考えてみればFAXが普及した頃で、今ではそれも消えてしまった(なんでも最近はEメールが怖いのでFAXが復活していると聞くが)。アランがアップル・フェローになったのは、研究者として自由に考え続けるための「居場所」を得るためだった。

1970年代、アラン・ケイはゼロックスPARC(パロアルト研究センター)でDynabook(ダイナブック)構想、オブジェクト指向、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)など、後のPCの原型を次々に生み出した。しかし皮肉なことに、ゼロックスはその価値を理解できなかった。技術はあっても、未来を本気で実装する覚悟がなかったのだ。
そこに現れたのがアップル共同創業者のスティーブ・ジョブズだった。ジョブズはPARCを訪れたとき、「これは未来そのものだ」と直感する。そしてマウスもウィンドウもビットマップ表示も、すべてを自社で開発中だったLisaやMacintoshへ活かした。ジョブズは理解していた。これは単なる技術ではなく、「思想」だと。コンピュータは専門家の道具ではなく、子どもでも使える創造のメディアであるべきだ。その思想の源流が魅力だった。
アップルはそのDNAを守るため、彼をフェローとして招いた。大好きな研究をたくさんして、未来だけを考えてくれ、という役割である。ジョブズの信念は「経営者は大胆なビジョンが必要だ」である。ついでに言えば、「CTO(最高技術責任者)はハッカーで、COO(最高執行責任者)はハスラーになれ」と強気で攻めていく。
アラン・ケイを語る上で欠かせないのが、1968年の着想に始まり、1972年に提唱した前出の「ダイナブック構想」で、これは現代のタブレット端末の原型とも言えるものだ。一言で言えば、今僕らが「どこでもPC」ということで使い倒しているノートパソコンである。すでに1968年にこれを想像・構想しており、シャワーを浴びながら使いたいので完全防水ということも書いてあった。東芝が自社のノートブックに「ダイナブック」と命名したのもそれが元であった。
私たちは今、彼が蒔いた種から育った多くの知恵が入った箱を使っている。アランのロサンゼルスの自宅で語ってくれた言葉を書き残しておく。
「君は、この魔法を使って、どんな新しい世界を描くのかい?」


