稲盛会長の厳しい指摘で「揚州商人」業態変換
そして、「揚州商人」を創業した現社長の父についてだが、実は今年3月に逝去していたのである。だが、筆者が話を聞くつもりで果たせなかった人物、3代目の故三好比呂己さんもまたユニークな人物だったようだ。
比呂己さんが生前に取材を受けたネットメディア『飲食の戦士たち』には「中国人と日本人のクォーターである敏腕経営者が提供する一杯の幸せ」(2012年4月3日)というインタビュー記事が残っている。
そこには「子供時代は裕福で苦労を知らなかった」と本人自身も語っており、1955年生まれの彼と玉川大学時代に同窓だったのが、フジテレビで放送されていた『料理の鉄人』で知られる陳建一さんだった。陳さんは「中華の神様」と呼ばれた陳建民さんという四川省出身の中国人と日本人のハーフである。
そんな比呂己さんが「揚州商人」を始めるに至った経緯はこうだ。
在学中、当時の飲食界でカリスマだった楽コーポレーションの宇野隆史さんの店でアルバイトしていた比呂己さんは、いずれラーメン店を起業しようと思いを抱いていた。
その後、彼は1960年代に日本に上陸したポール・J・マイヤーが創業した世界的なモチベーション向上組織のSMI ® (Success Motivation® International )という自己啓発プログラムの代理店を立ち上げ、世界トップクラスのセールス実績を上げる。
その理念を実業で証明するため、1987年豚骨背脂系の「活力ラーメン 元気いっぱい」を開業したが、1990年代は本格的な「ラーメン戦国時代」となり、競争が激化し、売上が低下した。
その頃、京セラ創業者の稲盛和夫名誉会長が主催した「盛和塾」で学んでいたが、稲盛会長から「店のラーメンがまずい」と厳しい指摘を受けたことから新コンセプトへの転換を決意する。
そこで比呂己さんは、元々、弟が経営していた「中華厨房 揚州商人」を1990年に引き継ぎ、リニューアルスタートさせた。当初はシンプルな醤油ラーメン店だったが、2000年頃から黒酢を使ったスーラータンメンとタンタン麺をメニューに導入。これが起爆剤となり、関東でのローカルチェーンとして独自の地位を確立していく。


