未曾有の経済危機に、組織を背負って闘うメガバンクのエリート、かたや、家族、信用、財産、すべてを失ったファンドマネージャー。「メガバンク最終決戦」と「バラフライ・ドクトリン」の、対照的な2人の主人公の姿から透ける、本当の「人間の強さ」とは。
―先月、日銀がマイナス金利を発表、国債の利回りにも影響が出ています。
波多野聖(以下、波多野):新連載小説「バタフライ・ドクトリン ―胡蝶の夢―」は、東京オリンピックの3年後、国債運用の失敗で、家族、信用、財産、すべてを失った男が、横浜のドヤ街を彷徨っているところから物語が始まります。このタイミングでのマイナス金利、そして大荒れの市場に、ぞっとするほどの符号を感じています。
今回の小説は、Forbes JAPANでの連載なので、読者の方々にはある意味での「ビジネス書」となるように意識しています。国債が暴落したとき、変容する経済、そして世界に、我々はどう対処しなければならないのか。キャラクターの個性を浮かび上がらせると同時に、危機に瀕した時の国や経済など、大きな動きも描きたいと思っています。
椎名桔平(以下、椎名):意欲的な新作ですね。タイトルが印象的ですが、「ドクトリン」とはどういう意味で使ったのですか?
波多野:いわゆる「教義」、「主義」の意味で、ある時期までは頻繁に使われていましたが、最近では使われなくなった言葉です。この小説のタイトルには、ぴったりだと思いました。「ドクトリン」というと、「スターリン・ドクトリン」や「トルーマン・ドクトリン」などの言葉が思い浮かびますが、実は、実態があるようでないものなのです。そういった法律があるわけでもなく、明文化されているわけでもない。「誰も実態がつかめない」。そういうところが、この言葉の、そしてタイトルの重要なポイントです。しかし、この先は、後々のお楽しみにしていただきましょう。
―椎名さんが演じられるWOWOWのドラマ「メガバンク最終決戦」の主人公、メガバンクの専務・桂光義も、国債暴落という危機に、メガバンクという組織を背負って闘うところからドラマが始まります。
波多野:金融危機という大相場の中で、椎名さんのディーリングルームでの熱い演技は、私も「あの世界にもう一度戻りたい」と思わせるほど、相場の魂を感じさせるものでした。
椎名:銀行員は演じたことがありましたが、ディーラーは初めてでした。賭け事にも縁がないですし、勝負事に際して熱く盛り上がる、という感覚は、正直、実感としてはありませんでした。しかし、人間としての桂を見てみると、大手銀行の役員にまでなって、後輩にその立場を任せることもできるのに、まだディーリングルームにいる。「なぜ、今もってこの仕事を続けているのか」という疑問符の付く人物。
さらに、かつての同志といえる人物を亡くしている。当時、79円の為替相場が、反対に振れていれば、自分が同じ立場に追われていた。為替の値、株価のグラフによって人生が狂わされたり、会社が破たんしたりする。そういう世界に、ライフワークとして身を置く、人生を捧げるとはどういうことなのか、そこが桂という役の面白さではないか、と考えました。
また、人間にはある種、幸と不幸の「バランス」があると思っているのですが、桂の場合、他の何かを犠牲にしても、仕事をやり遂げてきたからこそ、今がある。その犠牲は何か、と考えた時に、彼には「家庭」がない。一人、夜景の見える贅沢な高層マンションに暮らしている。そのバックボーンを先生が上手く描いてくれていたので、熱いところは熱く、演じることができたのだと思います。
波多野:ディーリングの世界には「一度ディーラーになったら、一生ディーラーだ」という言葉がある。大相場での、とてつもない集中力、そして緊張感。そしてそれに勝った時の緩和と喜び。アドレナリンが、体の中を駆け巡る体験をしてしまうと、簡単に抜け出ることができなくなる。「バランス」という話が出ましたが、ディーラーにとってバランス感覚は命です。
例えば、右手に50g、左手に49.9gの重りがあるとして、それを瞬時に「こっちの方が重い」と分かる能力が必要です。それは、経験によって磨くものではなく、「センス」です。それを持っているか、持っていないか。やはり「相場に選ばれる人間」というのはいるのです。
その中でさらに這い上がるには、人間としての胆力も試される。その中で犠牲を強いられることもある。「孤独に強い」というのも絶対的に必要です。全員が「買いだ」と言っている時に「売りだ」と言わなくてはいけないわけですから。