ヒューストンが2017年のスーパーボウルで行った実験から得られる教訓は、大規模スポーツイベントは費用がかかるという点だけではない。公共部門が、割に合うかどうかを測る明確な手段を持たないまま、こうした取引に踏み込むことが少なくないということだ。
9年後の2026年夏、(カナダ、メキシコとともに)米国の11都市がFIFAワールドカップの開催準備を進めるなか、メガイベントへの公的投資を経済的に正当化する論拠は、当時と同じ曖昧さ、意図的な盲目さに近いものに支配されたままである。
一見すると、売り文句は魅力的だ。世界的な注目、数十万人の来訪者、そして数十億ドル規模の経済効果予測。しかし表面を少し掘り下げるだけで、その財務上のロジックは破綻し始める。テキサス州がスーパーボウル後に行った独自分析は、納税者が採算が取れたかどうかを判断するのは「不可能」だと結論づけた。
最も信頼性の高い試算によれば、2200万ドル(約34億9000万円)の公的投資に対して1400万ドル(約22億2000万円)の赤字が生じたとされる。これは誤差として片付けられる規模ではない。大規模スポーツイベントの開催を目指すすべての都市にとっての警告である。
負担の大半を吸収するのは誰か?
問題の核心は構造にある。開催都市は、治安対策、インフラの改修、運営・輸送などを含む費用の大半を吸収する。一方でFIFAのような統括団体は、最も収益性の高い収入源、チケット販売、スポンサー収入、放映権、グッズ販売を握る。
地域の主催者は、多くの場合それらの収入に(たとえ間接的であっても)アクセスすることを禁じられる。ワールドカップの場合、都市側はスポンサー枠に連動するプレミアムシートの販売権を制限され、従来、主要な資金調達手段となっていた権利を封じられている。
この結果、著しく非対称な取り決めが生まれる。都市が財務リスクを負い、FIFAが財務上の上振れを確保する。この不均衡は偶然ではない。実際、多くの都市が入札が確定する何年も前に同意していた契約そのものに組み込まれている。
シカゴが開催業務から手を引いたことは、いまや好機を逃したというより、適切なガバナンスの実例に見える。他の都市は、過小評価していたかもしれない合意に縛られたまま、増大するコストと限られた収入源への対応に追われている。



