ピードモント航空はノースカロライナ州ウィンストンセーラムで設立され、「南部の気品」すなわち格式や礼儀、手厚いもてなしを大切にする社風で知られた。1979年にシャーロットをハブとした複数の乗り継ぎ路線を開拓。1982年にはシャーロット・ダグラス国際空港に新ターミナルを開設した。同空港が現在、全米で11番目に利用客の多い空港となり、シャーロットが全米14番目の都市へと発展するのを支えてこられたのは、ピードモント航空のおかげなのだ。
だがピードモント航空は80年代末にUSエアウェイズ(当時はUSエアー)に買収され、USエアウェイズはアメリカン航空と合併して消滅した。アメリカン航空は現在、シャーロット発ロンドン行きの便を1日3便運航している。
フェアは主に国際線に乗務してきた。国内線よりも乗客の質が高いと感じている。国際線の乗客は「気質がすっきりしている」のだという。普段はベテラン客室乗務員たちと同じフライトを担当し、その中には長年の友人もいる。もうピードモントの客室乗務員は数十人しか残っていないのだそうだ。パイロットについてどう思うかを尋ねると「私のフライト時間よりも人生が短いパイロットもいるけれど、助けが必要なときは100%のバックアップをしてくれる」と評した。
ピードモント時代からの友人に、1969年に入社し2002年に退職したメバ・トンプソンがいる。よく同じ便に乗務した仲で、近年フェアは退勤後、車で3時間かけてテネシー州ジョンソンシティの自宅まで帰るよりも、シャーロット南部にあるトンプソンの家に泊まることが多い。トンプソンは、フェアのラストフライトを祝う会の主催者のひとりだ。
ふたりは客室乗務員の第一世代にあたる。ともに不当な規制と闘いながら、航空業界で自らの居場所を切り拓いてきた。フェアはトンプソンを「先駆者」とたたえる。当時の客室乗務員たちは、勤務前の体重測定を義務付けられたり、結婚を禁じられたり、32歳での退職を強いられたりといった厳しい労働制限と闘っていた。
客室乗務員の労働組合である「客室乗務員組合(AFA)」と「プロフェッショナル客室乗務員組合(APFA)」は、女性が航空業界で働く権利を確立し、職場で公平に扱われる環境を整えるうえで、先駆的な役割を果たした。トンプソンはピードモント航空におけるAFA支部の立ち上げに貢献し、苦情解決委員会でも活動した。「初期のフェミニスト」を自称するトンプソンは、フェアを評して「キャロルはずっと『会社人間』だった」と語る。
実は、フェアはピードモントに採用される前、アメリカン航空から不採用になっていたという。「私にはアメリカン航空にふさわしい資質がないと言われたんです」と明かした。そんな彼女が今や3万人の客室乗務員の最先任として、長きにわたるキャリアに終止符を打つのだ。物事というのは変われば変わるものである。


