各地域のリーダーである自治体首長に、地域独自のエピソードとノウハウを届けていただく本連載。茨城県境町の課題は「何もないこと」。その解決と逆転のヒントを探る。
東京駅から車でおよそ1時間。エリア内に駅がない鉄道空白地帯として、過疎化の一途をたどっていた茨城県西端の境町だが、2014年に現・橋本正裕が町長に就任して以来、あらゆる面で驚異的なV字回復を実現している。
町内には著名建築家・隈研吾が手掛けた施設が6棟も密集し、全国に先駆けて自動運転バスを運用。また、2013年にはふるさと納税実績はわずか6万5000円に過ぎなかったものが、昨年度には約48億円と大幅に増加している。さらには独自の英語教育政策や子育て支援策を整備し、境町は今、全国から視察が殺到する注目の町である。
停滞する地域経済に対し、明確な打開策を見いだせずにいる自治体が多くを占める中、境町は一体どのようなマジックを用いたのか。その仕掛け人である橋本に水を向けると、まず端的にこんな答えが返ってきた。
「こうして取材を受ける機会こそ増えていますが、境町と言ったところで、今でも誰もご存じないと思いますよ。でも、すべてにおいてそこがスタート地点になっているんです。何も持っていないからこそ、売りを作って稼がなければいけない。たとえば地元の花火大会にしても、それまでは3000発ほどの規模でやっていたものを2万3000発にまで増やし、誰が見ても感動するようなイベントに作り変えました」
売りを作るとはつまり、そういうことだと橋本は語る。口で言うのはいかにも容易いが、そこには独特の発想に基づく工夫が散見される。その1つがイベントの名称だ。ローカルイベントでは「○○町花火大会」、「○○町ふるさと祭り」などと地名を冠するのがシティプロモーションの王道だが、橋本氏はあえて「利根川大花火大会」と名付けている。
「利根川大花火大会の名称で2万発以上の花火があがるとなれば、それだけで足を運ぶに値するビッグイベントだと人々は思うでしょう。では利根川沿いのどこで開催されているのかというと、前橋でも龍ケ崎でも柏でもなく、訪れてみたら境町だった。こちらとしては来てもらわなければ始まらないわけですから、それでいいんですよ」
ふるさと納税に対する施策も同様だ。地域の農産物を売り物にするという発想ではなく、今何が売れているのかをつぶさにリサーチし、その商品を開発する。境町の主力商品となっている干し芋も、そんな着想からスタートしたプロジェクトだ。
「干し芋が売れるとわかったので、まず町内に工場を建てました。そして、地域の農家さんに芋の栽培をお願いし、それを買い上げて工場で加工する。売れる物を作って売っているのだから当然ですが、結果としてふるさと納税で2億円ほどの寄付が集まりました。そのうち純利益は約5割で、1億円が町の収入になりますから、工場を建設した数千万円のコストもあっという間に償却できるわけです」
まるでスタートアップの経営者のような口ぶりだが、その取り組みは実際、ベンチャースピリットに溢れている。税収が下がり、社会保障費が増す今後を思えば、自ら“稼げる”自治体であることは重要だ。そこで「人手がない」、「売り物がない」という言い訳を持ち出すことは境町ではあり得ない。冒頭の言葉の通り、「何もない」ことからすべてを起案しているからだ。
売れる物がなければ作ればいい。そこで一昨年には、六次産業化を推進する研究・開発施設「S-Lab」を町内に新設したばかり。同施設では、干し芋やワインを特産物として育む取り組みを進めているほか、隈研吾の手によるこの施設自体が今では観光スポットの1つになっているという。
こうした境町のスピーディーかつフレキシブルな意思決定については、隈研吾も「民間企業並のスピードで意思決定をしてくれるので、境町の仕事は面白い」と絶賛しているという。この町に2018年からの3年で6つの隈研吾デザインの建築物が建ったのも、そんな理由があってのことだろう。
