「レトロ上海」という空間デザイン
ところで、2003年にオープンした揚州商人の新橋店の外観は、周辺の街並みに比べて不思議な存在感が異彩を放っていた。店内も、まるで学生時代に筆者が訪れた1980年代の中国の食堂を再現したような内装だった。
筆者にはそれが印象的だったので、三好社長に「2000年代当時、日本でこのような中国のレトロイメージを打ち出した飲食店というのは珍しかったと思います。先代はどのような思いから、このような店舗設計を考えたのか。また内装の中国の食堂風デザインはどうやって施工されたのでしょうか」と尋ねた。
三好社長はこう話す。
「父は自分のルーツでもある中国の街並みを再現した『レトロ上海』という空間デザインにこだわり、1998年頃から何度も現地に足を運び、徹底した世界観を構築しようとしました。
ところが、外部へのデザイン委託費が想像以上に高額だったため、自力での制作を決意して、現地で撮影した1000枚近い写真をもとに、大工と試行錯誤しながら細部を形にしていったのです。そこには中国の街角を切り抜いて『移築』した内外装を具現化するという思いがありました」
この話を聞いたとき、筆者がこれまで何度も紹介したガチ中華界の第一人者である「味坊集団」の梁宝璋さんが自ら店の看板やメニューを手づくりする姿に似ていると思った。
三好社長の話からうかがえるのは、この一族ならではの強い気質と独創性である。先代の比呂己さんの兄弟には、自動車ジャーナリストや有名模型店の経営者がいて、それぞれ異なる分野で成功している。一族には、一度決めたことをやり遂げる強い意志と、事業で儲けることへの貪欲さという共通点がある。
三好社長は、曾祖父や祖父の世代は、中国人であるというだけで差別に遭い、その悔しさが「自分で稼いで偉くなる」という強い反骨精神の原点となったことを自覚している。
彼自身も「中国語はわからないけれど、8分の1の中国の血を引く日本人」という、自身のルーツへの意識が強いことは、「親子四代」の家族写真が各店に貼られていることからもわかる。
三好社長は将来の展望として、父の夢であった国内100店舗展開を自身の代で達成することを使命と考えている。また2027年12月を目標にヨーロッパ(ドイツ・フランクフルト)への進出も計画中だ。
日本のラーメン文化と中華料理のルーツを融合させた「ジャパニーズチャイニーズ」という新ジャンルを提唱し、世界に新たな食文化を届けたいのだという。これは、曽祖父がかつて日本へと渡ったように、4代目として新たな地で事業基盤を築く挑戦といえるだろう。
これまで筆者は日本の中華料理界の、いわば新興勢力である「ガチ中華」の世界に分け入ってきた。その担い手である1980年代以降に来日した新華僑のオーナーたちの姿を近著『ガチ中華移民 日本で増殖する「本場中華料理」の謎』(太田出版刊)で紹介した。
今回「揚州商人」の一族の歴史に触れたことで、同様のストーリーがそれ以前にもあったことは、今日のガチ中華の未来を考えるのに参考になると思った。そして、これから少し時代をさかのぼって、中国のDNAをルーツに持つ人々の世界に分け入ってみようとも考えるようになったのである。


