本来の口コミは、「顔の見える人」「波長合う友人」の言葉
と、ここまで申し上げれば、いかにも小気味よい正論に聞こえるかもしれません。しかし、玉砕を恐れず丸腰の直感だけで突撃せよと言われても、それはあまりに心許ない精神論でしょう。店を見極める確かな評価軸を持つには、それ相応の場数と手痛い失敗の積み重ねが必要であり、私たちにはその試行錯誤を延々と繰り返すだけの時間も予算もないからです。
では、無駄な散財や遠回りをすることなく、自分自身の評価軸を磨いていくための手がかりはどこにあるのでしょうか。答えはいたってシンプルで、極めて身近な場所にあります。価値観の波長が合う、信頼できる友人・知人の言葉を手がかりにすることです。
ここで言う友人とは、決して「界隈でグルメとして有名だから」という理由で選ぶべきではありません。大切なのは知名度ではなく、リアルな人間関係の中で店で過ごす時間に対する価値観のチューニングが合っているかどうかです。
酒を酌み交わしながら場の空気を楽しみたいのか、あくまで料理そのものと向き合いたいのか。輪郭のはっきりした味を好むのか、出汁のきいた淡麗さに心惹かれるのか。あるいは少量多皿を軽快に味わいたいのか、しっかりとしたポーションで腰を据えたいのか。料理の見た目にしても、全部茶色くても構わない実質本位を愛する人もいれば、絵画のようなプレゼンテーションに胸を躍らせる人もいるでしょう。さらには分かりやすい高級食材が並ぶことに高揚するのか、空間の設えや器の美しさを愛でるのか。美味しければ接客の素っ気なさには目をつぶれるのか、温かなもてなしと居心地の良さこそを最優先にするのか。こうした細かな価値観のすり合わせができて初めて、その人の「あそこ、すごく良かったよ」という言葉が料理の味だけでなく、過ごす時間全体の質を含めた極めて精度の高いレコメンドになります。
私のグルメ仲間を見渡してみても、クラシックなフランス料理の重厚な空間を愛する人間から、下町のカウンターで店主と掛け合うグルーヴを好む者、あるいは生肉にウニさえ乗っていれば無条件でOKという屈託のない快楽主義者まで実に様々です。誰が優れていて誰が劣っているという話ではありません。それぞれの偏愛のベクトルを見極めた上で頼る相手を使い分ければいいのです。
ちなみに私自身のことをお話しすると、酒はしっかり飲む方で、量もそこそこ食べるタイプです。古典を愛する保守本流で、奇をてらったアレンジや意外性に逃げている料理は苦手。料理そのものと同じくらい店の客層や空気感、サービスの間合いを重視します。加えて費用対効果を強く意識する性分で、安くて旨い大衆酒場であれば少々の粗相には目をつぶりますが、それなりの金額を支払う店になればなるほど空間やサービスを含めた要求水準のハードルも跳ね上がります。そうした私の面倒な拘りや好悪のツボを理解してくれている友人からの推薦であれば、スマホ画面の向こうのスコアなど気にも留めず、迷わず予約を入れることにしています。
ただし、こうして友人・知人を頼るにあたって、一つだけ強く釘を刺しておきたいことがあります。以前、別の記事(「いい店教えて」に百戦錬磨の食通が思うこと。店選びには『正しい問い』こそ命)でも強く主張した通り、相手の審美眼や知見を一方的に消費し、都合よく使い倒すような関係は絶対に禁物です。
教えてもらった店に足を運んだのなら、相手のセンスに敬意を払い、必ず自分の言葉で感想をフィードバックし、感謝を伝える。「料理も素晴らしかったけれど、何よりあのスタッフの距離感が良かった」「少し賑やかすぎると感じたけれど、気の置けない仲間と語り合うには最適の店だった」。そうした対話を重ねるプロセスそのものが、友人との関係を深めると同時に、あなた自身の食体験の美意識を引き上げてくれます。自分は何に価値を感じ、どんな時間に納得してお金を払いたいのか。それを少しずつでも自分の言葉で語れるようになっていけば、いつか今度はあなた自身が誰かにとっての信頼できる案内人になるはずです。
顔の見える関係性の中で、体温の通った言葉として手渡される豊かな体験。匿名の誰かが雑に投げ捨てた星の数や、広告費で買い叩かれた「絶対行くべき」ではなく、互いの人となりを知る人間同士が交わす推薦の言葉。それこそが、情報技術が発達する前から存在していた、本来の「口コミ」の姿だったはずです。


