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2021.02.02

世界に挑戦する企業を支えたい。逆上陸を果たすFIIVSが、日本に持ち帰るNY流の成功術

FIIVSの共同経営者である纐纈章将(左)とYAZ(右)

徒手空拳でアメリカに渡り、ニューヨークで出会った同郷の二人が興したFiivs(ファイブス)。それからおよそ10年、イベント、カラオケ店、清掃会社、著名ブランドの米国での運営代理、日系グロッサリー(食品雑貨店)などと事業ドメインを増やしながら、会社は着実に成長してきた。世界を新型コロナが襲った2020年同社は日本法人を設立した。この異色の会社は、これからどんなアジア展開を進めるのだろうか。



音楽とファッションが同郷の2人を結びつけた


ベンチャーやスタートアップといえば、一般的に事業アイデアを明確にし、またIPOのような一定のゴール・イメージを持って成長戦略を進めるものだ。しかし、FIIVSの場合はまったく違う。ニューヨークで会社を興し、時々の人の縁を繋いでいきながら成長してきた。

「私たちが何をしている会社か。ひとことで言えばマネジメント会社ということになりますが、確かに説明が難しいところがありますね」

このように語るのは纐纈章将。YAZと2人でFIIVSを立ち上げた共同経営者である。

12年前、渡米した時は、特にこれと定まったビジョンはなかった。「大学時代、就職活動である会社の説明会に行ったのですが、これは自分には向いていない、と感じました。みんな同じようなスーツを着ていて、同じ方を向いている。そんな光景を見て、アメリカに行くことにしたのです」

一方のYAZ、20歳でアメリカ西海岸へ。短大でミュージックマネジメントを学んだ。「ヒップホップに魅了されていました。憧れていたDJクラッシュのように、日本人として世界で勝負したいと考えたのです」

その後ニューヨークに移り、音楽レーベルでインターンをしながら、自分でイベントを手がけるなどの活動を始めた。

そんなイベントを通して、2人は出会った。纐纈は、アパレルのバイヤーとして、生計を立てていた。ともに岐阜県出身という偶然も手伝い、意気投合するのに時間はかからなかった。


創業当時のエピソードを語る纐纈。YAZとの出会いがFIIVS創業へ繋がった (photo by Masao Katagami)

コミュニティに根ざしたネットワークが事業を広げるベース


音楽とファッション、そしてアート。2人の得意ジャンルを組み合わせるイベントの企画・運営でFIIVSは始動した。アメリカ人を対象とするイベントをやろうという日本人はいなかったというから、その存在は目立ったのかもしれない。ニューヨークのコミュニティで、人的ネットワークは広がっていった。

しかし、事業は必ずしも順調だったわけではなかった。YAZは振り返る。「イベントは安定的なビジネスではありません。いい時もあるけれど、いつもそうではない。ギャンブルのような一面があります。そこで、もう少し安定的なビジネスへと形態を変えようと考えました」

ここからの展開は、まさにコミュニティに根ざしたネットワークが効いてくる。まず、カラオケ店からプロデュースとマネジメントの依頼があった。ナイトライフ・ビジネスのノウハウがある程度できていたからだ。

「もともとの店は、内装も含めて、店舗運営がイケてなかったのです。ペンキの塗り替えから自分たちでやりましたが、自分の家ができたみたいで楽しかったですね」

当時雇ったスタッフの中には、のちにグラミー賞にノミネートされるまでになったアーティストもいたのだという。そんな感度のいいスタッフたちと一緒に仕事をしながら、ロウワーイーストの店は、ニューヨークで一番人気のあるカラオケと呼ばれるようになり、セレブリティが集まるようになった。

「ロウワーイーストは、ファッションや音楽の発信地。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグが、このカラオケ店を借り切ってパーティーをしたこともありました」

次に手がけた清掃会社も、このカラオケ店から生まれたものだ。「日本人ならではのきめ細やかな清掃が評価され、仕事が増えていきました。アメリカは万事が大雑把だから、われわれが清掃をすると、みんな〝嘘みたいに綺麗になった!〟とめちゃくちゃ喜ぶんです」

ニューヨーカーのネットワークを活かしながら、日本ならではの価値を提供する。FIIVSのビジネスは、このような特徴が評価されて成長していった。


コロナ禍のさなかに日本に逆上陸した理由


イベントから始まったFIIVSのビジネスは、現在、さらに広範囲に及ぶ。日本国内で高い人気を誇る複数のカジュアル・ブランドについては、店舗の運営、財務や人事まで米国におけるブランド経営の運営代理を行う。また、日本の食材を豊富に揃えるグロッサリーの経営も行う。

