地域に根差しながら、先進的な技術・サービスや独自の取り組みで未来を切り拓く「小さくても偉大」な存在―スモール・ジャイアンツ―は全国に存在している。Forbes JAPAN SMALL GIANTS Filesは本企画のスタッフが全国を回り、今後、よりスケールしていくであろう団体や企業、取り組みを発掘・紹介していくシリーズだ。本プロジェクトを通し、スモール・ジャイアンツならではの勝ち筋を探っていく。
潜熱蓄熱材の可能性に賭け62歳で独立
日本の農家の約7割は65歳以上の高齢者だ。離農者も相次ぐ中、新規就農のハードルは高く、世代交代はなかなか進んでいない。深刻な課題の解決に立ち上がったのがヤノ技研の代表、矢野直達だ。彼は世界トップクラスの技術「潜熱蓄熱カプセル」を提供し、農業のコストダウンに貢献。その先のサステナブルな営農のあり方を支援する。
トマト、ナスなどの野菜が季節を通して食卓に並ぶのは、ビニールハウス栽培の恩恵だ。そもそもビニールハウスなどの温室栽培では、その作物の生育に適した一定温度をキープする必要がある。たとえばトマトは20~25℃前後が最適だ。15℃以下で生育が鈍り、5℃以下では生育が止まってしまう。温度が高すぎても高温障害のリスクがあり、適切な温度管理が必須だ。このため、ビニールハウス農家はきめ細かな温度管理に最新の注意を払う。そこで浮上するのが燃料のコストだ。寒冷地などではビニールハウスに重油ボイラーなどの暖房設備が必須の地域も多い。近年は原油価格の高騰もあり、この燃料費が農家の経営を圧迫している。
そこにソリューションとして刺さるのが、ヤノ技研が手がけるエネバンクだ。コンパクトで扱いやすいボディにPCM(高性能潜熱蓄熱材)を内蔵し、取り付けるだけで室内温度の上昇と低下を抑え、農作物の生育にベストな温室環境を実現するものだ。
では、PCMとはいかなるものか。物質には温度変化に伴って固体から液体へ、液体から気体へ状態が変化する性質もある。変化する際には大量の熱を蓄えたり、逆に放熱したりする。ここで生まれる熱エネルギーが「潜熱」である。エネバンクはこの性質を利用し、大量の熱を蓄えたり、放出したりすることができる。太陽光が当たる日中に熱を蓄え、温度が下がる夜間には放熱することで、ハウス内の温度を一定に保つのだ。
「顕熱に比べ、潜熱のエネルギーは、はるかに大きいのです。私は長年に渡って潜熱蓄熱を研究してきました。エネバンクとして2002年に製品化したPCMは、その独自技術の結晶です。エネバンクに用いた潜熱蓄熱材は同じ体積で水の5倍という蓄熱量を持っています。世界を見渡しても、無機化合物のPCMを高レベルで実現しているメーカーは私どもを置いて他にありません
高効率で蓄熱できるため、エネバンクは極めてコンパクトな仕様にできます。ビニールハウスの中に吊り下げたり、野菜などが植わった培土に置いたりして温度を調節する役割を担います。エネバンクはPCM素材の配合によって設定温度を自由に制御できるのがミソ。-20℃から80℃まで設定でき、農業だけではなく住宅、実に様々な領域に活用できます」
蓄熱材の試材が積まれたラボラトリーで、矢野が語る。大学院で物理化学を学び、理学博士号を取得してクボタに入社。1970年代から住宅空調システムの開発に携わった。
「PCMに取り組んだのは第一次オイルショックがきっかけでした。石油に頼ることなく、どうやって熱エネルギーを確保するかが社会課題になっていたのです。そこで注目したのが、欧米でも盛んに研究され始めていた蓄熱材です。そこには事業や生活の活動から出る『熱』をいかに有効活用するかという視点がありました。日本での利用環境を考えて、よりコンパクトに、安全で環境にやさしい仕様を目指して開発に従事していましたね」
有機化合物を用いた蓄熱材は高温になると自然発火するリスクもあり、慎重な取り扱いが求められる。一方、矢野がフォーカスしたPCMは無機化合物が主材の発火の懸念はない。しかもメンテナンスフリーで長寿命。サステナブルな蓄熱システムが構築できる。矢野は住宅建材領域で蓄熱材の研究に没頭し、有力な特許を複数取得した。メーカーの一研究員として研究に従事し、会社員人生をまっとうするつもりだったが……。
