音楽教師の覚悟
日本国内では、子どもの音楽教育ですらコンクールに出るとなると順位重視になってしまう側面もある。だから彼は、ハンガリーと日本をつなぐ子どものための国際プロジェクトを続けている。そもそも国を越えれば、視野が広がり、経験も増える。それに、まったく違う音楽教育を子どもたちに見せることもできる。
たとえばハンガリーには、音楽の教育者には相応の覚悟が明確にある、と彼は言う。小学校に入って最初に習ったピアノの先生は、彼が4年生になったとき、先生から『もう私のところはそろそろ卒業よ。一人の先生に、長年集中的に習うのは生徒のためにならない』といわれたそうだ。門下を変われなくて悩むこともある日本とは正反対である。
「なんとかもう1年教えてくれるように、こちらがお願いする方でした」
これは、音楽の教育者が社会における音楽のあり方を強く持っているからだそうだ。つまり感情に直接訴えかける音楽を使って教育をするとなれば、否が応にも相手の人生を変えてしまうことをよく理解しているということである。その先には、音楽家として果たすべき役割の意識がある。自分がそうであるように、生徒も自分と同じようにいずれ社会に対して責任を負う存在になる。だから音楽教育者は、自分の手元にずっとその子を置いておくわけにはいかないとわかっている。
「ヨーロッパで学ぶと、音楽家というのは社会の中においての役割があるということを、小さいときから聞かされます」
音楽の役割
では、その役割とは何か。
「音楽の芸術面での一番大きな特徴は、言葉などを介さず耳から感情に直接訴えかけられる表現だと思います。作曲家が表現した感情が、演奏者を通して、聴いているだけで直接入ってくる。それがいろいろな種類の喜びだったり悲しみだったり怒りだったり、そういうものをある意味、当事者意識でその場にいる全員が同時に感じ、共感することができる──。そのことで最終的に音楽というのは、聴く人や演じる人、個人個人の多様な感情の可能性を開拓し、生きる喜びを感じさせてくれる芸術なのだと思います」
人は互いを完全に理解することはできない。だが共感することはできる。人間同士が共感する力を育てる。それが音楽の力であり、戦争が各地で起きている今、最も必要とされている力だという話にもなった。


