ティモシー・リアリーは思想家である前に、行動する人だった。ベトナム戦争が激化するなか、1960年代末、彼は一時、カリフォルニア州知事選への立候補を構想する。目的は権力を握ることではない。政治そのものを揺さぶり、「意識を変えなければ社会は変わらない」と示すためのパフォーマンスだった。スローガンは「Come together, join the party」。
この言葉に触発されてジョン・レノンが書いたのがザ・ビートルズの《Come Together》だと言われている。応援歌にもなり、やがて運動の合言葉となり、政治と音楽、思想とカルチャーが溶け合った。その相手は後の米大統領ロナルド・レーガンだった。レーガンはカリフォルニア州知事に当選し、1967年1月に第33代カリフォルニア州知事に就任した。リアリーは選挙に敗れ、彼の試みは、制度の外から世界を変えるというカウンターカルチャーの象徴として、今も静かに響き続けている。
1960年代のカウンターカルチャーは、単なる反抗運動ではない。国家、戦争、資本主義、大量消費、画一的な教育。それらの「正しさ」に対し、「それは本当に人間らしいのか」と問い直す運動だった。音楽、文学、ドラッグ、コミューン、瞑想。方法は過激でも、根底にあったのは意識の解放だった。そしてその精神は、やがて思いがけない場所へ受け継がれる。パーソナルコンピュータの世界である。
巨大な国家や企業だけのものだった賢い道具を、個人の手に取り戻そうとした若者たち。アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックもまた、その流れの中にいた。禅、LSD体験、ヒッピー文化。カウンターカルチャーの「個人の覚醒」という思想が、パーソナルコンピュータという形で結晶した。
テクノロジーとは、本来、個人を自由にする道具だったのだ。最晩年、ロサンゼルスが一望できる自宅でパーティーが行われた。ティモシーのことを大好きだった若い女性たちは、天使の羽をつけてお見舞いに来ていた。私はライカを抱え、撮影していいものか迷っていた。すると彼は痩せた手で私を招き、言った。
「Shoot me.(写せ)」
私はファインダーを覗かず、彼の目を見てシャッターを切った。最後に「一緒に撮ろう」と言われ、広角で二人の写真を残した。三日後、彼は旅立った。
三十年後、AIが身近になり、賢い道具がすべて私たちの手の中にある。カウンターカルチャーの火は消えていない。それは今も、一人ひとりの意識の中で、静かに燃え続けている。