なぜ、ニューヨークでここまで多岐にわたるビジネスを、次々と展開することができたのか。纐纈は次のように分析する。「アメリカは日本のように完璧に作りこむのではなく、失敗を恐れずにまずはやってみて、修正していく。その文化が合っていたと思います。だから、失敗しても次に繋がるし、新しいアイデアも生まれます」

YAZも、付け加える。「ビジネスだから数字はシビアに見ますが、そのことより〝なるべく人を喜ばせよう〟という気持ちが強いですね。いわば、takeよりgiveしようということでしょうか。アメリカでビジネスをしようとする人の多くは、コネクションが欲しいと考えてtakeが前面に出がちです。でも、私たちは人のためになることを考えて動いていった方がいい、と考える。つまりgive が先。そういう姿勢にはオリジナリティがあるので、結果として目立つ。だから声がかかる、ということかもしれません」


FIIVSのビジネスにおいて、takeよりもgiveが先にあることが重要だと語るYAZ(photo by Tokio Kuniyoshi)

ところで、昨年からの新型コロナはFIIVSにも打撃となった。日本よりさらに状況は悪い。社員数は70名から30名になった。

「ニューヨークは、今まで見たことのない状況になりました。グロッサリーや清掃会社はエッセンシャル、つまり必要不可欠な業種に当たるということで、クローズは避けられましたが、それでも恐怖と向き合いながらの営業でした。そんな中で、来店するお客さんたちを、マネージャーと共に励ましながら営業を続けたのですが、お客さんは、あなたたちがNYを救っている、本当にありがとう、と感謝してくれました。一番ひどかったときには、夜7時を過ぎると空いている店はどこにもないので、店を訪れたみんなが拍手してくれるのです。近くの病院からも買い物に来た看護師の中には、泣いている方もいました。そのぐらいの恐怖だったのです。」纐纈はこう語る。

このような状況で営業が続けられたのは、FIIVSのスタッフの熱意と団結力があったからだった。当時の印象的なエピソードを、纐纈は教えてくれた。

あるファッション担当の日本人スタッフは、ロックダウンの翌日に、日本にいる母を亡くした。それでも、こんな時にマネジャーの私が休むわけにはいかないと、日本には帰らず、1日休んだだけで次の日には現場に戻ってきたという。

また、ブロンクスに住むアフリカ系アメリカ人のスタッフは、ロックダウン下でも、清掃会社の下請けだったクリーニング会社が休業になったため新しく始めたクリーニング事業や、同じくロックダウン中に始めたグロッサリーのデリバリーでも、家族の反対を押し切って毎日休むことなく奮闘してくれた。

「人種に関係なく、なんとかしようと考えて動いてくれたスタッフに頭が下がります。みんながgiveを考えている。このようにピンチがチャンスになる経験をし、やはり人のことを考えるのは大事だと再確認しました」

コロナ禍のさなか、FIIVSは日本法人を設立した。かねて考えにあった、日本国内外を問わず世界に挑戦したい企業をサポートする事業を本格化することが目的の一つだ。そしてその先にはアジア各国への進出も視野に入れている。

「経済的にもっと大きくなりたいという思いもあります。ただ、それより人を喜ばせたい。新しいね、面白いね、と言われたい。事業を通じて一緒に喜べるパートナーを増やしていきたいと考えています」

人の縁を紡ぎながら、ニューヨークでの足場を固めてきたFIIVSは日本で、またアジアや他の国々でも新たなビジネスを生み出していく。おそらくそこでも、takeよりgiveを優先するというスタンスは変わらないのだろう。他のどれとも似ていない、独自の起業・成長ストーリーは、この先も注目に値する。


FIIVS JAPAN
FIIVS(ファイブス)とは、“From Images Into Various Shapes(イメージから様々な形へ)”というコーポレートメッセージの頭文字を並べた造語。豊富な経験とネットワーク、そして創造的なビジョンで、クライアントのアイデアを具現化するというミッションが込められている。
https://www.fiivs.com/


Promoted by FIIVS JAPAN | Text by Toshihiko Masugi | Photographs by Masao Katagami & Tokio Kuniyoshi

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