映画『カメラを止めるな!』、小説『マネーの魔術師』の脚本指導などマルチな才能を多分野で発揮している、小説家であり、映画監督・ストーリーコンサルタントとしての顔も持つ榎本憲男が、2018年のForbes JAPAN SMALL GIANTS AWARDで「BEST ENGAGEMENT賞」を受賞した、岩手のアイカムス・ラボとのつながりをきっかけに、近年注目の「TOLIC」のイベントに登壇。その模様を綴る。



JAPAN 5月13日、僕は医療機器を中心とする岩手のベンチャー企業集団「TOLIC(東北ライフサイエンス機器クラスター)」のカンファレンス(23回目)に出席し、この日の最後の演目だったトークセッション「サバイブから発展へ」に登壇した。

僕がはじめて岩手を訪れたのは、2018年、「Forbes JAPAN」本誌の特集「スモール・ジャイアンツ」の取材だった。「アイカムス・ラボの片野圭二社長を取材して欲しい」という依頼を受けて、次の小説の準備に取りかかる前だった僕は、軽い気持ちで引き受けた。だがこの時の片野氏の取材は僕に強い印象を残し、その後も氏とのやりとりが続いた。

最初の取材からしばらく後の2019年8月から、Forbes CAREERのウェブサイトで、アイカムス・ラボを中心とする数々のベンチャー企業が、医療機器事業を中心に有機的に結びつきながらTOLICという団体を形勢するまでの経緯を連載した。ちなみに第1回のタイトルは「新年の盛岡。激震が走った工場撤退の一報【東北再生 第1話】」で、連載は第12話の「盛岡で起きた、必然という名の奇跡」まで続く。

ドキュメンタリー映像作品を製作中


この僕のテキストはForbes CAREERのウェブで閲覧可能だ。そして、「いまも岩手の人たちには熱心に読まれていて」(片野社長談)、有志がこれを「TOLIC物語」と題する小冊子にして(もちろん著者である僕と、Forbes JAPAN編集部の了解を取ったうえで)、無料で配布されている。

また現在、この「TOLIC物語」を原作としてクレジットしたドキュメンタリー映像作品「らせんの群像〜ものづくりDNAとTOLICの戦略〜」も製作中で、13日のカンファレンスではそのパイロット版も上映された。

では、ここで僕のテキストの内容をかいつまんで記しておこう。

1980年代半ば、片野圭二は大学卒業後、大手電子部品メーカー「アルプス電気」の盛岡工場に勤務した。この事業所は、本部が設計したものを仕様書通りに生産する工場ではなく、独自に企画開発を行う独立独歩のいわば企業内企業であった。

では、なにが企画、開発、生産されていたのか。プリンターのユニットである。プリンターは、画像処理や、インクの顔料、プリンタヘッドのプログラム制御などさまざまな技術の複合体だ。つまり、アルプス電気盛岡工場はプリンターという製品をつくりながら、それを成立させるさまざまな技術を自家薬籠中のものとしていたわけである。

しかし、このアルプス電気盛岡工場は閉鎖となり、従業員らは県外への転勤または退職という選択を余儀なくされた。そして、片野をはじめとして相当数の社員が退職し、盛岡で起業する道を選んだ。社員たちは盛岡工場で培った技術を手に事業を起こすが、それはやがて、医療機器事業へと向かい、TOLICいう団体を形成するまでに至る。

注目するべきはスピンアウトして起業したベンチャーがほとんどすべて生き残っていることだ。これは非常に稀有なことだと指摘しつつ、その謎に迫るというのが、Forbes CAREERでの連載の狙いだった。

この事象を研究対象として捉えている学者もいる。東北大学の福嶋路教授はさらに精緻に分析し、論文「外的圧力による同時多発的スピンオフの出現とネットワークの形成」(田路則子法政大学教授、五十嵐伸悟九州大学教授との共同)を執筆した。ちなみに参考文献にはForbes CAREERでの僕のテキストも掲載されている。

「行きたい」という発想はないのか?