自治体らしからぬ決断力の秘訣は、議会メンバーの多くと町議時代から関係を育んできたことに加えて、やはりこれまでの実績に基づく信頼が大きいと橋本は言う。2020年11月に実現した全国自治体初の公道での自動運転バス定常運行も、こうした背景が物を言った。
「自動運転というと、どうしても事故やトラブルを懸念する声が真っ先にあがります。しかし現在の技術を踏まえれば、80代のお年寄りが自分で車を運転する場合と比べて、どちらがリスキーであるかは言わずもがなです。ならば、技術の活用に向けて努力をし、改善を重ねながら暮らしやすい環境を整えるべきだと考えました。議会もこれが町民の困り事を解決する手段であると理解してくれて、5億円の予算承認もスムーズにおりました」
「道の駅さかい」を発着点に、自動運転バスが走る路線は2系統。東京行きのバス乗り場へ通じる往復約8キロのルートと、医療施設や育児施設を経由しながら猿島コミュニティセンターまでを結ぶ往復約9キロのルートである。
果たして、導入から1年後には早くも利用者数は5000人を超え、今日までに大きなトラブルは一度も起きていない。他方では全国初の事例ということで、境町の集客や知名度向上に自動運転バスは大きな成果を生んでいる。
「多くの自治体では循環バスを100円程度の運賃で走らせていますが、これはもともと採算度外視のモデルです。その点、我々は自動運転バスを横に移動するエレベーターのようなものと捉えているので、利用料金は徴収していません。事業性は補助金や広告収入、そして町としての宣伝効果で賄う想定でスタートしています。実際、このバスを目当てに境町へやってくる観光客は増えていますから、効果は十分でしょう」
こうした事業投資に取り組めるのも、町として稼げる下地があればこそ。そして、稼いだ収益は住民に還元される。境町では出産や育児への支援制度や、移住希望者への補助など幾多の施策を用意している。
とりわけ目を引くのは英語教育環境で、境町はフィリピン・マリキナ市と姉妹都市協定を結び、26人の外国語指導助手(ALT)を採用。町内の全小中学校及び公立保育園で、先進的な英語教育が無料で受けられる。英検受験料も無料化し、結果として中学3年生の英検3級取得率は、県平均を10%上回る42%に上昇し、小学1年生で5級(中学1年終了程度)を取得する児童もいるという。
「教育環境への関心は高く、他の定住促進事業の効果も相まって、実際に移住者も増加傾向にあります。若い世代には子育て環境の充実をアピールし、高齢者には移動の不安を解消してもらうことで、暮らしやすい町であることがご理解いただけるでしょう。不便や困り事をひとつずつ取り除いていけば、これほど自然豊かな良い環境はないと自負しています」
境町はこのほか、国内初となる世界大会が開催可能なレベルの常設アーバンスポーツ会場「境町アーバンスポーツパーク」や、オリンピック基準のホッケー場「境町ホッケーフィールド」とテニスコート「SAKAI Tennis court 2020」を備えている。こうした新たな価値を街にプラスオンすることで生まれる人流は計り知れないだろう。
「境町を誰もが不安なく住み続けられる町にしたいと、常々考えています。たとえば、ネットショッピングに対応できない高齢者層が、自動運転バスの中に設置されたタブレット端末に話しかければ簡単に牛乳を購入できるような環境が、もうこの1~2年で整えられると思いますよ」
橋本が掲げてきた町のモットー、「自然と近未来が体験できるまち」というフレーズが、今まさに体現されようとしている。
橋本正裕(はしもと・まさひろ)◎茨城県境町長。1975年茨城県境町生まれ。芝浦工業大学工学部建築工学科卒業後、境町役場に入職。2003年、境町議会議員選挙で初当選し、4期務める。2014年境町長に初当選。現在3期目。就任後は、ふるさと納税7年連続茨城県1位、2017年より5年連続関東1位の寄付額を獲得。全国町村最多となる隈研吾建築施設の整備、自動運転バスの公道定常運行の開始など、全国に先駆けた取組を数多く手掛ける。
