ソウルの中心部から南方に地下鉄4号線で1時間10分ほどの場所にある京畿道安山市は、韓国を代表する移民の町と言われている。
前回のコラムで紹介したソウルのガチ中華タウン「大林(デリム)」を訪ねた数日後の週末、もう1つの「チャイナタウン」と称されるこの町を訪ねた。
ところが、そこは当初思い描いていたものとは別世界だった。周辺に緑が多く残る首都圏郊外の駅を降り、広い車道の下の地下道をくぐり抜けると、目の前に広がっていたのは、これまで見たソウルの「チャイナタウン」ではなく、想像をはるかに超えた「多国籍タウン」だった。
外国人住民の割合が最も高い町
街頭で最初に聴こえてきたのは、イスラム圏、おそらく中央アジアの音楽のようなエキゾチックな調べだった。
歩行者天国となっている「安山マルチカルチュアル・フードストリート」と名付けられた通りには、ハングルや中国語簡体字だけでなく、ベトナム語やインドネシア語、ミャンマー語、カンボジア語、さらにはキリル文字で書かれた看板で覆いつくされていた。
町を行き交う人たちも、ここはいったいどこなのだろうと思われるほど、「多国籍」だ。
金髪の女性もいれば、目だけ出して顔と頭を覆う「ニカブ」と呼ばれるベール姿のイスラム系女性もいるし、髪の毛を丸く結って頭にのせカラフルな民族衣装に身を包んだアフリカ系女性が通り過ぎていく。
また、日本にもよくいる東南アジア系の陽気な若い男女たちも、ここでは多数派である中国系の人たちに交じって、にこやかに歩いている。週末らしくベビーカーを押す家族連れも多かった。
「こんな町は日本では見たことがない……」
思わずそう呟いていた。東京随一の多国籍タウンといわれる新大久保でも、通りを歩く大半は日本人なのだが、このフードストリートには韓国の人たちの姿は意外なほど少なかったからだ。
この安山は、韓国では外国人住民の割合が最も高い町だという。その数は近年、増加の一方だ。2000年代後半に約3万人だった外国人の人口は、2025年に10万人を超えている。
人口約70万人の安山市の7人に1人は外国人となる。その多くが「安山多文化特区」と呼ばれる街区に、まるで囲い込まれているかのように暮らしているのである。
国籍別では中国、ここでも韓国で「海外同胞」と呼ばれる中国朝鮮族が多数派だ(その理由は、前回の大林のコラムで解説したとおり)。近くに2つの工業団地があることが第1の理由だが、ソウルへ地下鉄で行ける利便性も、外国人住民にとっては大きいという。
これほど外国人人口が増えた背景には、安山市の工業団地における労働者不足があった。
1960年代の韓国は「漢江の奇跡」と称される国家主導の経済開発で大きく発展を遂げた。1970年代に入ると、ソウルに集中した産業を分散化させるため、零細工場などが周辺地域に移転された。
当時の韓国は、一方で海外に労働者を送り出す労働輸出国でもあり、安山はそれを補うように、全国から貧しい韓国人労働者が集まる地域となった。
ところが、ソウルオリンピック(1988年)を成功させた1980年代後半には、「3K職種」の労働力不足が表面化し、1990年代に日本に似た外国人研修生制度が施行されたことから、安山に外国人労働者が流入するようになったという。
こうして急激に多文化社会へと突き進む変化のスピードは、東北や北陸などからの集団就職や出稼ぎで労働者を補うことで達成された、戦後日本の高度経済成長の過程では見られなかったものだと言えるだろう。