「定年退職が迫った直前のことです。クボタが不振を理由に住宅建材事業からの撤退を決定したのです。私は長年取り組んできたこともあり、潜熱蓄熱に関する研究には自信がありました。手塩にかけた我が子の特許をお蔵入りさせるには忍びない。世の中では省エネが求められており、そこには潜熱蓄熱の技術が絶対に必要になるはずです。クボタに交渉したところ、法人を立ち上げるという条件で特許技術の工業所有権を譲渡してもらえることになりました。自分が手がけた特許を持って起業したというわけです。退職金は、そのまま起業の資金になりました」
2003年、矢野は退職後に62歳でヤノ技研を起業。2005年には神戸市ものづくり工場内に本拠を移し、神戸ラボを開設した。神戸市ものづくり工場とは阪神・淡路大震災の被災企業に操業環境を確保するために神戸市が構えた、国内最大規模の公営賃貸工場である。現在ヤノ技研以外にも100社以上の中小製造業が入居する、ものづくり技術の一大集積地だ。
潜熱蓄熱材の事業化を目指した。培ってきた潜熱蓄熱技術が基盤になったが、事業化を見据える矢野は利用シーンに適した仕様に工夫をこらした。会社員時代に住宅建材領域で模索したのは住宅や施設に向けた全館空調システムだったが、起業後に想定したのは重厚長大なシステムではない。安心・安全に、さまざまな現場でフットワーク軽く使ってもらいたい――ものづくりの現場から、矢野はさまざまな業種・業界の現場に眼差しを向けた。スモール・ジャイアンツの志と高度な技術が両輪で回り、高効率かつコンパクトな潜熱蓄熱材「エネバンク」が生まれる。
磨いたオンリーワン技術は 農業に止まらず
矢野と共に、エネバンクをフル活用するビニールハウス栽培の現場を訪ねた。イチゴ農家の「すまいるふぁーむ藤本」、トマト農家の「畠農園」はヤノ技研の技術に着目し、運用実績を重ねている。
「2020年からイチゴのビニールハウスに導入しています。日光を遮らないよう、イチゴ棚の下にエネバンクを吊り下げて活用。晴れた日には温室内の余剰熱がエネバンクに自然に流入して蓄熱され、日が暮れてからは自然に放熱。暖房を入れなくても、ぬくさが体感できるほどほど熱が発散されているのがわかります。冬季の燃料費は約3割もコストダウンできています。冷えすぎず、それでいて日中は温度が高くなりすぎない。これはイチゴの受粉用に飼育しているミツバチにとってもうれしいようで、群れの寿命も伸びています。ハウス内の生態系に大きなメリットがありますね」(すまいるふぁーむ藤本・藤本耕司氏)
「トマト栽培の経費では、燃料費がかなりの割合を占めます。1晩で200l~300lの重油を消費する日があるほどです。重油だけではなく肥料などあらゆる面で値上げが続く中、農家にとってはコスト減が喫緊の課題です。エネバンクはランニングコストがかからず、15年単位で安定して使い続けられる点に魅力を感じました。ヒートポンプなどさまざまな手段と併用しつつ、時代に引き継げるサステナブルな農業を模索しています」(畠農園・畠房生氏)
余剰エネルギーを蓄え、足りなくなった時に活用する――エネバンクが持つ普遍的なエネルギー活用の思想は、省エネやコストダウンにとどまるものではない。時代のキーワードを実現する未来像も見せてくれる。政府が提唱する「カーボンニュートラル宣言」、農林水産省が推進する「みどりの食料システム戦略」への符合だ。エネバンクが活躍するフィールドは、サステナブルな農業を見据えた省エネ温室栽培にとどまらない。矢野はZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)、など、クボタ時代に主戦場としていた住環境への再進出も視野に入れている。
「植物も昆虫も、そして人間も、快適な温度は一緒ですからね。私の開発思想は至ってシンプルです。繰り返して使えるようにすること。安定して長く使える技術にすること。そして、安全であること。農業や地域の産業を持続可能なものにしていくためには、私たちの技術は確実に貢献できるものだと考えています」
ヤノ技研が長年地道に研究してきた技術は、大企業では採算が合わずに切り捨てられる研究である。高齢化、燃料費高、人手不足の厳しい時代にこそ価値を高めるオンリーワンの技術は、ヤノ技研がスモールがゆえに実現できたものなのだ。
矢野直達(やの・なおみち)1941年生まれ。大学院で物理化学を専攻。卒業後にクボタに入社し、住宅事業部で建材研究年に携わる。2002年に勤務先が住宅事業から撤退することを受け、定年直前で退社。退職金で自ら発明した潜熱蓄熱材の特許を買い取って起業し、有限会社ヤノ技研を設立。高性能蓄熱材「エネバンク」の研究開発、普及促進に尽力している。