▼「何もない」前提から始めた稼げる地域作り
東京駅から車でおよそ1時間。エリア内に駅がない鉄道空白地帯として、過疎化の一途をたどっていた茨城県西端の境町だが、2014年に現・橋本正裕が町長に就任して以来、あらゆる面で驚異的なV字回復を実現している。
町内には著名建築家・隈研吾が手掛けた施設が6棟も密集し、全国に先駆けて自動運転バスを運用。また、2013年にはふるさと納税実績はわずか6万5000円に過ぎなかったものが、昨年度には約48億円と大幅に増加している。さらには独自の英語教育政策や子育て支援策を整備し、境町は今、全国から視察が殺到する注目の町である。
停滞する地域経済に対し、明確な打開策を見いだせずにいる自治体が多くを占める中、境町は一体どのようなマジックを用いたのか。その仕掛け人である橋本に水を向けると、まず端的にこんな答えが返ってきた。
「こうして取材を受ける機会こそ増えていますが、境町と言ったところで、今でも誰もご存じないと思いますよ。でも、すべてにおいてそこがスタート地点になっているんです。何も持っていないからこそ、売りを作って稼がなければいけない。たとえば地元の花火大会にしても、それまでは3000発ほどの規模でやっていたものを2万3000発にまで増やし、誰が見ても感動するようなイベントに作り変えました」
売りを作るとはつまり、そういうことだと橋本は語る。口で言うのはいかにも容易いが、そこには独特の発想に基づく工夫が散見される。その1つがイベントの名称だ。ローカルイベントでは「○○町花火大会」、「○○町ふるさと祭り」などと地名を冠するのがシティプロモーションの王道だが、橋本氏はあえて「利根川大花火大会」と名付けている。
「利根川大花火大会の名称で2万発以上の花火があがるとなれば、それだけで足を運ぶに値するビッグイベントだと人々は思うでしょう。では利根川沿いのどこで開催されているのかというと、前橋でも龍ケ崎でも柏でもなく、訪れてみたら境町だった。こちらとしては来てもらわなければ始まらないわけですから、それでいいんですよ」
ふるさと納税に対する施策も同様だ。地域の農産物を売り物にするという発想ではなく、今何が売れているのかをつぶさにリサーチし、その商品を開発する。境町の主力商品となっている干し芋も、そんな着想からスタートしたプロジェクトだ。
「干し芋が売れるとわかったので、まず町内に工場を建てました。そして、地域の農家さんに芋の栽培をお願いし、それを買い上げて工場で加工する。売れる物を作って売っているのだから当然ですが、結果としてふるさと納税で2億円ほどの寄付が集まりました。そのうち純利益は約5割で、1億円が町の収入になりますから、工場を建設した数千万円のコストもあっという間に償却できるわけです」
まるでスタートアップの経営者のような口ぶりだが、その取り組みは実際、ベンチャースピリットに溢れている。税収が下がり、社会保障費が増す今後を思えば、自ら“稼げる”自治体であることは重要だ。そこで「人手がない」、「売り物がない」という言い訳を持ち出すことは境町ではあり得ない。冒頭の言葉の通り、「何もない」ことからすべてを起案しているからだ。
売れる物がなければ作ればいい。そこで一昨年には、六次産業化を推進する研究・開発施設「S-Lab」を町内に新設したばかり。同施設では、干し芋やワインを特産物として育む取り組みを進めているほか、隈研吾の手によるこの施設自体が今では観光スポットの1つになっているという。
▼自動運転バスや先進英語教育でさらなる人口流入を
こうした境町のスピーディーかつフレキシブルな意思決定については、隈研吾も「民間企業並のスピードで意思決定をしてくれるので、境町の仕事は面白い」と絶賛しているという。この町に2018年からの3年で6つの隈研吾デザインの建築物が建ったのも、そんな理由があってのことだろう。
