スピード、規模、確実性が報われる世界において、最も変革をもたらすリーダーたちには、貸借対照表のどこにも現れない1つの基盤的な資質がある。
リーダーシップ開発に長く携わってきた経験から言えるのは、多くの組織に「勇気が足りない」という問題があるのではなく、それを名指しできていないという問題があるということだ。戦略資料やOKRで飾り立て、イノベーションや破壊的変化について語りはするが、静かな本音を口にすることは稀である。本当の変革には、不快さを受け入れ、間違いを認め、ときに自分の信念のために孤独でいる覚悟が必要だ。その覚悟には名前がある。勇気である。そして、それは最初に来なければならない。
だからこそ勇気は、ドネラン・リーダーシップ・メソッドの12原則のうち第1原則に置かれている。そして私は最近、とりわけ敬愛する2人──コンパッショネート・リーダーズ・サークルのチーフ・ラーニング・オフィサーであるサラ・フィーリーと、フォーダム大学の評議員でコンパッショネート・リーダーズ・サークルの教員でもあり、メディア業界のベテラン幹部でもあるダリル・ブラウン──と腰を据えて対話し、リーダーシップの人生を通して「勇気」が実際にはどのような姿を取るのかを掘り下げた。
勇気を第1原則に据えたのは、理論だけによる結論ではない。何年も前、私はのちにこの枠組みとなるもののために定量的インタビューを行っていた。そこで私は、純粋な意志の力でショービジネスに食い込み、業界での経歴も人脈もないにもかかわらず、やがて大作映画のキャスティングを手がけるまでになった、非凡なキャスティング・ディレクター兼演技コーチに会った。彼女がキャリアをどう切り開いてきたのかについて、長く密度の濃いインタビューを行った。3日後、彼女から折り返し電話があった。伝え忘れていた重要なことがあるという。「勇気は最初に来なければならない」と。
それで決まった。あの瞬間である。私たちは彼女の言葉によって、勇気を最初に置いた。それ以来、私たちが実施してきたあらゆるForbesへの投稿インタビュー、リーダーシップの変革モデル、そしてプロジェクトのすべてにおいて、繰り返し現れるテーマとなっている。
勇気は「変革列車」の切符である
訓練を積んだファシリテーターとしての精緻さと、生来のリーダーとしての勘を併せ持つフィーリーは、対話の中でこう端的に表現した。「勇気は列車の切符です。たくさん努力し、たくさん考えることはできます。でも勇気にアクセスできなければ、本当に変革的なことはあまり起こりません」
その通りだ。私は業界をまたいでリーダーたちと仕事をしてきたが、優秀で、リソースに恵まれ、善意もある人々が、まさにこの境界線で足踏みしてしまう場面を見てきた。戦略がないからではない。才能がないからでもない。勇気を持つという内面的な決断──私が責任あるリスクと呼ぶものを引き受ける決断──が、まだできていないだけなのだ。
責任あるリスクは、ビジョンを持つリーダーと無謀なリーダーを分ける。完全なリスク回避と、部下を不必要な危険にさらすことの間にある領域である。リスクがあると分かったうえで集会に行き、それでも行く──訓練と支援を得て、何に踏み込むのかを明確に理解したうえで。対話の中でブラウンは、マーティン・ルーサー・キングがこれを理解していたことを思い起こさせてくれた。彼は人々を準備なしに街へ送り出したのではない。道具と共同体、そして戦略を与えた。それが本物のリーダーシップの姿である。
アラインメント──勇気の内なる構造
対話の中で最も力強い瞬間の1つは、メディア企業の幹部として数十年を過ごし、リーダーシップ理解に深いスピリチュアルな知性を持つブラウンの言葉から生まれた。
ブラウンは、95歳のイエズス会士である霊的指導者が言う「頭、心、手」のアラインメント(整合)について語った。「頭の中で起きていることが、手を動かして何かをする前に、心と同期している必要がある。そうなると、流れが生まれます」。さらに彼は続けた。「その整合が『こうせよ』と促していることを、自分が勇気を持って外に出て支えるとき、そこに自由があります」
