ブランドコンサルタントでコンテンツクリエイターでもあるミランダ・シャナハンによるTikTok投稿が最近、私の興味を引いた。その中で彼女は、台頭しつつある「努力シグナリング(effort-signaling)」コンテンツのトレンドについて、簡潔かつ説得力を持って解説している。
おそらくあなたも目にしたことがあり、間違いなく考えたこともあるはずだ。ただ、まだ名前を付けていなかっただけだろう。
努力シグナリングとは何か。
努力シグナリング型コンテンツでは、ブランドやクリエイターがコンテンツ制作に最大限の労力を注ぐ。ミランダは動画の中で、ヴィクトリアズ・シークレット(Victoria's Secret)など複数のブランドに言及している。同社は、パスタでミニチュアの衣服を作るフードクリエイターのSibatableと提携した。
英国のファッションブランド、ダムソン・マダー(Damson Madder)はMontibyMontiと組み、新作コレクションを本物のステンドグラスで発表した。またチェンバレン・コーヒー(Chamberlain Coffee)の最新キャンペーンは、すべて手作りの粘土によるストップモーションだった。
これが努力シグナリングである。ブランドやクリエイターが積極的に反AIへ向かう動きだ。
「スロップ(ゴミコンテンツ)」の時代か
私たちは「AIスロップ(AIが生成した低品質なコンテンツ)」の時代に生きている、と主張するのは容易だ。LinkedInのようなプラットフォームではAI生成コンテンツがあまりに広がっており、コンテンツの最大40%がAI作成であると指摘する報告もあるほどだ。そのためLinkedInは対策を講じ、「AIスロップのように見える」ボタンを導入した。
確かに、AIはコンテンツ制作プロセス全体を民主化した。小規模企業であれば、コンテンツを作るための社内スキルやリソースがないかもしれないし、それを担う人材を雇う予算もないかもしれない。だから、ワンストップでコンテンツを作成できるツールの魅力が極めて大きいことは明らかである。
これに対する反論として起きているのが反発(バックラッシュ)だ。
創造性、環境、社会のいずれの観点であれ、AIを本当に好まない人は数多くいる。ミランダは動画の中で、非常に興味深い点を突いている。彼女は、AIをめぐる誤解の1つとして、人々がアウトプットを嫌うのはそれが「スロップ(ゴミ)」だからだと思われているが、多くの場合、嫌われる理由は「インプット(人間の労力や関与)」が欠けているからだと指摘する。
インプット=アウトプットか
これは古くからあるビジネス上の問いである。何かをより速く行うことは、そのアウトプットの価値を何らかの形で低下させるのだろうか。
この問いへの答えは難しい。イエスでもあり、ノーでもあるからだ。
専門性と経験は、より速く、より簡潔な成果を生み出し得る。アートの世界を見てみよう。パブロ・ピカソのスケッチは数千ドルで売買されている。描くのに数秒しかかからなかったとしても、その価値はピカソの手によって生み出されたこと自体に内在している。時間がかかっていないからといって、安価でも無価値でもない。
反対に、彼の絵画「鳩を持つ子供」は5000万ポンドで売却された。したがって、時間はより高いコストと価値に等しい、と論じることもできる。
ミランダの話に戻ると、彼女は動画の中で現代美術に直接言及している。ここで、認識される「品質」を定義し数値化するうえでの、世代的・文化的な交差点が見え始める。個人的には、これは非常に多くの共通点があるため、興味深い参照点である。
良いもの、悪いもの、醜いもの
トレイシー・エミンは自分のベッドを整えなかった。マウリツィオ・カテランはバナナを壁にダクトテープで貼り付け、ダミアン・ハーストはホルムアルデヒドの水槽にサメを入れ、マルセル・デュシャンは便器をギャラリーに置いて偽名で署名した。
いずれも現代美術の例であり、努力が足りないように見えるとして嘲笑され、「それなら自分にもできる」といった言葉を浴びせられたものだ。
私たちは、多大な努力を高い価値と結び付ける。だからこそ、システィーナ礼拝堂の天井画やミケランジェロの彫刻のような、苦心の末に生み出された作品を見ると畏敬の念を抱くのである。
だが、整えられていないベッドはどうか。そんなものは誰にでもできる。そうだろうか。
品質=時間をかけた難しさか
「あるものがAIによって生成されたかどうかを判別するのが難しくなるほど、ブランドはそれがAI生成ではないと証明するために、より懸命に努力しなければならなくなる」
ミランダはこの言葉で動画を締めくくり、さらに、より多くのブランドが努力シグナリング型コンテンツを担うようになるだろうと予測している。
私自身、LinkedInのようなプラットフォームのあちこちで、こうした小さな事例を目にするようになっている。例えば、この投稿が機械ではなく人間によって作成されたものであることをオーディエンスに示すために、LinkedInの投稿にわざとスペルミスを入れるといった、ちょっとした工夫だ。
私もこれには同意する。ただし、いくつか留保はある。
現実には、すべてのブランドが、パスタでミニチュアの服を作るクリエイターや、ストップモーションアニメーションのキャンペーン、あるいはステンドグラス作家と協働するだけのリソースや資金力、あるいはその必要性を持っているわけではない。
多くの企業は、極めて騒々しく、競争が激しく、時間に追われる環境の中で、全力を尽くそうとしている小さなチームにすぎない。だから、コストや能力の壁を取り除くとうたうAIのようなものが登場すれば、当然ながら魅力的に映る。多くの人がその時流に乗り、今、その自然な反動が起きているのだ。
使い過ぎは問題の1つである。だが、それが最大の問題ではない。
AIをめぐる最大のリスク
企業、ブランド、個人にとって最大の脅威はAIそのものではなく、使い過ぎでもない。テクノロジーそのものが「アイデア」になってしまう瞬間である。
AIが問題の解決策そのものになってしまうこと。それこそが最大のリスクだ。その時点で、戦略と創造性は、模倣することしかできないツールへと丸投げされてしまっているのである。
ミランダが挙げる努力シグナリングの例は、これとは極端に相反するものだ。それらを見て、自社の事業には関係がないと感じるかもしれない。しかし、努力シグナリング型コンテンツは、これほど芸術的、あるいは物理的な媒体である必要はない。
この原則は、LinkedIn投稿、Instagramリール、B2Bレポートなど、あらゆるものに適用できる。努力を示すために、石に刻まれている必要も、ケーキに焼き込まれている必要もない。ただ、人間らしく感じられればよいのだ。



