをデューデリジェンス実施中に作り、買収後も継続して経営情報を月次アップデートできる「動的経営ダッシュボード」をアウトプットとして提供しています。そうすれば、これまでのレポートのように、時が過ぎれば情報が古くなり、シュレッダー行きといったこともなくなるでしょう。デューデリジェンスのアウトプットが、買収後の価値向上をモニタリングする重要なプラットフォームになるのであれば、私どもがいただくフィーはコストではなく投資であるとクライアントに考えていただけると思っています。
このようなケースは、M&A案件だけでなく、事業再生案件でも不可欠になってきています。
AIを用いた動的経営ダッシュボード(サンプルイメージ)
中山:データアナリティクスの土台となるBIツールを活用し、動的経営ダッシュボードが柔軟に構築できれば、デューデリジェンスからPMIにおいて効率的で、かつ一貫性を持ったモニタリングとアクションに取り組むことができますね。PMI局面の動的ダッシュボードは、今後も活用シーンや役割が進化しそうな気がします。
加藤:動的経営ダッシュボードは、AI経営、AIを用いたPMIの入口です。もう少し分かりやすくするために、レベルを3つに分けて整理します。
レベル1は、実態を正確にできるだけリアルタイムで把握すること、いわゆる「見える化」ですね。
そしてレベル2は、それにシナジーの創出などの目的を促進、モニタリングする「アクショントラッキング」です。
レベル3は、「予測・最適化」です。実質的には、ここからがAI経営の領域です。顧客データやトランザクションデータ、オペレーションデータ、さらには外部データを蓄積すれば、経営に大きなインパクトを与える要素の特徴量分析を行うことができます。それらを土台に機械学習やディープラーニング(深層学習)を用いて、重要なファクターの予測、投資の判断、オペレーションの最適化を実施します。これらのデータが蓄積すればするほど、より効率的なAI経営が可能になります。
このようなレベル1から3までのステップをクライアントと取り組むケースが増えてきました。今後、これらが本格的に実装されて、クライアントの投資先事業の大きな価値向上が実現することが待ち遠しいです。
中山:大げさではなく、引き続きM&Aは企業の生命線となるでしょうし、そのM&Aの真の成功にはAIは不可欠な存在となるでしょう。日本企業には、AI経営力やM&A力を磨いてもっと競争優位性を高めてほしいですね。
PwCコンサルティング合同会社パートナー PwC Japanグループ データアナリティクス AI Lab リーダー 中山 裕之
加藤:仰る通り、スピードが求められるグローバル競争下では、M&A力=競争力といっても過言ではありません。そしてAIやデータアナリティクスはそのM&A力の最も重要な要素のひとつになってくるでしょう。M&Aのプラクティスは、この20年である意味、成熟してきており、日本企業は、良くも悪くも慣れてきています。しかしながら、テクノロジーの進化とともに戦略策定、トランザクション、そしてPMIでできることが大きく変わってきています。真のM&Aの成功に向けて、そのやり方を見直す時期にきています。
厳しい環境が続きますが、逆に言えば変革を否定する理由がなくなったので、意思決定がしやすくなったはずです。大変革の時代、M&Aや投資といった大きな意思決定をクライアントと伴走し、次世代を担うAI経営のエンジンを共に創っていきたいと思います。
加藤 靖之
PwCアドバイザリー 合同会社
パートナー Deals Digital リーダー
中山 裕之
PwCコンサルティング合同会社パートナー
PwC Japanグループ データアナリティクス AI Lab リーダー
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