私はオペラ歌手であると同時に、博士号はアートマネジメントで取得しており、二つの専門性を活かして、10年以上、国際声楽教育プログラムの「東京インターナショナル声楽アカデミー」(TIVAA)を運営している。
TIVAAのサマーワークショップは、若手の声楽家やピアニストが世界第一線のファカルティを迎え、集中的に研鑽を積むプログラムで、メトロポリタン歌劇場の副指揮者など、アメリカを中心に世界で活躍する先生方とともに運営しており、現在、日本や世界で活躍する日本人若手声楽家の多くが本プログラム出身者である。
今回、同じく子ども向けの国際プログラムを長年開催されているピアニストの金子三勇士さんとお話する機会を得た。なぜ子どもが対象なのか? また、音楽教育や、音楽家が社会に担うべき役割についてどう思うのか聞いた。
ピアノを弾かない世界の名門校の英才教育
日本人の父とハンガリー人の母を持つピアニストの金子三勇士さんは、日本で生まれ、6歳でピアニストになると決めて単身祖父母のいるハンガリーに渡った。そして、11歳で作曲家、ピアニストとして有名なフランツ・リストの創設した世界屈指の音楽院である国立リスト音楽院大学に入学。
金子さんによると、最初のピアノのレッスンの日、渡されたのは、楽譜ではなく、世界史の書籍と、今月行くべき美術展のリストだったそうだ。結局その最初のレッスンで、彼はピアノを一度も弾かなかったという。
「1年生のあいだにピアノを弾いたレッスンの数は、本当に数えられるくらいしかなくて。先生のレッスン室に行ったら、先生が『行くぞ』と言って歩き出すのです。どこに行くのだろうと思ったら、美術館でした」
またある日は、同じように連れ出され、ドナウ川沿いを散歩し、特に何を話すでもなく、ただ歩いて、戻ってきた。
その意味が分かったのは、2年生になった頃だったという。ある日、先生がこう言った。『あの日のことを覚えているか。結構寒かったよな。北風が冷たくて。それでもドナウは滔々と流れていた。あの感覚を、この作曲家はこの曲を書いたときに持っていたんじゃないか──。』と。
そして、そこから、レッスンが始まったという。実際にピアノを弾く前に、「弾くことができるようになる教育」が大事だということだろう。当時のリスト音楽院は、ことに子どもは普通科目で5段階評価の4以上をとっていないと在籍もできなかったという。



