「世界を見据えている企業にとって、アメックスは成功へのパスポート」と言われる。では、「アメックス特別賞」を受賞した企業から読み解く、成長の秘密とは―。
無名の日本人が海外で称賛されたとき、まるで自分の身内のことのように誇りを感じた経験はないだろうか。
「小さな日本代表」という言葉が頭に浮かんだのは、「アメックス特別賞POWERFUL BACKING AWARD」を受賞した3社に出会ったときだ。この賞はアメリカン・エキスプレスとForbes JAPANが、2019年7月から9月にかけて開催した3つのイベントで発表したものである。
まず、創業3年以内のスタートアップから「ライジングスター」を見出すピッチ大会。そして創業10年以上の中小企業から価値ある企業を発掘する「スモール・ジャイアンツ」の関西大会と関東大会。
アメリカン・エキスプレスは個人事業主から大企業に至るまで彼らのビジネスの「BACKING(支援)」を打ち出しており、日本から世界を変えようとする会社に「アメックス特別賞」を授与したのだ。
アメックス特別賞という、同じ船に乗り合わせた3社には共通点があった。組織こそ小さいけれど、山を動かす「ある決断」をしたことだ。大きな決断はどんな扉を開いたのか。その道のりをたどってみよう。
世界唯一の技 最高級の「黒」で世界を塗り替えろ
アベルの代表取締役社長、居相浩介大阪府八尾市にある社員31人の「アベル」の居相浩介は、2012年、大きな選択を迫られていた。ステンレスの表面処理事業を行うアベルは、世界唯一の商品「黒いステンレス」をつくる技術をもつ。
しかし、「下請けの下請けとして、自分たちの実績を言えない立場」だったという。例えるならば、ゴーストライターのような黒子の身分であり、実績は発注元のもの。自分たちの実績として社名を出したいと発注元に言うと、「それはいいけれど、もう取引はなくなりますよ」と宣告を受けたのだ。
のちに「アベルブラック」と名付けられ、世界をアッと言わせる黒いステンレスは、居相が入社した2004年にはすでに同社が確立していた。居相が回想する。
「私の入社直後、高級ブランドのフランクミューラーやD&Gの店舗を設計している方々から、『こんな黒色は見たことがない。ブランドイメージに合うから壁に使いたい』という問い合わせがありました。うれしい半面、これは問題でした。評価されるのに、中間に何社も入っているため、世間に我々の存在が認知されていないのです」
ステンレスの特性は錆びない点だが、色はシルバーであり、光を反射しやすく高級感はない。メッキや塗装で黒くしても剥がれるので、曲げるなど加工に適していない。しかし、アベルは居相の父親が社長を務めていた時代に、電解発色という手法を開発。ステンレスに電気化学的処理を行うことで、表面に極薄の酸化皮膜を生みだし、ステンレス自らが光沢を帯びた漆黒を発色するのだ。意匠性と機能性を備えた新素材である。
しかし、同業大手から注文を引き受ける立場なので、武器とは言い難かった。
「技術で差別化できる。黒で勝負しよう」
居相はホームページを充実させ、展示会に出展をするようになる。ところが―。「技術系の展示会に出展しても素通りされることが多く、商談に発展しないのです」
徒労の出展は、実に5年以上続いた。転機となったのは技術関連の展示会ではなく、「ものづくりパートナーフォーラム」だった。多種多様な人が集まるその展示会でブースを出すと、「それまで1回の商談が2〜3分で終わったのに、30分以上も話が盛り上がるようになりました」と言う。
建築や機械だけでなく、デジカメのファインダーや携帯電話など、用途も広がっていく。そして、決定打が東京スカイツリーであり、これが前述した苦悩の選択となる。
2012年、東京スカイツリーが開業。エレベーターに乗った人々は内装された漆黒の壁に囲まれ、エレベーターを降りた瞬間、目の前に空が広がり、東京を一望できる。この感動体験が評判を高めたのだが、アベルはあくまでも下請けであり、社名を出せない。実績としてスカイツリーを打ち出したい居相は、悩んだ末に決断した。
「いつまでも下請けではこの黒が眠ってしまう。前に出るべきだと決意しました」
居相は「独自性を打ち出すには製品に名前が必要」と考えた。社名のアベルは最高を意味するAceとフランス語の「美」であるBelの造語だ。だったら、最高に美しい黒はどうだろう。こうして「アベルブラック」が誕生したのだ。