潜熱蓄熱材の可能性に賭け62歳で独立
熱を自在に操る異色の起業家が農業を救う
日本の農家の約7割は65歳以上の高齢者だ。離農者も相次ぐ中、新規就農のハードルは高く、世代交代はなかなか進んでいない。深刻な課題の解決に立ち上がったのがヤノ技研の代表、矢野直達だ。彼は世界トップクラスの技術「潜熱蓄熱カプセル」を提供し、農業のコストダウンに貢献。その先のサステナブルな営農のあり方を支援する。
トマト、ナスなどの野菜が季節を通して食卓に並ぶのは、ビニールハウス栽培の恩恵だ。そもそもビニールハウスなどの温室栽培では、その作物の生育に適した一定温度をキープする必要がある。たとえばトマトは20~25℃前後が最適だ。15℃以下で生育が鈍り、5℃以下では生育が止まってしまう。温度が高すぎても高温障害のリスクがあり、適切な温度管理が必須だ。このため、ビニールハウス農家はきめ細かな温度管理に最新の注意を払う。そこで浮上するのが燃料のコストだ。寒冷地などではビニールハウスに重油ボイラーなどの暖房設備が必須の地域も多い。近年は原油価格の高騰もあり、この燃料費が農家の経営を圧迫している。
そこにソリューションとして刺さるのが、ヤノ技研が手がけるエネバンクだ。コンパクトで扱いやすいボディにPCM(高性能潜熱蓄熱材)を内蔵し、取り付けるだけで室内温度の上昇と低下を抑え、農作物の生育にベストな温室環境を実現するものだ。
では、PCMとはいかなるものか。物質には温度変化に伴って固体から液体へ、液体から気体へ状態が変化する性質もある。変化する際には大量の熱を蓄えたり、逆に放熱したりする。ここで生まれる熱エネルギーが「潜熱」である。エネバンクはこの性質を利用し、大量の熱を蓄えたり、放出したりすることができる。太陽光が当たる日中に熱を蓄え、温度が下がる夜間には放熱することで、ハウス内の温度を一定に保つのだ。
「顕熱に比べ、潜熱のエネルギーは、はるかに大きいのです。私は長年に渡って潜熱蓄熱を研究してきました。エネバンクとして2002年に製品化したPCMは、その独自技術の結晶です。エネバンクに用いた潜熱蓄熱材は同じ体積で水の5倍という蓄熱量を持っています。世界を見渡しても、無機化合物のPCMを高レベルで実現しているメーカーは私どもを置いて他にありません
高効率で蓄熱できるため、エネバンクは極めてコンパクトな仕様にできます。ビニールハウスの中に吊り下げたり、野菜などが植わった培土に置いたりして温度を調節する役割を担います。エネバンクはPCM素材の配合によって設定温度を自由に制御できるのがミソ。-20℃から80℃まで設定でき、農業だけではなく住宅、実に様々な領域に活用できます」
蓄熱材の試材が積まれたラボラトリーで、矢野が語る。大学院で物理化学を学び、理学博士号を取得してクボタに入社。1970年代から住宅空調システムの開発に携わった。
「PCMに取り組んだのは第一次オイルショックがきっかけでした。石油に頼ることなく、どうやって熱エネルギーを確保するかが社会課題になっていたのです。そこで注目したのが、欧米でも盛んに研究され始めていた蓄熱材です。そこには事業や生活の活動から出る『熱』をいかに有効活用するかという視点がありました。日本での利用環境を考えて、よりコンパクトに、安全で環境にやさしい仕様を目指して開発に従事していましたね」
有機化合物を用いた蓄熱材は高温になると自然発火するリスクもあり、慎重な取り扱いが求められる。一方、矢野がフォーカスしたPCMは無機化合物が主材の発火の懸念はない。しかもメンテナンスフリーで長寿命。サステナブルな蓄熱システムが構築できる。矢野は住宅建材領域で蓄熱材の研究に没頭し、有力な特許を複数取得した。メーカーの一研究員として研究に従事し、会社員人生をまっとうするつもりだったが……。
「定年退職が迫った直前のことです。クボタが不振を理由に住宅建材事業からの撤退を決定したのです。私は長年取り組んできたこともあり、潜熱蓄熱に関する研究には自信がありました。手塩にかけた我が子の特許をお蔵入りさせるには忍びない。世の中では省エネが求められており、そこには潜熱蓄熱の技術が絶対に必要になるはずです。クボタに交渉したところ、法人を立ち上げるという条件で特許技術の工業所有権を譲渡してもらえることになりました。自分が手がけた特許を持って起業したというわけです。退職金は、そのまま起業の資金になりました」
