NJトランジットのCEOであるクリス・コルーリは、同州機関には2億ドル(約317億円)の赤字があると述べ、「利益目的でも、ぼったくりでもない。費用を回収しようとしているのだ」と強調した。
なぜ都市は「イエス」と言うのか
リスクと不確実性があるにもかかわらず、なぜ都市はワールドカップのようなイベントを追い続けるのか。
答えの一部は、国際的な露出、市民としての誇り、長期的な観光増への期待といった無形の便益にある。これらは現実のものだが、定量化が難しく、まして多額の公的支出の根拠として正当化するのはさらに難しい。
また、競争の力学も働く。とりわけ競合する地域が同じ条件を受け入れる意向を示せば、都市は取り残されることを恐れる。こうして際限のない譲歩合戦が生まれ、FIFAのような統括団体は、より一方的な合意を押し付けられるようになる。
最後に政治的な計算がある。世界的イベントの開催は、地元の指導者にとって目に見えるアピール成果であり、財務的リターンが不透明であったり、先送りされたりしてもなお魅力的だ。
歴史が指針になるなら、2026年のワールドカップは開催都市に複合的な結果をもたらす可能性が高い。ホスピタリティや娯楽といった特定分野には明確な恩恵がある一方で、リターンは曖昧、場合によってはマイナスとなる。
より憂慮すべきパターンは、これらのイベントが価値を生み出せないということではない。政府が、その影響を厳密に評価する手段を持たないまま投資を続けている点にある。
補助金付きイベントを何十回も実施した後でも、当局者が「プラスの効果もマイナスの効果も特定できない」と結論づけるのだとすれば、問題はもはや分析ではない。構造である。
都市がより均衡の取れた合意を交渉し、より高い透明性を求め、より厳格な経済評価の基準を適用できるようになるまで、このサイクルは続く。大きな約束、さらに大きな支出、そして終わった後にそれだけの価値があったのかを結局言えないまま、という状況が続くのだ。


