国が行う投資のうち、特に重要なものの多くは、四半期決算や選挙、目先のニュースには表れない。研究所や大学、研究センター、教室で静かに続けられる投資である。そこでは若い科学者や技術者、研究者が、価値が明らかになるまで数年、時には数十年かかる発想を探究する機会を得ている。
科学研究への長期投資が人の可能性を広げる
科学研究への資金がなければ、私の人生はおそらくまったく違うものになっていた。私はこのことを自らの経験から知っている。
私は中国の農村部で生まれ、後に身を置くことになる世界的なビジネス界とは縁遠い環境で育った。経済的に恵まれた家庭でもなく、特別な人脈もなく、国際的な機会へつながる明確な道筋もなかった。私の進路を変えたのは教育であり、それ以上に大きかったのは、科学機関や政府が人間の可能性へ投資しようとしたことだった。
その支援によって、私はフランスで高度な科学を学び、その後は米国のイリノイ工科大学で博士号取得後の研究に取り組むことができた。どの段階でも、成果を事前に予測できなくても、科学の進歩には長期的に支援する価値があると考える制度から恩恵を受けた。
こうした機会によって、私は自らのキャリアを築いただけではない。イノベーションやリーダーシップ、産業の発展を通じ、自分を含む多くの人へ投資してきた社会にも貢献できた。
振り返ると、同じような道を歩んだ人がどれほど多いかを考える。数多くの起業家、技術者、医師、教授、イノベーターの背後には、世間に名前を知られるより前から、その可能性へ投資してきた教育・研究制度がある。
だからこそ、科学研究への資金をめぐる議論を私は強く懸念している。