自治体らしからぬ決断力の秘訣は、議会メンバーの多くと町議時代から関係を育んできたことに加えて、やはりこれまでの実績に基づく信頼が大きいと橋本は言う。2020年11月に実現した全国自治体初の公道での自動運転バス定常運行も、こうした背景が物を言った。
「自動運転というと、どうしても事故やトラブルを懸念する声が真っ先にあがります。しかし現在の技術を踏まえれば、80代のお年寄りが自分で車を運転する場合と比べて、どちらがリスキーであるかは言わずもがなです。ならば、技術の活用に向けて努力をし、改善を重ねながら暮らしやすい環境を整えるべきだと考えました。議会もこれが町民の困り事を解決する手段であると理解してくれて、5億円の予算承認もスムーズにおりました」
「道の駅さかい」を発着点に、自動運転バスが走る路線は2系統。東京行きのバス乗り場へ通じる往復約8キロのルートと、医療施設や育児施設を経由しながら猿島コミュニティセンターまでを結ぶ往復約9キロのルートである。
果たして、導入から1年後には早くも利用者数は5000人を超え、今日までに大きなトラブルは一度も起きていない。他方では全国初の事例ということで、境町の集客や知名度向上に自動運転バスは大きな成果を生んでいる。
「多くの自治体では循環バスを100円程度の運賃で走らせていますが、これはもともと採算度外視のモデルです。その点、我々は自動運転バスを横に移動するエレベーターのようなものと捉えているので、利用料金は徴収していません。事業性は補助金や広告収入、そして町としての宣伝効果で賄う想定でスタートしています。実際、このバスを目当てに境町へやってくる観光客は増えていますから、効果は十分でしょう」
こうした事業投資に取り組めるのも、町として稼げる下地があればこそ。そして、稼いだ収益は住民に還元される。境町では出産や育児への支援制度や、移住希望者への補助など幾多の施策を用意している。
とりわけ目を引くのは英語教育環境で、境町はフィリピン・マリキナ市と姉妹都市協定を結び、26人の外国語指導助手(ALT)を採用。町内の全小中学校及び公立保育園で、先進的な英語教育が無料で受けられる。英検受験料も無料化し、結果として中学3年生の英検3級取得率は、県平均を10%上回る42%に上昇し、小学1年生で5級(中学1年終了程度)を取得する児童もいるという。
「教育環境への関心は高く、他の定住促進事業の効果も相まって、実際に移住者も増加傾向にあります。若い世代には子育て環境の充実をアピールし、高齢者には移動の不安を解消してもらうことで、暮らしやすい町であることがご理解いただけるでしょう。不便や困り事をひとつずつ取り除いていけば、これほど自然豊かな良い環境はないと自負しています」
境町はこのほか、国内初となる世界大会が開催可能なレベルの常設アーバンスポーツ会場「境町アーバンスポーツパーク」や、オリンピック基準のホッケー場「境町ホッケーフィールド」とテニスコート「SAKAI Tennis court 2020」を備えている。こうした新たな価値を街にプラスオンすることで生まれる人流は計り知れないだろう。
「境町を誰もが不安なく住み続けられる町にしたいと、常々考えています。たとえば、ネットショッピングに対応できない高齢者層が、自動運転バスの中に設置されたタブレット端末に話しかければ簡単に牛乳を購入できるような環境が、もうこの1~2年で整えられると思いますよ」
橋本が掲げてきた町のモットー、「自然と近未来が体験できるまち」というフレーズが、今まさに体現されようとしている。
橋本正裕(はしもと・まさひろ)◎茨城県境町長。1975年茨城県境町生まれ。芝浦工業大学工学部建築工学科卒業後、境町役場に入職。2003年、境町議会議員選挙で初当選し、4期務める。2014年境町長に初当選。現在3期目。就任後は、ふるさと納税7年連続茨城県1位、2017年より5年連続関東1位の寄付額を獲得。全国町村最多となる隈研吾建築施設の整備、自動運転バスの公道定常運行の開始など、全国に先駆けた取組を数多く手掛ける。