2003年、矢野は退職後に62歳でヤノ技研を起業。2005年には神戸市ものづくり工場内に本拠を移し、神戸ラボを開設した。神戸市ものづくり工場とは阪神・淡路大震災の被災企業に操業環境を確保するために神戸市が構えた、国内最大規模の公営賃貸工場である。現在ヤノ技研以外にも100社以上の中小製造業が入居する、ものづくり技術の一大集積地だ。
潜熱蓄熱材の事業化を目指した。培ってきた潜熱蓄熱技術が基盤になったが、事業化を見据える矢野は利用シーンに適した仕様に工夫をこらした。会社員時代に住宅建材領域で模索したのは住宅や施設に向けた全館空調システムだったが、起業後に想定したのは重厚長大なシステムではない。安心・安全に、さまざまな現場でフットワーク軽く使ってもらいたい――ものづくりの現場から、矢野はさまざまな業種・業界の現場に眼差しを向けた。スモール・ジャイアンツの志と高度な技術が両輪で回り、高効率かつコンパクトな潜熱蓄熱材「エネバンク」が生まれる。
磨いたオンリーワン技術は 農業に止まらず
住環境をもサステナブルに快適化する
矢野と共に、エネバンクをフル活用するビニールハウス栽培の現場を訪ねた。イチゴ農家の「すまいるふぁーむ藤本」、トマト農家の「畠農園」はヤノ技研の技術に着目し、運用実績を重ねている。
「2020年からイチゴのビニールハウスに導入しています。日光を遮らないよう、イチゴ棚の下にエネバンクを吊り下げて活用。晴れた日には温室内の余剰熱がエネバンクに自然に流入して蓄熱され、日が暮れてからは自然に放熱。暖房を入れなくても、ぬくさが体感できるほどほど熱が発散されているのがわかります。冬季の燃料費は約3割もコストダウンできています。冷えすぎず、それでいて日中は温度が高くなりすぎない。これはイチゴの受粉用に飼育しているミツバチにとってもうれしいようで、群れの寿命も伸びています。ハウス内の生態系に大きなメリットがありますね」(すまいるふぁーむ藤本・藤本耕司氏)
「トマト栽培の経費では、燃料費がかなりの割合を占めます。1晩で200l~300lの重油を消費する日があるほどです。重油だけではなく肥料などあらゆる面で値上げが続く中、農家にとってはコスト減が喫緊の課題です。エネバンクはランニングコストがかからず、15年単位で安定して使い続けられる点に魅力を感じました。ヒートポンプなどさまざまな手段と併用しつつ、時代に引き継げるサステナブルな農業を模索しています」(畠農園・畠房生氏)
余剰エネルギーを蓄え、足りなくなった時に活用する――エネバンクが持つ普遍的なエネルギー活用の思想は、省エネやコストダウンにとどまるものではない。時代のキーワードを実現する未来像も見せてくれる。政府が提唱する「カーボンニュートラル宣言」、農林水産省が推進する「みどりの食料システム戦略」への符合だ。エネバンクが活躍するフィールドは、サステナブルな農業を見据えた省エネ温室栽培にとどまらない。矢野はZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)、など、クボタ時代に主戦場としていた住環境への再進出も視野に入れている。
「植物も昆虫も、そして人間も、快適な温度は一緒ですからね。私の開発思想は至ってシンプルです。繰り返して使えるようにすること。安定して長く使える技術にすること。そして、安全であること。農業や地域の産業を持続可能なものにしていくためには、私たちの技術は確実に貢献できるものだと考えています」
ヤノ技研が長年地道に研究してきた技術は、大企業では採算が合わずに切り捨てられる研究である。高齢化、燃料費高、人手不足の厳しい時代にこそ価値を高めるオンリーワンの技術は、ヤノ技研がスモールがゆえに実現できたものなのだ。
矢野直達(やの・なおみち)1941年生まれ。大学院で物理化学を専攻。卒業後にクボタに入社し、住宅事業部で建材研究年に携わる。2002年に勤務先が住宅事業から撤退することを受け、定年直前で退社。退職金で自ら発明した潜熱蓄熱材の特許を買い取って起業し、有限会社ヤノ技研を設立。高性能蓄熱材「エネバンク」の研究開発、普及促進に尽力している。