ここ数カ月、大企業がかつてない規模でエージェント導入に投資するなか、AIが再びニュースの見出しを賑わせている。昨夏の懸念であった「AIは本当にインパクトをもたらすのか」は、より実存的な恐れへと姿を変えた。すなわち「AIのインパクトは大きすぎるのではないか」という問いである。
Mythos 5、Fable 5、ChatGPT-5.6のローンチ時に米当局が課した規制は警鐘となり、7月にOpenAIが発表した、テスト中のモデルが「訓練用のケージ」から脱出したことで引き起こされたサイバー攻撃の件が、それをさらに強めた。汎用人工知能(AGI)をめぐる議論が再び俎上に上がり、その派生的な論点である「労働の終焉か」「自由の終焉か」「人類の終焉か」といった問いも浮上し、AI変革計画のもとで組織を結集させるよう求められている経営者たちの仕事を複雑にしている。
だが、我々は実際には何を問題にしているのだろうか。AGIとは、あらゆる生産的な知的作業を、少なくとも(最も優秀な)人間と同等以上にこなすことができる人工知能を指す。要するに、アンソロピック(Anthropic)のダリオ・アモデイCEOの言葉を借りれば、「データセンターの中にある天才たちの国」である。この野望はすでにほぼ現実のものとなっていると主張する声もあるが、多くの研究者(人工知能学会[AAAI]が2025年に行った調査では76%)は、そこに到達するにはさらなる科学的ブレークスルーが必要だと考えている。
では、こうしたなかで人間の立ち位置はどうなっているのだろうか。意外にも、人間は健闘している。AI研究者らは、現在のAI能力の「不均衡さ(jaggedness)」について指摘する。一部のスキルでは人間をはるかに凌駕する一方で、別のスキルでははるかに劣るというものだ。AIに大きく有利な方向へと前線がシフトしたソフトウェア開発においてさえ、アーキテクチャの決定や機能のトレードオフ、責任の割り当てに関しては、人間とその判断が引き続き極めて重要な役割を果たしている。
では3年後、5年後、10年後はどうか。誰にもわからない。科学は答えを出せない。我々の学習モデルは意思決定が正解か不正解かのいずれかである場合に機能するが、日常生活の多くを占めるグレーゾーンでは機能しない。徒弟制度を通じて現場で学ぶことは、組織の基盤である。しかしそれは矛盾や曖昧さを含み、コード化にはなじまない。とはいえ、AIラボは次世代モデルの開発を全力で進めている。データは不足しつつある。OpenAI共同創業者の1人であるイリヤ・サツケバーは「インターネットは1つしかない」と述べた。しかしフィジカルAIや「実世界」モデルが新たな土俵を広げるだろう。計算能力への指数関数的な需要を支えるエネルギーや原材料も不足しつつあるかもしれない。しかしここでもイノベーションは急速に進展している──。
今日のAIに企業を適応させるために必要な努力を考え、遠からず到来するAGIの構想が立ちのぼるなかで、ときおりめまいのような感覚を覚えない経営者がいるだろうか。このテーマにおいて、ブレーズ・パスカルは今なお最高のコンサルタントである。この哲学者も確かに「これら無限の空間の永遠の沈黙が私を恐怖させる」と述べていた。だが彼には処方箋があった。「賭け」である。これを経営者版に直すと次のようになる。「今日、自社組織を変革し、仮にAGIの到来が遅れたり、あるいは決して到来しなかったとしても、私の勝ちだ。努力が無駄になることはない。もしAGIがいずれ到来したとしても、変革を行わなかった者たちと同じ立場に落ち着くだけだ」。すぐれた勝負師にとって、合理的な決定は1つしかない。変革することだ。さあ、賭けに出よう。