さて、この日のカンファレンスでは福嶋教授に加え、通信社を退職して自らの報道メディア「あゆみ時報」を起業したばかりの若いジャーナリスト小山あゆみ氏、アイカムス・ラボで研究開発を行っている若手社員の高橋泰輔氏、アントレプレナーシップ旺盛な一関工業高等専門学校学生の上野裕太郎氏という若い世代に、「セルスペクト」社長の岩渕拓也氏と片野氏というTOLICの中心企業の経営者を加えて、同組織と岩手のさらなる発展について、自由闊達に意見交換した。



数々のベンチャー企業が生き残った原因には、アルプス電気盛岡工場で培った技術力があったことは先に述べた。しかし、盛岡工場はもうない。と同時に、「日本の大企業は少しずつ体力を削られており、これまでのように余裕を持った研究開発ができなくなりつつある。なので、ベンチャー企業と大企業とのネットワーク、またベンチャーどうしのネットワークが重要になってくるだろう」という指摘が、福嶋教授からあった。

また、ジャーナリストの小山あゆみ氏は「TOLICは基本的に技術者の集団であるためか、言葉づかいが専門的で硬すぎる」と指摘し、「もし若い人たちにアピールしたいのであれば、表現方法を開拓する必要もあるのでは」と意見を述べた。TOLICは技術者を中心に形成された団体である。確かに、技術者は「これくらいわかって当然」という前提を相手に期待しがちである。これは、TOLICを取材している時に僕も何度か感じたことでもあった。

さらに、学生の上野裕太郎氏からは「この土地でビジネスを志す若者が活動しやすいような土壌をつくって欲しい」という発言があった。起業する者にとって、なによりもありがたいのは資金調達のサポートだろう。

この日は、法政大学の田路則子教授が講演を行っていて、スウェーデンの大学発ベンチャーの資金調達の仕組みが紹介されていた。基本的には政府系ファンドと教育系ファンドが技術シーズの発展を強力にバックアップしており、しかも、その後に経営の専門家に経営を任せて自分が他企業に就職しても、技術の知財は技術開発者(つまり研究者)に残り、なおかつ事業に失敗しても返済義務がないという、軽いフットワークを促す魅力的な建て付けになっているという。

ただ、このような枠組みがすぐに形成できないのだとしたら、重要な役割を担わざるを得ないのが地銀だろう。極論すると、地域の発展に貢献できないのならばメガバンクで十分ということになりはしないか。いささか不躾で失礼な言い方であったが、マネーサプライヤーとしての地銀の重要性について、僕から指摘させていただいた。

また、このカンファレンスのテーマ自体は「戻りたい・残りたい故郷にするには?」というもので、共同体主義的な色合いに彩られたものだった。そこで、会場にいた京都大学の小寺秀俊名誉教授から「『行きたい』という発想はないのか?」という非常に重要な問題提起があった。

また、この日は岩手県立大学の近藤信一准教授も講演を行っており、イノベーション形成を3つのモデルに分けて、「①場所 ②大学 ③人」と分析しており、とくに③の人の重要性を強調していた。ならば、どんな人にいて欲しいか、帰ってきて欲しいか、また来て欲しいのかという視点に加えて、どんな場所なら来てもらえるのかという視点も顧慮するべきだろう。それとともに、どのような人間を育てていくのかという教育の問題も重要になってくる。

「われわれは何者なのか、われわれはこの土地でどのように生きていくのか」というテーマでどんな物語を語っていくのか、これがTOLICの今後を大きく左右する問題だと僕は思う。





榎本憲男(えのもと・のりお)1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』で小説家デビュー。2015年『エアー2・0』を発表し、注目を集める。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行。シリーズ化されて、「ブルーロータス」「ワルキューレ」「エージェント」と続く。