15年には高級車レクサスから声がかかった。新車の開発で、車体の色を引き立てる黒をドアモールに使用したいという。しかし居相は、「大変恐縮なのですが、2回お断りしました」と言う。レクサスが求めるステンレスの素材が、アベルが得意とする素材と異なることと、開発まで時間がないからだ。それでもレクサスのデザイナーが八尾まで訪ねてきた。
「課題を克服しよう」。居相はエンジニアたちに言い、実験を重ねた。それから約1カ月後の16年正月明け、居相は新しいアベルブラックを手に愛知県に向かった。
レクサスの会議室で梱包を丁寧に解くと、現れた「黒」に開発スタッフがどよめいた。そして、こう言ったという。
「アベルさん、とうとうやりましたね!」
レクサスに使用されたドアモール。車体の色を引き立てる装飾性と、耐食性・耐候性を向上させた。―2018年9月、居相はパリにいた。世界中からインテリアや商店建築のデザイナーが集まる「メゾン・エ・オブジェ」。
「人だかりができました」と、居相が笑う。
深く黒いステンレスの板に、居相がスマートフォンのライトを当てると、人だかりの表情が一斉に変わった。研磨業者と共同開発したアベルブラックは、光を飲み込み、研磨による模様が光とともに動きだすように見える。
まるで暗い深海で夜光虫の群れが規則正しく泳いでいるようだ。黒い板なのに、吸い込まれるように深く立体的だ。「ヨーロッパのお客さんが驚くものをつくりたくて模索していました」と、居相は言う。
展示会への徒労の出展から約10年。パリにたどり着いたものの、まだまだ海外との直接取引には法令や流通など学ばなければならないことが多い。しかし、世界唯一の技術であり、それを支えた覚悟はすでにある。「成長を支えたい」というアメックス特別賞に異論を言う者は誰もいなかった。
その目の中に光を照らせ世界を変える小さな光源タカギセイコーの代表取締役社長、高木一成背後にあるのは、タカギセイコーが開発した世界初の手術顕微鏡「OM-9」。光の調整によって、見えにくかった患部を鮮明に診ることができる。9月末に行われたスモール・ジャイアンツ関東大会。ステージ上でファイナリストの一人、タカギセイコーの3代目社長、高木一成のプレゼンテーションが終わると、審査員席にいたアメリカン・エキスプレスのジェネラル・マネージャー兼法人事業部門副社長、須藤靖洋からいくつかの質問が飛び、最後に須藤はこう付け加えた。
「ぜひ、実現させていただきたいですね。世界を大きく変えることになりますよ」
高木が実現させたいこと―。タカギセイコーの歴史を振り返ると、それは夢で終わるとは思えない話である。
JR長野駅で新幹線から乗り換えて約50分。人口4万2,000人の中野市に本社を置くタカギセイコーは、眼科医療機器を製造し、世界80カ国以上で販売している。
中小企業でこれだけ多くの国に世界展開する例は珍しく、「グローバル・ニッチトップ」と呼ばれる。その原点は、元祖「脱・下請け」にある。高木に話を聞こう。
「1955年に私の祖父が創業してしばらくは、下請け企業として眼科の医療機械の加工や組み立て、あるいは釣り具のスイベルもつくっていたそうです」
大きな転機は、オイルショックだった。メーカーからの値下げ要求が厳しくなると、職人だった高木の祖父は下請けから脱するべく、1971年、眼科診査用機械の自社ブランドを開発・発売した。この決断が反発を招く。慣習破りに対して業界団体からは入会の見合わせ、そして展示会にブースを出すこともできなくなったのだ。
一方、自社ブランドをつくったからといって、簡単に売れるわけではない。
「ヨーロッパの大手がつくる製品は医療現場に信頼があるのですが、無名の会社なので信頼がないのです」と、高木は言う。
では、どうしたのかと問うと、「ひたすら40年間、足繁く海外に通いました」と苦笑する。地道に眼科学会に通い、海外の展示会にも出展し続けた。各国の法規制への対応や販売ネットワーク、アフターサービスまでの一貫した体制を構築。2014年に発表した診察用顕微鏡と手術用顕微鏡の2つのモデルが大ヒットし、ついに欧州企業からシェアを奪ったのだ。
ポイントは、「光」だ。目の中は透明で、病変を見つけるために極細の照明を当てる。この光の調整によって、見えにくかった患部を鮮明に診ることができるタカギブランドが医療現場で支持を獲得したのだ。