多くのリーダーシップ・プログラムが見落としているのはここだ。頭は鍛える。心にはときどき触れる。しかし勇気は、その2つの統合の中に宿り、そして手を通じて行動として現れる。ブラウンが目に見えて感情を込めて語ったムハマド・アリは、ベトナム戦争が間違っていると信じただけではない。25歳、ボクサーとして絶頂期にあった彼は、巨大な個人的・職業的代償を承知で、それを公然と言い切った。ヘビー級王座を剥奪され、投獄の危険も負った。それでもやった。頭と心と信念が整合していたからである。
私が支援するリーダーたちにとって、最大の障壁は「何をすべきか分からない」ことではない。知っていることと、実行することの間にある溝である。その溝を埋めるのが勇気だ。
偽りの自己は、想像以上に高くつく
対話の中でブラウンが提示した概念を、すべてのリーダーにじっくり受け止めてほしい。真の自己と、偽りの自己である。
「偽りの自己はエゴに突き動かされている」と彼は言う。「外に踏み出せない、挑戦できない、と言うのがそれです。真の自己は本物の自己です。頭、心、手が整合しているとき、群れの真ん中にいる必要はもうありません。それが私の感じる自由です」
偽りの自己は高くつく。好かれたい気持ちを守るために率直なフィードバックをしないリーダー。取締役会が反発するかもしれないという理由で大胆なアイデアを引っ込めるエグゼクティブ。チームに失敗させることができず、その結果、成長させられないマネジャー。それが偽りの自己だ。
コンパッショネート・リーダーシップ(思いやりのあるリーダーシップ)が求めるのは、もっと難しいことだ。自分が勇敢であるだけでなく、他者が勇敢でいられるように助けることである。私の言葉で言えば、ビジョンを持つ個人から真のリーダーへと移行するとは、「私がクリエイティブで、私が意思決定者だ」から、「どうすれば他者が自分の勇気、創造性、声を見つけられるよう力づけられるか」へと転換することだ。それが本当の仕事であり、その土台に勇気がなければ起こりえない。
希望は戦略ではない──戦略にするまでは
私にとって希望は勇気と切り離せないものであり、その点についても私たちは時間をかけて語り合った。フィーリーは、世界幸福度報告のデータを共有し、肯定的感情と最も相関する社会的要因が「人々の自由の感覚」と「寛大さに囲まれているという感覚」の2つであることを示した。GDPでも、地位でもない。自由と寛大さである。
何が私を前に進ませるのか──どれほどのことがあっても、リーダーは別の、より良い道を選べるのだと信じさせるものは何か──と考えると、結局は行動に戻ってくる。私は最近、80歳で講演するジェーン・フォンダの話を聞く機会に恵まれたが、彼女はこう言い切った。「希望は行動から生まれる」。時には、良い思考へと辿り着くために、まず行動する必要がある。
ブラウンが道中の招待状として示したのは次の言葉である。「ひとりで過ごして、あなたが成し得る善について考えなさい──そして、それをやりに行く勇気を持ちなさい。不足ではなく、豊かさから見なさい」
これこそが、コンパッショネート・リーダーシップの土台そのものである。勇気は、生まれつきの性格特性でも、チェックリストで埋める能力でもない。日々の実践だ。避けたい気持ちを抑えて、上司に建設的なフィードバックを伝えること。家にいたほうが楽なときでも、自分の政治的価値観のために声を上げ、抗議に出ること。他者が成長し、失敗も経験できるように任せること──自分のやり方で自分がやったほうが早いと思っても、そうしないこと。
勇気を最初に置け。ほかはすべて後からついてくる。フィーリーが進行した勇気についての対話は、こちらで聴くことができる。