高木が円グラフを見せてくれた。同社の「地域別出荷割合」だ。日本は32%。海外は北米の31%を筆頭に全体の約7割を占める。が、アフリカと中南米は各1%だ。
「いま白内障は日帰り手術で治ります。でも、眼科医が少なく、病変を放置して失明をする地域が世界にはあります。医療が行き届いていない地域に、製品の供給を通じて目の健康に貢献したいのです」
脱・下請けで見つけた海外という活路。そこで40年越しに見つけた次の使命。光を失うかもしれない人々にとって、高木の決意はまさしく光明になるはずだ。
難題こそ共感を呼ぶ がん治療に光明をもたらす尿検査Icariaの代表取締役(CEO)、小野瀨隆一 「3カ月後に会社を辞めます」
小野瀨隆一が勤務先の三菱商事に宣言したとき、彼は退職後に起業する事業内容をまだ固めていなかった。当時26歳、2018年の年明けのことだ。それからわずか1年半後、創業3年以内の起業家が実力を競う本誌の「Rising Star Meet-up」で、彼はアメックス特別賞を受賞した。
しかも、小野瀨が挑むのは、人類の難題「がん」。独自のデバイスを使って、たった1mlの尿だけで高精度にがんを検出できるというビジネスで、起業を思い立ってから圧倒的なスピード感でビジネスを確立できたのは、驚異の「巻き込み力」と言っていい。
Icariaが開発した「尿中miRNA捕捉デバイス」。これにより、1300種類以上のマイクロRNAを高効率に取得でき、このデータを分析することで既存の検査方法よりも高い精度でがんを早期発見できる。「前年に祖母を膵臓がんで亡くしたことで、がんを身近に考えるようになり、がんの問題を解決して人類の進歩に寄与したいと思いました。そのとき投資家から偶然紹介されたのが、名古屋大学大学院の安井隆雄准教授だったのです」
当時33歳の安井は尿から疾患や悪性化に深く関与しているマイクロRNAを大量捕捉する技術で注目を集めていた。小野瀨は3月末に名古屋で安井に会うと、「すごく相性が合った」と言い、4月にもう一度会って「歯車が噛み合った」と、共同創業を決め、GWには会社をスタートさせたという。これが名古屋大学発ベンチャー「Icaria」である。ギリシャにある長寿の島が社名の由来だ。しかし、そもそも小野瀨は文系で、科学の知見はない。
「臨床試験など技術的な戦略を立てなければならず、その頃、相談をしていたのが市川裕樹です」と言う。
製薬会社に勤務していた市川はケミカルバイオロジーの研究者であり、経営企画のマネージャー経験もある。小野瀨は日本橋のドトールでコーヒーを飲みながら、「あなたが必要です」と口説き出した。
面食らった市川は、「さすがに無理ですよ」と言ったのだが―。
それから数カ月後、小野瀨は最高技術責任者に就任した市川とともに、アメリカで大物投資家やノーベル賞級の研究者から3時間も質問攻めにあい、見事パスした。アメリカのがんの発見は、血液によるDNAによる研究が主流だが、早期発見確率は小野瀨たちより格段に低いのだ。
資金調達も決まり、小野瀨たちは世界を目指すため、拠点をサンディエゴに構える。今後は日米両国で臨床試験を行うが、小野瀨がこんなことを言う。「テーマが難しければ難しいほど、人を惹き付けるのだと思います。同じ方向を見ている人とは思いが交差するんです」
アメックスの須藤は、3つのイベントでこう呼びかけていた。
「この日本から世界を変えるような企業が出てほしい。アメックスはそうした企業に寄り添い、一緒に成長を支えていきたいと考えています」。
居相浩介◎大学卒業後、東京のIT企業で5年間、営業の仕事をしたのち、2004年、29歳のときに父親が経営する大阪府八尾市のアベルに入社。19年に社長に就任。2018年に文部科学大臣表彰科学技術賞を受賞。スモール・ジャイアンツ関西大会で、カッティング・エッジ賞とアメックス特別賞をダブル受賞した。
高木一成◎2017年に33歳で3代目の社長に就任。眼科手術用の顕微鏡や診察機器のほかに、視力表や検査に使用する机や椅子も製造し続けている。検査機器はデザイン性にも優れているため、独自色で支持を得ている。
小野瀨隆一◎早稲田大学を卒業後、三菱商事を経て2018年5月にIcariaを創業。尿検査による「痛みのない高精度ながん早期診断」により、人々ががんで命を落とすことのない、新たな社会の実現を目指す。
そう、ビジネスには、これがいる。アメリカン・エキスプレス